101. 水蓮の残り香
街の動脈にして顏、<水精通り>にはあらゆる享楽が揃っている。
巨大な演劇ホールに老舗の酒場。
まばゆい光を絶やさず灯し、夜通し賑わう連邦運営の大カジノ。
静謐な湖の空気と、穏やかな日光を受けた森の香りを楽しむ自然公園。
見てくれだけは上等に仕立てられたボートを借りて巨大湖へと繰り出し、
邪魔の入らぬ狭い空間の中で愛をささやく恋人同士が居れば、
法外にも思える値段設定の茶店で社交の一時を楽しむ貴人の集まりがあり、
金と地位を振りかざし、他人には打ち明けられぬ快楽に溺れる男女が夢にふける。
ここはマールウィンド連邦随一の観光地、<ホワイトレイク>。
今や遠い古い王国、フロリアの残滓と色を現代に伝える、湖畔の街――。
………………
…………
……
白磁石で仕立てられた街路沿いに無数の商店が並んでいる。
その多くが土産屋であり、アクセサリーショップの類だった。
他の街で目にするような売り子が店頭に立ち、声を張り上げるような雑多さは片鱗さえも無い。
磨き上げられたウィンドウの中に収集家が唸るような一品を並べ、
目の肥えた――と自負する愚者も含まれる――者が店に立ち入るのを、それぞれの店主は今か今かと涼しい顏で待ち受けていた。
賑やかな商戦とは真逆をいく、冷たい商戦だ。
ここにはわたしたちのような職業者が利用をするような、武具屋や鍛冶屋といった戦闘稼業に入用の店舗は一軒も見当たらず、ついでに言うならば、通りを歩く人間のほとんどが戦いとは無縁の清潔な身なりをしていた。
汚れひとつ無いシャツにスラックス。
胸元のポケットにはハンカチを挿し、貴婦人の首で瀟洒なネックレスがきらめいている。
彼らは上流階級の人間たちなのだと一目で分かった。
汚れたエプロンを着たままに買い出しに出る主婦や、労働明けに飲み干すビールを物色する男たち、泥だらけの格好でチャンバラに興じる子供の姿といった、わたしの定義する『人々』の姿はどこにも無い。
「中央通りには観光客向けの店しか並んでねえよ。
物騒な店は何もかんもが端に寄せられてんだ。
金持ち連中に『また来たくなるような良い旅の思い出』を与えるのに、
武器の類に物々しい戦士の姿は必要ないからな」
黒灰色の大狼に身を変えたギュスターヴが流暢な人の言葉を操り、そう言った。
なるほど。
確かに革鎧を着込み、具足を身に着けているような人間は周囲においてわたしたちぐらいのものだった。
「武器か……」
艶のある毛並と匂いを嗅いでひくつく湿った鼻先を見ながらに、わたしは<ホワイトレイク>へ立ち入った時のことを思いだす。
門を任せられた衛兵のチェックは非常に厳しいものだった。
ごく一部の特別待遇を受けている貴人や裕福な観光客を除いた人間、つまり身元の知れない冒険者や商人らはその全員が身体チェックを受けるのだという。
連邦の心臓にして頭、首都<ウィンドパリス>ではチェックなど何も無い、よっぽどの怪しい者を除けば文字通りの素通りで入場出来たものだが……。
昨今の世界情勢の変化を受けてのことなのか、あるいは来訪する人間の質を鑑みてなのか。
しまったな、と内心で舌打ちをしたのはこの時だった。
かつて<ウィンドパリス>を発つ際に手に入れた書簡――、連邦首相直筆の面倒事避けの書面を見せれば、チェックを通さずにスンナリと抜けられただろうことに思い至ったからだ。
なんとも残念なことにあの書簡は村の消失と同時に失われていた。
今のわたしたちは実際のところ、ただの一般人となんら変わりない。
一度首都に赴き、フラメル氏に面通りが叶えば行動面での都合はどうにかつきそうなものだが……。
「剣と盾か。呆けているんじゃない、他に武装は?」
「ありません」
岩のようにゴツゴツとした顔立ちをした衛兵がわたしの体を検めている。
はなっから『こいつは何かやらかすだろう』と決めつけている官憲にありがちな高慢な態度が鼻についたが、わたしは不快を顔に出さないように強く努めて衛兵のチェックに応じていた。
仮の話だがここで悪態をつきでもしたら、街の中で監視の目がつくのは明らかだった。権力につばを吐くような人間を彼らが見過ごすはずはない。
今はとにかく穏便に。和を乱さずに事を進めよう。
「本当か? グリーヴを脱げ。ガントレットも外すんだ。
……仕込み刃の類は見当たらないな。うむ、チェック良し!
それでは剣と盾に封をつけさせてもらう。街に滞在中の抜刀を禁じる封だ。
もし剣を抜くようなことがあれば、すぐさまに連邦騎士が身柄の確保に駆け付ける。
そうなれば牢獄へ直行だ。当分太陽は拝めないと思っておけよ。いいな?」
「分かりました。……ご丁寧にありがとうございます」
随分な物言いだ。
男は若干の侮蔑と不遜な視線をわたしに向け、ふん、と鼻をひとつ鳴らすと、
「次の奴。こっちへ来い」
と、彼は指先を揺らして次の獲物を迎え入れ、ようやくわたしは解放された。
そそくさと立ち去り、検閲門の先で待つ仲間のもとへと歩み寄る。彼らはそれぞれリラックスした姿勢で待機していて、風光明媚な街の景観の感想を口々に言い合っていた。
「遅れてごめん」
駆け走るわたしを見るアーデルロールは眉をあげて実に愉快そうな顔をする。
友人が官憲に睨まれていたのがそんなに面白かったのだろうか?
もしそう感じているなら、趣味が悪いと言わざるを得ない。
「めちゃ絞られてたわね。危ない発言でもしたの?」
彼女の中のわたしはどんな人間なんだ?
んなアホな、と思いながらにわたしは首を横に振り、
「そんなわけないよ。思い当たる節も無いし……運が悪かっただけさ」
「聞いてるんだか聞いてないんだかよく分からない態度だったからじゃねえか?
いつものぽけっとした顏を見たら、知らん奴はそう思っても不思議じゃないぜ」
心外だ。
わたしのねめつける視線にコルネリウスは気付かず、
衛兵の手によって武器に貼られた札を興味深そうに指先でつついていた。
「それよかこれだ。槍に貼られたこの紙っ切れ。
監視の為だとか言ってたが意味あんのかね? ただのペラ紙だぜ?」
わたしには剣と盾、コルネリウスは槍の穂先、ビヨンならば杖。それぞれの武器に長方形の黄色い札がぺたりと貼りつけられていた。
その表面には瞳の模様とそれを取り巻く茨の紋様をした魔法式が描かれている。
さて。どこかで目にした形だが、これは何だったかな……。
考え込むわたしに代わり、答えをすぐさまに言い当てたのはビヨンだった。
さすがはイルミナ・クラドリンの愛弟子。魔法知識は十分と見える。
……わたしも同門なのだが、ビヨンと比較すると少々劣る。資質の問題だ。
「これは気配探知の魔法式だね。
詳しくは分からないけど衛兵さんの言葉を真に受けるなら、
対象が攻撃を実行したことを感知したら
すぐさまに特定の座標へと報告を送るんじゃないかな。
分かりやすく言うなら通報だよ、通報。うちら逮捕されちゃうね」
「この街では刃傷沙汰は特にご法度なんだ。要人が多いからな。
監視の目も連邦首都並に多い、要らぬ騒ぎは起こさないように気を付けろよ」
ぐるぐると唸りを混ぜながらにギュスターヴが釘を刺す。
大狼に変身した彼がどうやって衛兵のチェックを通り抜けたか疑問だった。
素通り? 顏パス?
いくつかの可能性を考え、結局腑に落ちたのはアーデルロールの飼い犬だというどうにも苦しすぎる説明である。
これで信じる奴が居るのかと頭を抱えたくなるが、実際のところこうして門をくぐり抜けているのだから世の中分からないものだ。
わたしの身を検めた衛兵が彼女についていたら、まず間違いなく執拗に絡まれていたにちがいない。
ようやく入場をした時には太陽は既にとっぷりと暮れていて、頭上には宝石をちりばめたような満天の星空が広がっていた。
中でも春の到来を告げる大三角系の星座が際立ってよく見える。もう間もなく季節が移り替わるらしい。
「とりあえず宿を取りましょう。……言っとくけど三等の宿よ。
リゾートで豪遊するなんて無理の上に無理なんだから。
どうしてもって言うならカジノで一山当てるぐらいはしなさいよ」
「くっ……。どうして俺の考えが読まれた……!?」
「視線でしょ。ホテルをガン見だったじゃない」
市街中央にどっしりと構える三ツ星の宿を半ば羨望の眼差しで見送ると、わたしたちは<ホワイトレイク>の郊外へと足を向けた。
そこはどこの街でも見られる、ともすれば非常に安心する街並みだった。
理路整然という言葉とはよっぽど縁遠い、雑多な通り。
商人が屋台を広げ、客引きの声が大きく響いている。
開け放たれた鍛冶場の窓からはハンマーが鉄を打つ音が繰り返し響き、路上販売の武具を値引きしろという交渉の声が聞こえてくる。
そんな荒々しい郊外の中に乱立する宿の中から適当にひとつを選ぶ。
相部屋上等の安宿の戸を開き、中のカウンターのベルを叩く。
音に引かれて現われたうだつの上がらなそうな店主とわたしたちは相対した。
「何名様で?」
昼食の匂いとタバコの匂いとが入り混じったひどい臭気を伴った店主が言う。
アーデルロールは一瞬だけ顏をしかめ、次いで料金表通りの貨幣を突きだして、
「4名と犬が1匹よ。部屋は男女別で頼むわ」
「ひい、ふう、みい。それと犬か……。んん、まあいいか。
んじゃあこれが鍵だ。紛失したら――」
男が面倒そうに頭を掻きむしり、気だるげな半目のままに、
「まあ言わずとも分かるよな。注意書きは部屋にあるからよく読んでくんな」
薄汚れた宿だ。半壊した本棚に積まれたゴミ袋。清潔感とはおよそ縁遠い。
しかしながら、こういう宿に限って大層な名前をつけるのはどうしてだろうか。
『黄金の朝陽』だとか『極楽亭』だとか、そういった具合に。
余談だが、この安宿の名前は『流水の音色』という。……自虐の冗談かな。
宿のどこからか罵声と怒鳴り声が聞こえてくる。その声はひとつやふたつではきかず、わたしたち以外にも大勢の宿泊客が居るようだった。
どうやら今夜は粗暴な連中と宿を同じくすることになりそうだ。
ここには街の通りで多く見かけたような、良識のある手合いは少ないにちがいない。
「さて、と。宿は取ったしどうする? 飯でも行くか?」
男部屋に荷を放りなげてコルネリウスが言った。
安全面では最低とも言っていいこの宿に荷を置いていくのは正気を疑う行為だったが、貴重品の類を何も持ち合わせていないことを思いだして、わたしは口をつぐんだ。
「情報収集も兼ねて動くべきね。
冒険者ギルドか酒場か。目についた方から入りましょう」
「僕はアルルの意見に賛成するよ」
「イイ考えだな。そんじゃ街の方はお前らに任せたぜ」
戸口に立つ狼がそう言った。
まさかまた眠り込むのだろうかと思ったが、今回は事情が違い、
「この辺りに知り合いの魔法研究家が居てな。
〝精王〟の存在を実証するんだと息巻いてる魔術院の異端だ。
ちっとばかり頭が残念だが、それはそれ。情報を持っている事には違いねえからな。
用事が終わったらすぐに戻ってくる。合流場所はこの宿にしておこう」
「俺らは付いて行っちゃまずいのか?」
「彼女は……あー……極度の人見知りなんだ。
知らねえ奴に声をかけられでもしたら、目を白黒させて脱兎のごとくに逃げ出す。
そうなりゃ話なんざ出来ないし、朝まで落ち着かねえ。
ここは知人であるオレが一人で行く。街の方は頼んだぜ」
言ってギュスターヴは灰色狼の姿のままでひょいと戸口をくぐり、
星と月の灯りがうっすらと照らす夜の森へと姿を消してしまった。
彼が言うところの魔法研究家の所在はわたしたちには分からず、
今から追いかけようにも、狼に身を変えた彼は矢のごとくに素早い。
人の足で追いつこうと考えるだけ無駄なことだ。
「……なあ、アルル」妙に勘ぐった顏をしながらにコルネリウスが言う。
「ありゃ逢引きの気配がするんだが俺の気のせいか……?」
「バカ言うんじゃないわよ。ギュスターヴは既婚よ、既婚!
北の大英雄が不倫だなんて冗談じゃないわよ。
あたしがしこたま殴って矯正させてやらなきゃいけない大問題じゃないの」
「しかしだな。『英雄色を好む』っつう偉大なる名言があるだろうが」
この手の話題になるとコルネリウスは妙に色めき立つ。
どことなく身振りがそわそわとしていて、口の端がニヤついているのがいやらしい。
まあ、思春期だしな。と、わたしは一人勝手に納得半分、呆れ半分で、
「それを言うならことわざだよ、コール。
さあ、そろそろ情報収集に出よう。
これだけ大きく、古い街なら〝精王〟の手掛かりはいくらでも見つかるはずだ」
「いやに自信満々だけどさ、それってどんな根拠なの?」
「……勘、かな」
「あんたの勘~~? 何だかいまいち頼れないわねえ……」
軽口を互いに叩き合いながら、わたしたちは宿を出ると埃っぽい道を歩き、<ホワイトレイク>の中央通りへと引き返した。
宿場周辺は粗野な者やみすぼらしい者など様々だったが、<水精通り>ともなると一目で身なりが良いと分かる人間が山とひしめいている。
「従者を連れた貴婦人に仮面の男。
見ろよあのドレス。風に当たる度に虹色に光ってるぞ。どんな服の趣味してんだ」
「しーっ、聞こえたら大変だよコールくん!
……でも本当に物凄く目立つね。目立ちたがり屋さんかな」
「王族やら貴族なんかの金持ちの趣味ってのは分からねえよ、ほんと。
……いや、女をはべらせてハーレムを作りたがる点だけは分かる。実は俺の夢なんだ」
「あっはっは。コールくんにそんな甲斐性あるわけないじゃない」
「断言するんじゃねーよっ! 分かんねえだろうが!」
「……」
賑やかな声を耳に聞きながら、わたしは警戒心を胸に周囲へ視線を向けていた。
アーデルロールの風貌はやはり人目を惹く。
あまりこの通りに長居しない方が良さそうだ。
なにせ一般の平民でさえもが、彼女の姿をちらと見て『どこかで見たような……』と凝視するのだ。
それが社交に精を出す上流の人間ともなれば彼女の正体に気付かないはずがない。
今や人々の不安を煽る類の噂――あるいは事実か――になっているであろう、ルヴェルタリア王都の消滅を知る者であれば、好奇心から彼女に詰め寄ることもあり得る。
やはり彼女の正体を隠す手段は何かしら講じた方がいい。
……しかし、今はどこかに身を隠すのが先だ。
「アルル」
往来を歩く貴人や富豪の群れを観察しているアーデルロールへとわたしは顏を寄せた。
「君を知っている人間が居たら厄介なことになる。移動しよう」
「そうね。面倒事は避けたいわ」
「通りの終わりに冒険者ギルドの看板が見える。まずはそこへ」
「分かったわ。コール、ビヨン。行くわよ」
………………
…………
……
<ホワイトレイク>の冒険者ギルド支部の規模は街の規模に引かれるように大きなものでいて、三階建ての一階部分には酒場が設けられていた。
富裕層はよそに行く当てでもあるのか、あるいは趣味が合わないのか。
仕立ての良い服を着た者の姿はなく、わたしの見慣れた『冒険者』らしい連中が店内にひしめいている。
丈の短いメイドドレスを着たウェイトレスが両手にジョッキを握ったまま、器用な足さばきで酒乱の人ごみを抜けていく。
額と大きく開いた胸元に汗を浮かべた女性店員のひとりと目が合い、彼女は忙しいながらも精一杯の笑顔を浮かべ、
「何名様ですかぁ?」
「三人だ」
答えたのはコルネリウスだった。
彼は既に足先を二階の冒険者ギルドへと続く階段へと向けている。
「聞き込みならともかく、酒場で情報収集をするに四人も要らないだろ?
俺はそのあいだにちっと小銭を稼いでくる」
わたしは大いに驚いたと言わざるを得ない。
ここには彼好みの見た目も体のパーツも派手な女性が山ほど居るし、食欲をくすぐる料理がずらりと並んだ食事があるにも関わらず、彼はそれらの強烈な誘惑を振り切ったのだ。
驚天動地だ。
「……本当にコール本人なのか?」
「本当にコールくんなの……? 偽物?」
「お前ら二人とも失礼すぎんだろ!? 俺を何だと思ってんだ!?」
振り返り、大口を開けて仲間の信頼を確認せんとする男、コルネリウス。
わたしはビヨンの化粧っ気のない顏をちらと見た。
「何って。ねえ?」
「大酒飲みで女に目が無い、年上とは思えない幼馴染だよね。あるいは弟みたいな」
親交をもって10年以上。
泣きも笑いも共有した幼馴染の少女の容赦のない一言で場の空気が死んだ。




