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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
七章『翡翠の道』
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098. 寂しがり


 戦闘を終えた身体がやけに熱い。

 霧は晴れ、頭上に見える空はすっかり夕暮れの色だった。

 汗に濡れた肌をなでる風が心地良い。まるで少年の日を思い出す風だ。


 背中の方から何人かの駆け足が聞こえた。

 振り返らずとも、その足音には覚えがある。

 ビヨン、コルネリウスだ。と来たら、残るひとつの軽やかな足音は……。


「アルル! それに二人とも! ごめん、先ばしブッ」


 すぱんっ。

 実に小気味の良い乾いた音が戦場後にこだました。


 わたしはダメージの勢いのままに身を仰け反らせ、

 周りの戦士たちは「すっげえビンタ……。うちのカミさんより怖いぜ……」と、戦々恐々としてざわついた。


 彼らがどよめく先には一人の少女。

 若草の髪に夕暮れ色の瞳。

 見る者が見れば間違いなくアーデルロール王女本人だと分かってしまう、その猛々しさは隠しもしていない。


 彼女はビンタをかました腕を振り切った姿勢で息を荒げていた。

 呼吸に肩は上下し、わなわなと震える口は言葉を探しているように見える。

 その叱責は「バ」の一言からはじまり――、


「バッ……バッカ! あんたほんっとバッカじゃないの!?

 霧の戦いで一人で突っ走るなって他から教わらなかったわけ!?」


 空の色と同化したようなオレンジ色の瞳が炎のごとくに燃えている。

 アーデルロールはずかずかと歩み寄り、

 突き立てた人差し指の先でわたしの胸を一発二発とびしびし小突く。


「心配したんだから、ねっ!」と、トドメにくるぶしに蹴りを一発。

「いってっ!?」


 さすがにこれは堪えた。

 体勢を崩されたわたしは地面の上に倒れ、痛みに拳を握る。

 と、そんなわたしの肩を叩く手がひとつ。


 誰だろうと思い、顔を上げると、

 コルネリウスが相も変わらず爽やかな顔でわたしを見下ろしていた。


「よう、まだ生きてるか?」

「どうにかね。槍は……使ったんだ。どうだった?」

「イイ槍だ。こいつなら何でも裂けるし貫ける。何より軽いしな。ほらよ」


 そう言って差し出された手を取り、ぐっと引き上げられ……なかった。

 起き上がりざまに彼はパッと手を離し、支えを失ったわたしは倒れ込む。


「てっ!? な、なんで!?」


 目を白黒させたわたしを見下ろし、コルネリウスは肩を竦めて、


「ペナルティってやつだ。俺が心配したってんだから、お前、今回は相当だぜ?

 それに、だ。

 アルルとビヨンの二人が『ユリウスーッ!』だのと

 叫んで飛び出すのを必死に抑えてた俺の身にもなってみろ。

 まあアルルは結局二刀流を振り回して霧の中に突っ込んでいきやがったが……。

 べそかきそうなビヨンのお守りをしながらお前を探す。

 こいつはマジに至難で困難でストレスだった!

 だからこのぐらいは許せ。……おぉい、そんな顔すんなって。ほら」


 再び差し出された手。

 わたしは怪しんだが、「もうやんねえって」と言う言葉を信じ、

 互いの手を握りしめて今度こそ立ち上がった。


 コルネリウスがぱっぱとわたしの肩を叩き、

 それからコン、とガントレットの拳を胸に突きつける。


「次に無茶しやがったら承知しねえからな、相棒」

「あたしも以下同文。勝手に死んだら殺すわよ」

「……どうやんだよ、それはよ。こういう場面でアホ言うな、アルル」


 いつもの軽口。

 だったのだが、アーデルロールは唇を尖らせるばかりで何もしない。

 彼女は視線を外し、地面の上に倒れ伏した鬼種の死体を向いた。


「で? あんたと後ろのお仲間がこれを仕留めたわけ?」

「うん。協力が無かったら危ないぐらいの強敵だったよ」

「ふーん……」


 そんなわたしの言葉を覆す声が唐突に沸いた。

 出所は戦士の集団だ。彼らは鎧や武器をがちゃがちゃとやかましく鳴らし、

 片手をぶんぶん振って話を修正せんとする。


「いやいやとんでもねえ! 俺らなんて毛先も手伝ってねえからな。

 鬼をブッ倒した大半は黒髪坊主の手柄だ! なんたってな――……」


………………

…………

……


「おどろおどろしい鬼の身体を斬って刺しての大立ち回り!

 一撃もらえばあの世行き、大木みてえな腕の表面を転がり躱し!

 矢のように突っ走っては刃の五月雨を見舞う鋭い剣技!

 大物殺しの期待のルーキー! 今日の勇者へ向けて! 全員、乾杯っ!」

「かんっぱーーーーーいっ!!」


 わっ、と無数のジョッキが掲げられ、ガラスが打ち合う音が高らかに鳴る。

 ミーティングが行われた酒場へ凱旋して、そのまま催された戦勝祝賀会。

 わたしは隅のテーブルで縮こまり、小さくジョッキを口にかたむけた。


「……乾杯」

「ん。で、この騒ぎはどういうわけ?」

「霧の戦いの勝利を祝って、らしいな」


 木のジョッキにちびりと口をつけたコルネリウスが言った。

 

「祝うなんて空気には思えないけど。

 帰りがけに見た街の外壁ぼろっぼろだったじゃない。

 酒飲んでないで補修した方がいいと思うわ」

「そりゃ街の連中が決めることだろうよ」


 口元に泡のヒゲをくっつけた彼は酔いどれの老若男女を向いている。

 わたしは彼の視線を追い、それから酒場の隅で仲間の喪失を悼み、グラスを鳴らす一団に目をやった。


「戦いなんだから、全員が無傷なんてわけじゃないのよ」

「アルル」


 頬杖をついたままにアーデルロールがつぶやいた。


「あんたが鬼種を討ち取ったのは大手柄だと思うわよ?

 けどね、あんたも分かってるんでしょうけど、戦いに絶対は無いのよ。

 ああして死んでしまう奴なんて珍しくないし、それこそ大勢を占めるわ。

……今後は絶対に一人で突出するんじゃないわよ。

 単騎駆けなんて、武勇を誇る戦じゃあるまいし要らないわ。

 仲間が居るのを忘れず、命を大事にすること。

 旅の終わりに生き残っていなきゃ話にならないんだから。いいわね?」


「それって……」

「もち命令よ! 死んだら困る人間が居るのを忘れんじゃないわよ」


 言ってアーデルロールはそっぽを向き、「ふん」と息をひとつ吐くと席を立った。


「どこへ?」


 わたしの見間違いか、それとも酒場の照明の色に照らされてか。

 頬をほんのりと赤らめた彼女はこちらも見ずに、


「おかわりよ。酒のおかわり!」

「お金はあるの?」

「霧の防衛戦に参加した報酬金があるじゃない。問題ないわよ」


 肩をいからせてさっさと歩き去る彼女の背中を見るのはこれで何度目だったか。

 わたしは注文した商品とその値段をせっせと書きつづるビヨンの指先に目をやり、それから随分と量の少なくなった自分のジョッキの中身を見つめた。


「じゃ、俺も行ってくるとすっかな」

「コールまで? どこに行くのさ」

「無論、ナンパだ。これだけ盛り上がってるなら爆釣間違いなし。

 今夜は宿に戻らねえかもしれねえ。けど、部屋の鍵は開けといてくれよな!」


 引いた椅子の背もたれに腕をつき、きらりと眩い笑顔を向けるコルネリウス。

 突き立てた親指と格好をつけたポーズには安心感などは欠片もない。

 不安だ。果てしなく不安だ。


 前々から言おうと思っていたのだが、女性にだまされて

 大量の負債を背負うトラブルに彼が巻き込まれないか気が気じゃなかった。


 幸い、今のところの彼がトラブルに巻き込まれるようなことは無い……。

 が、アーデルロールの受け売りではないが、それこそいつ何が起きるか分からない。


 これから始まる旅の頭に借金を背負うなんてことはズバリごめんだ。

 何ならコルネリウスを椅子に縛り付けておいた方が何も問題は起こらず――、


「何むずかしい顔してんだ? じゃあな、俺は行くぜ!

 お前に合いそうな娘が居たら紹介してやるからなあ! はっはっは!」

「……行ってしまった」

「コールくんは外見はいいけど、

 中身はアホアホだから相手にされないですぐに戻ってくるでしょ」


 手帳にペン先を走らせながらにビヨンが言う。

 そういえば、と思い出す。

 店に入ってから……いいや、街に戻る前からもビヨンはわたしと目を合わせない。


 戦闘後の合流で一度目を合わせたっきりだ。

 その時のビヨンは目を見開き、口元をわななかせていたように思う。


『大丈夫?』『うん、問題ない』

 そんな短いやりとりだけだったが、

 本当のところのビヨンは何を言いたかったのだろうか。


 金色の髪の毛。そのつむじに視線をやりながらにわたしは考える。

『無茶するんじゃないわよ!』これはアーデルロールか。

『先走るなんてほんっとバカ』……これもアーデルロールが言いそうだ。


 ちびり、と残り少ない酒をあおると余計にのどが渇いた。

 見ればビヨンの飲み物――彼女は酒はあまり飲まず、茶や果実のジュースをよく飲む――も残り少ない。

 

「カウンターに行くけれどビヨンは何か要る?

 リンゴのジュースとか紅茶がおいしいそうだけど――、」

「お酒」

「……聞き間違いかな。なんて?」

「だから、お酒。すっっごく濃いの。一口で酔っぱらうようなのをお願い」


 彼女は視線をあげない。だからこそその迫力は相当なものだった。

 わたしは知らずのうちに背筋を正し、了解です、と答えるのみだ。


 酔いどれどもの間を縫うようにして酒場を歩く。

 道すがらにわたしの肩や背を叩き、


「よう! 若いのにやるじゃねえか!」


 と声をかける者が何人か居た。

 おおかたのところ、乾杯の音頭をとった男の知り合いか、それか脚色された話を信じた手合いだろう。

 でなければ『黒い髪をした若い男が、素手で鬼の頭を引っこ抜いた』、などという与太話を信じるはずがない。……多分だが。


 声を振り切ってカウンターへたどり着き、注文をわたしは口にした。


「エールを大ジョッキでひとつ。それと……一番キツい酒を」

「キツい、ねえ。この竜落としなんてどうだい?

 口から火が出るよ、いやこれ本当の話な」

「じゃあそれでお願いします」


 ビヨンの要望には適っている。問題ないだろう。

 酒を受け取り、金を手渡し。

 毎度あり、の声の後にカウンターの男が「おや」と不思議そうな顔をひとつ。


「その顔……フレデリックの旦那……?」

「っ!」

「いや、にしちゃあ若すぎるな。

 髪もぼさついてねえし。ってこたあ、せがれのユリウスか!」


 驚いた。

 彼は目を丸くしていたが、わたしの方が驚いている自信がある。


「僕をご存じなんですか?」

「面識はねえよ。お前もこのダンディズム溢れる顔に見覚えはないだろ?」

「ええ、まあ。一目見れば忘れない男前ですからね」

「ふっはは! ありがとよ!

 フレデリックの旦那はこの辺り一帯の防御を受け持つ連邦騎士だった。

 うちの街も管轄でな。見回りでやってきては、よく頼みを聞いて貰ったんだよ。

 飯を一緒にした時はよくカウンターの隅に座ってよ。

『うちの息子は強くなるぞ。俺よりずっとすごい剣士になる』なんて息子自慢をよく聞かされたもんさ」


 白い手袋をはめた店員がその指先でカウンターの端を指した。

 ペンキの剥げかかった青い窓枠。

 カーテンレースの向こうに町並みがうっすらと透けて見えた。


 誰も座っていないその席に腰をかける父の姿を想像するのは簡単なことだった。

 足を向けようとしたところでわたしは……足を止めた。


 父は死んだわけではない。必ずどこかで生きている。

 まるで先だった者を懐かしみ、思い出にふれるような行為を仕掛けた自分がイヤだった。


「どうした?」カウンターの向かいで店員が首をかしげた。

「いえ……」


 わたしは所在なさげに他の酔客に目を向け、


「お話ありがとうございました。お酒、いただきます」

「あいよ。……村は残念だったな」

「……大丈夫ですよ。住民の大部分は生きていますから、いつか元通りになります」

「ならいいんだが。おっと、そういやさっき小耳に挟んだ話なんだがな」


 店員が指先をちょいちょいと曲げてわたしを呼ぶ。

 わたしは小首を傾げ、何の話だろうと思いながらに顔を寄せた。


「近頃、妙に変わった霧が出るのは知ってるだろ?」

「ええ。足が重い霧ですよね」

「そうだ。他にもどす黒い霧やら発光する霧が出るらしい。

 中はどうやら尋常じゃねえようだ。冒険するんなら気をつけな。

 それと……霧が消え失せた後も魔物が残っている場合もあるって話だ」

「……情報をありがとうございます。礼は……また店に寄れば?」

「おう。景気の良いツラを見せてくれや」

「了解です」


………………

…………

……


 ビヨンと二人で酒を飲んだことは思い返せば一度も無かったように思う。

 わたしと彼女が話す時は大体がどこかの茶屋だったり、宿の部屋だった。

 土地土地の茶で口を湿らせ、書籍の感想を言ったり旅の話をしたり。


 コルネリウスとの時間が少年らしい活発なものだと言うのなら、

 ビヨンと過ごす時間はおよそ読書家同士が過ごす静かな時間だといえる。


 沈黙が気まずいはずもなく、お互いが思案に耽り、何てことない言葉をやりとりする贅沢なひととき。

 わたしはその時間が好きだった。

 それがビヨンの持つ面の大部分だと思っていた。


 だから、酒にのまれた彼女がここまでだとは思いもしなかったのだ。


「聞いてるのぉーユーリくーん!?」

「ちゃんと聞いてるよ」


 鼻先は赤らみ、頬はりんごのごとくに朱色に染まっている。

 エメラルドグリーンをした瞳はうるみ、据わっていた。

 上体は円を描くようにゆっくりとぐるぐる回って危なっかしい。


 ずびし、とフォークの先をわたしに向けるとビヨンは上機嫌な声で、


「うそっ! うっそ~うそうそっ!

 澄ました顔してそう言うけど、い~っつも忘れるじゃん! じゃん!」

「そんなことないつもりだけど……」

「じゃあ言ってみ! うちが今どんな話をしてたか言ってみ!」

「『この芋揚げがとても美味しいからもう一皿を頼みたい。あ、ところで明日は晴れみたいだよ、洗濯物を出さなきゃなあ。猫って可愛い』でしょ」


 肩をぶっ叩かれた。


「いったあ!?」

「うちがそんなあ支離滅裂なことをぉ! 言うわけないでしょーが!」

「いや言ってたよ。

 参ったな。ビヨンが酒を飲むとこうなるのか。……誰か来てくれ……っ!」


 目線をそらし、つまみをかじりながらに店内へと視線を向けて救援を探す。

 コルネリウスは女漁りなどという生産性のない狩りに出掛けたから、当分は帰ってこないのは分かる。帰ってきても意気消沈していてポンコツになってるだろう。


 問題はアーデルロールだ。

 酒のおかわりに行くと席を立って何分経った?

 まさかケンカか、あるいはハラスメントを受けたのか。


 彼女がそこらの連中に後れをとらないのは分かっているから、

 それほどに強い心配をわたしは抱かない。

 むしろ同情すべきは不埒な輩の側である。


 と、思ったものの店内でそれほど大きな騒動は起こっていない。

 やれやれ。まあ戻るべき宿は全員が把握しているし、問題はないかな……。


「ちょっとお」

「はいはい。どうしたの」

「どーしたのじゃないでしょーが!」

「む゛っ!?」


 おもむろに口元を掴まれた。

 ビヨンの目はとろんとしている。普段の彼女なら考えられない態度に仕草だ。

 理性が何割程度残っているかは分からないが、このままあのキツい酒を飲み進めればさらに彼女のキャラが崩壊していくことは疑いない。


「飲み過ぎだよ。もうそろそろ止めにした方がいいんじゃないかな」

「やっ」

「やっ、て。子供じゃないんだから」

「……まだ言いたいこと言ってない」


 視線がまっすぐに向いていて居心地が悪い。

 顔を反らそうにも頬を掴まれていてはそうもいかず、蛇に睨まれたカエルとはこういうことかと思ってしまう。

 こうなればビヨンの問題を解消してしまおう。そうすれば解放されるに違いない。


「言いたいことって?」

「……構ってよ……」

「え?……構ってるじゃないか。こうしてご飯も二人で、」


 がたん、とビヨンが席を立った。

 周りの客の注意を引いた……と思いきや、

 店内はあんまりに騒がしいものだからほとんどが無視をしていた。

 数少ない野次馬たちも『なんだ、痴話喧嘩かよ』とつまらなそうに一瞥をくれて、視線を戻していく。


「違うの! そーじゃないの!

 うちもアルルちゃんみたいに構ってって言ってるの~~~~っ!

 大丈夫かって心配してほしいし、知らない男の人に声かけられたら間に割り入ってほしいし、手を握ってリードしてほしいし、バカみたいに言い合いしたいの!」


 机をばんばん叩いてビヨンが叫ぶ。

 目をぎゅっと閉じ、しかし大口を開いて要望を言う姿は小さい頃のわがまま(ミリア)を彷彿とさせた。


「分かったよ。でもそんなのいつもしてることじゃないか?」

「してないよ! してたらうちがこんなこと言うわけないでしょ!」


 数秒の思案。

……ま、それもそうか。


「じゃあまあ。構うようにする……けど。

 仲間は仲間だし幼なじみだしで、そんなに特別なこともないと思う……」

「なんてえ……!?」

「いえ、気をつけます」

「うむ! よろしいっ!」

「満足していただけたようで。やれやれ……」


 気づけば二杯目の酒も底をつきかけていた。

 次を貰いに行こうと思ったが、夜もそろそろ深い。

 お開きにしたい……ところだが、肝心のコルネリウスとアーデルロールは未だに戻ってはきていなかった。

 まあ二人も子供じゃないのだし、先に戻っても良さそうだが。さて。


 どうする? と、そう酔っぱらいのビヨンに声をかけようとした所で酒場を盛り上げていた演奏の曲調が変わった。


 これまでは騒がしく明るい、賑わいを際立たせる酒場にありがちな定番の曲だったが、今し方に始まったものはどこか艶っぽくムードのあるゆったりとした音だ。


 店の広場のテーブルが店員や客の手により、次々に端に寄せられてスペースが作り上げられていく。

 まるでそこはダンスホールのようだった。

 男女のどちらかが踊りに誘い、次から次へとペアとなって酒場の床上で踊りだす。


 革靴の底でリズムを打つ者があれば、互いに手をとり優雅に回る者もある。

 エルフの歌手のしとやかな声が酒気を帯びた店をたゆたい、空気が色を変えていく。


 踊りの光景に見入っているとわたしの袖が引かれた。

 そんな人間は今この場でビヨンしかいない。


「ユーリくん、構ってくれるって言ったよね」

「え? うん、言ったけど。まさかだけど……だめだよ、僕は踊りなんて」

「だいじょーぶだいじょーぶ! うちも出来ないから!」


 気づけばわたしとビヨンは腕を組み合っていた。

 酒の力に後押しされた彼女はあり得ないぐらいに強気でいて、ぐいっと顔を寄せられた時には正直言って面を食らった。


 微妙に酒くさいがどこか甘い匂いのするビヨンから視線を反らし、


「出来ないのに何で踊るのさ!?」

「約束したからでしょっ! さあ踊ろ踊ろう!」

「ちょ、ちょっとちょっとちょっとっ」


 席を立ち、ぐいぐいと腕を引かれるままにホールへ駆け込んだ。

 周囲がどう思ったのかは知らないが、仲むつまじい少年少女とでも思ったのだろうか。恥ずかしいとはまさに今の気分だ。顔から火が出そうだった。


「あっははは! 身体がふわふわするよ~っ」

「それ絶対お酒が回ってるだけだからね。ああ、もう!」

「わっ!? ユ、ユユユーリくん!?」


 こうなりゃヤケだ、とはコルネリウスかそれとも父の言葉だったか。

 状況に踏み込んでしまってもう逃げられそうにないのなら、

 心底を尽くして楽しみ抜いた方がいいのだと。どちらかが言っていた。


 わたしはビヨンの腰と背中に腕を回し、

 抱くようにしてぐるりぐるりと回り始めた。


 彼女はあからさまに驚いていたが、その驚き顔も次の瞬間には引っ込み、

 喜色満面の笑顔を咲かせると大輪の笑顔で心底嬉しそうに笑うのだった。


 舞踏と笑い。音を乗せて夜は更けていく。


………………

…………

……


 結局のところ。

 延々と踊り続けたあげくにビヨンは吐き気を訴え、

 体調不良もいいところの彼女を背負い、わたしは宿屋へと引き返した。


「んにゃ……もっとおどろぉ……」

「夢の中でならいくらでもどうぞ。よっと……」


 大部屋の中ではアーデルロールとコルネリウスの二人が大の字で転がっていた。

 

「先に戻ってたんだ。……臭い……」

 

 どちらも両手に酒の瓶を握っている。

 部屋は異様に酒臭く、明日の朝にはアーデルロールの「何よこれ!?」の大声が飛び出すに違いない。


 このアルコール部屋にビヨンを寝かせるべきかどうか数秒迷い、わたしはカウンターに引き返すことに決めた。

 呼び鈴を聞いて現れた女主人はどこか上機嫌な顔だ。

 今ならば無茶な願いも聞いてくれるかもしれない。


「夜分にすみません。部屋をもう一つ貸していただけませんか?」

「構わないけど? どうしてだい?」

「ちょっと……部屋が……酔っぱらいの死体置き場になっていまして……」

「ああ。随分騒いでたからね。いいよ、ほら、この鍵を持っていきな」

「ありがとうございます」


 ずるずるとわたしの背中を滑り落ちそうなビヨンを担ぎ直し、鍵に記された部屋へ赴き扉を開いた。

 一人用の部屋だ。簡素なベッドに小さな机。

 ビヨン一人を寝かせるのならば十分だった。


「むにゃう……」

「部屋に着いたよ。動物みたいにくっつかないで、ほら、ベッドに入って」


 離すまいと抵抗を続けるビヨンだったが、

 寝台にもぐり込み、枕に頭を預ければまさに瞬殺だ。

 ベッドシーツをかける頃にはもうスヤスヤとした細い寝息を吐き出している。


 翌朝には「どこここ!?」と驚くだろうが、

 尋常じゃなく酒臭い部屋で目覚めるよりはよっぽどいいだろう。


「それじゃあおやすみ」


 言い残すとわたしは扉をそっと閉じ、部屋を出た。

 時刻は0時を回っている。

 普段なら寝付いている頃だが、今夜はどうにも目が冴えていた。


 女主人もわたしの応対を最後に寝入るつもりらしい。

 カウンターには『対応時間外』の札が掛けられている。


 わたしはラウンジへと足を向けた。

 テーブルが二組にソファが一つ。

 暖炉に火をくべ、ゆらりと姿を見せた炎を見つめる。


 ぱちり、と弾ける音が耳に聞こえた。

 炎の赤色を見ていると……村を覆う炎と崩れ落ちる生家を思い出した。


 父の決死の戦い。

〝ウル〟の猛威。人にあらざる強さ。剣の果て。


「……あれは、どうして僕をあんな名で呼んだのだろうか」


 父の片腕が飛ばされ、怒りに全神経が白熱していた時のこと。

〝ウル〟はわたしをあり得ざる名で呼んだ。


「話さなくちゃいけないことは沢山あった。

 でも、どうして僕は切り出さなかったんだろう。

 仲間には……伝えておかなくてはならないことなのに」


 両手を握り、うつむいたままにわたしは呟いていた。

 自分にしか聞こえないようなささやき。その声を拾う者が居るとも気づかずに。


「なら、オレが聞こう」


 ギュスターヴ・ウルリック。

 ラウンジの入り口に立ち、獰猛な顔に精一杯の親しみを浮かべた巨漢がそう言う。

 彼は適当な椅子を引き、わたしの横に落ち着いた。


「さ、話せ。何でもいいぜ」


 まるで尋問みたいだな、と内心で笑ったのはここだけの話だ。

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