097. 血霧の鬼種
右斜め下へと振り下ろした刃で裂き、跳ね返る軌道の横一閃で首を断つ。
どさり、と小さな体が地に倒れた。
小鬼を殺したのはこれで何度目だったろうか。
二体か三体か。正確な数はもう把握していない。
「――はっ」
小さく跳び、空中で身をひるがえしながらに刃を振って魔物の肉を裂く。
まるで羽根が生えたかのように体が軽かった。
わたしの思考した行動が現実となっていく。
――正確には、実現出来ないと諦めていた体の動き、剣士としての理想の挙動がよどみなく現実のものとなる。
不可能としか思えない姿勢からの回避。
以前のわたしでは思いもつかなかった剣の筋。
身のこなし、剣の扱い。
あらゆる実力が数段飛びで引き上げられたかのようだ。
どう考えても真っ当な進歩ではない。
言うなれば悪魔と契約をしたような不気味さがあったが、それ以上に心地良かった。
剣以外はどうだっていい。
そんな考えが脳裏をよぎるほど、今のわたしは血に酔っていた。
不意に、霧の中から長身の異形がまろび出る。
上向いた鼻に潰れた両目。
頬は陥没し、正視に堪えない面構え。
粗悪な金属鎧。どこぞの戦場跡で拾ったようなボロの槍。
その醜悪な豚面には見覚えがあった。
「……オークの類か。いいぞ……来い」
信じられないぐらいに今のわたしは好戦的だった。
グリーヴのつま先で大地を弾くと猛烈なスピードで走り、速攻を仕掛ける。
攻撃性を剥き出しにした獣のように迫るわたしを迎撃せんと、
オークが握る槍の穂先がきらりと閃き、ぼっ、と鋭い音を立てて刺突が放たれた。
その一筋の閃きをわたしは見逃さない。
線ではなく点で迫る脅威を視認し、下向けた刃の表面でそれを受け、流す。
ぎゃりぎゃりと金属音を奏でながらに刺突を刃で撫で流し、
攻防一体の身のこなしで肉薄すると同時。
鎧の間隙を縫い――横腹へと剣を深々と突き刺した。
深部に達したのを勘で察し、引き抜くと鮮血が噴きだした。
剣を通して筋肉が収縮する感触がわずかに伝わり、頭のすぐ上で苦痛を吐き出す嗚咽が聞こえた。
……獣人の悲鳴が何だと言うのか。わたしは容赦をしない。
剣を引き抜き、飛燕の速度で手首を切り裂くと、苦痛にゆがんだ首を両断した。
剣先に血液が乗り、上下に振るうと血の筋が宙を舞った。
「はっ! ……はっ、はっ……は……っ」
動きを止めた途端に汗が噴き出した。
衣服の適当な箇所で手汗をぬぐい、剣を握り直す。
気付けば随分と突出していたらしく、アーデルロールたちの姿はどこにも見えない。
「……独りで出過ぎてしまった。……? 戦闘音……?」
霧が音を吸収しているのか、耳に聞こえる戦いの音はどこかくぐもっていた。
遠い剣戟の音を見据え、わたしは息も整わないままに駆けだした。
目の前に広がる、壁のように濃い霧を割り裂くように疾走する。
と、地面の上に転がる物言わぬ死体が不意に目に入った。
全身鎧を着込んだ重装備の男。
連邦の紋が描かれた盾――マールウィンドの騎士だ。
立ち止まり、そばで膝立ちになって全体を観察する。
胴部分は大きくひしゃげ、頭部はあらぬ方向を向いている。
どうしようもなく絶命していた。尋常ではない死に様を前にしてわたしは考える。
「鎧に残った跡は……指かな? 大きな手で掴まれ、捻られたみたいだ。
まさか……巨人種の魔物が居るのか?
普通じゃない。まるで〝大穴〟周囲の戦いじゃないか」
無数の英雄譚に彩られたルヴェルタリア王国騎士。それと対峙した強大な魔物。
沈黙の中で思い出すのは、特に凶悪と恐れられた城のごとくに巨大な霧の巨人。
たった一体の巨人に戦いの趨勢はくつがえされ、かつての〝四騎士〟の一人が失われたという〝灰山越えの戦い〟だ。
「そんなはずはない……だろうけれど……」
最悪の事態を想像してしまう。不安が頭の内側で膨れ上がった。
悲鳴が聞こえたのはそんな時だった。
男のものと思われる太い雄叫び。断末魔のような叫び。そして地響き。
拳で大地を殴りつけるような音が耳を震わせる。
脅威の正体はこいつに違いない。
そう直感したわたしは音の方角を向き、再び駆けた。
歩を進めるたびに遺体の数が増えていく。
騎士、戦士、魔法使い。強力な力で握りつぶされて絶命している。
そして。
間もなくしてそいつは現れた。
………………
…………
……
タルの蓋ほどもある大きな両目は白目を剥き、
下あごから突きだした牙は天を向いてそそり立っている。
肌色は赤熱した鉄のように赤く、裂けた唇はゆるんで開き、ぶつぶつとうわ言を口にしていた。耳を澄ましたが知らぬ言葉だ。共通語では無い。
霧からにじむように現れたそれは、巨人の亜種――鬼種のように見えた。
人の倍ほどもある巨躯だがその背筋は丸い。
足は短いがその一方で両腕は極めて太く大きい。
血のこびりついた拳の先を大地にあてがい、ずしり、と重い音を立てながらに歩いている。
猿の一種にこうした歩法を取るものが確か居たはずだ。……ナックルウォークだったか。
鬼の顏が向く先には戦士の一団があった。
数は7・8人。
表情から察する限り、怯えきっている者と闘志を失っていない者は半々。
「氷雪の弦。レイクシルの涙をここに! 氷の第二階位、<アイシクル・スパイク>!」
一団の後方。遠距離支援役らしい魔法使いが詠唱を口にし、氷の槍が牽制の狙いで撃ちだされる。
鋭い速度で放たれた槍が鬼の腕に深々と突き刺さる。が、鬼はびくとも動じない。傷を負った箇所をただ痒そうに指先で掻くばかり。
この一撃を戦いの鐘と判断したのかどうなのか。
鬼は耳をつんざくような金切声に似た叫びをあげると、拳で地面を殴りつけ、戦闘を開始した。
同時――わたしの中で何かがうずいた。
戦士としての興奮か。戦闘の狂気に飲まれたか。
理由も分からないままに、わたしは速度を上げてひた走った。
下半身に魔力を集中させ、一歩のたびに1メートルの距離を跳ぶように走る。
鬼の横腹を突くように現れたわたしを見た戦士が目を見開き、あらん限りの力で声をあげた。
「バカ野郎ッ! 退け! このバケモノは普通じゃねえ、けつまくって逃げろ!」
「――……やれるさ」
口の中で転がすようにわたしは小さく呟いた。
自信に根拠は無い。〝紋章〟を使っているわけでもない。
だが、それでもどうにかなるだろうという予感があった。
愚か者。命知らず。自殺志願者。
傍目にはそう見えるに違いない。
いいとも。呼び名などどんなものでも構いはしない。
わたしはただ、霧の魔物を殺すだけだから。
「――フッ!」
息を吐きだし、気合いと共に剣を横一閃に振り切る。
勢いを乗せた刃は鬼の肉を抉り、足首の腱を深く傷つけた。
前進し続けていた鬼がその動きをピタリと止め、攻撃者――身の程を知らぬ人間をじろりと振り返る。白目を剥いた顏がわたしを見た。血走り、黄ばんでいる。およそ正気ではない。
「ァアアァアアアァアアアッッ!」
目の前で大口を開き、威嚇――あるいは怒りを現してか。
鬼は汚れた歯を剥き出しにて叫び、右腕を掲げると鞭のように振るった。
大振りの一撃。力任せのそれだが、サイズがあまりにも巨大だった。
まともに受ければ骨は折れ、ボロ雑巾のように吹き飛ばされる。
大木のような腕が迫る中、わたしは跳躍し、盾で腕に触れると同時に身を転がした。
曲芸染みた回避。腕の表面で回転し、やり過ごす。
そうして起き上がりざまに地面を蹴り出し、鬼の横腹を目掛けて刺突を見舞った。
肉に刃の先が沈む。人間相手ならば急所だが、鬼に対してはどうだろうか。
どちらにせよ体のサイズが違う。
鬼にしてみれば針で突かれたようなものかも知れない。
「無茶しやがんな、黒髪!
やるぞてめえら! 若造だけに格好つけさすんじゃねえ!」
「おおおおおおっ!」
気勢が上がり、鎧の金具を鳴らして戦士が走り出す。
それでも依然として鬼の注意はわたしを向いていた。
ふたたび腕が振りかぶられ、拳が放たれる。
巨大な拳はさながら壁のようだった。速度は速く、回避しきれない。
「なら、こうだ……っ!」
左腕の盾を体の前に突きだし、殴りつけられる寸前に小さく跳ぶ。
途方もない衝撃。
腕、肩、背中。
全身へと痛みと衝撃が伝播し、奥歯を噛み締めたままにわたしの体が吹き飛ばされる。
力任せに投げたボールのように鋭い横一直線の軌道を描き、
数メートルの距離を吹き飛ばされたわたしは背中から地面に落着した。
二度、三度と体ごと跳ね、グリーヴのつまさきで大地を突き刺し、土を抉りながらに気合いで止まる。
「ゴオオオォォオオアアアアッ!」
口に溜まった不快を吐きだし、轟然と叫ぶ鬼を睨みかえす。
両腕を駆使して疾走する鬼の気配は殺気が具現化したようだ。
「とことんまでやる気か。
いいだろう、僕もそのつもりだ。どちらかが死ぬまで戦ろう」
回復の詠唱を呟き、腫れた左腕を淡い光で包む。
続けざまに下半身を魔力強化。
粉塵を散らして矢のように疾走った。
狙うは速攻。一撃の重さで競い合うつもりはない。わたしは速度で攻める。
殴打に味をしめた鬼はやはり拳を放った。
目元を力み、脅威を凝視する。
アドレナリンが分泌され、体感時間が圧縮される。……どうにか……見える!
弾かれたように横へ跳び、空気を消し飛ばすような勢いの拳を紙一重で回避した。
「っギッ……ッ!」
着地と同時に片脚で踏ん張り、再び跳ぶ。
脚部にひきつるような痛みを感じたが意識から押し出し、無視に徹した。
赤色の体に視線をやり、攻撃のポイントを見定める。
――……不思議だ。
今のわたしには斬るべき場所が、剣先でなぞるべき線が見えている。
迫る剣に対して、鬼の反応はあまりにも遅い。
勢いを乗せた一刀を赤色のすねに見舞い、振り抜いた剣を力づくで止め、脇下を鋭く切り裂いた。
〝迅閃〟の二連撃。
血を散らしながらの斬撃は鬼に苦痛をもたらし、赤熱した顏が色濃く変色していく。
と、戦士の一団が鬼の背中に斬りかかった。
不意打ちに鬼の体が大きく揺らぎ、怒りに金切声をあげて叫んだ。
「――ここだ!」
体の苦痛など目に入らなかった。
魔法詠唱によって空中に土の塊を作りだし、跳ぶと同時に足を掛ける。
それを足掛かりにして再びの跳躍。
鬼の腕に剣を突きたて、上半身をよじると勢いのままに赤い背中へと飛び乗った。
馬乗りになった羽虫を振り落とそうと鬼はもがき、狂ったように両腕を振り上げて背中を叩く。
人に見つかった蚊になった気分だ。
平手で打たれれば道中に見た無残な死体の仲間入りを果たしてしまうに違いない。
「無茶しやがんなアイツはっ! お前らあっ! 援護だ! 援護ォッ!」
戦士たちの剣に槍が一斉に振られ、ざぐり、と暴力的な音が重なり聞こえる。
たまらず鬼が痛みに両手を地面に突き、殺意の嵐が止んだ。
わたしは勝機を見た。
剣を引き抜くと手元に戻し、不安定な足場――鬼の背筋にその先端を突き刺した。
〝迅閃流〟を学んだ際に習得した、剣を魔力で覆う技術。これならば鬼の皮膚といえど容易く貫ける。
「う、おおおあああああああっ!」
背中に深々と剣を突きたてたままに鬼の肌を踏みしめ、走った。
わたしが気合いの咆哮をあげるにつれて肉が裂け、血が流れ、鬼が苦痛に叫ぶ。
肩甲骨のあいだで剣を全力で振り抜き、瞬時に逆手に持ち替えた。
殺意に満ちたわたしの視線が急所を見つめる。
「ふ……っ!」
細い吐息。
鋭い剣先をうなじへと向け、力の限りをこめて突き刺した。
途端、鬼が急激に身を起こし、発作のように全身を震わせる。
体ごと大きく揺らされる。窮鼠猫を噛む……ではないが、万が一もあり得る。
剣を惜しみ、柄を握り続けるのは危険だった。
そう判断したわたしは手を離し、地面に落着する。
「ようっ! やりやがったな、ただの自殺志願者かと思ったぜ!」
受け身をとるように地面を転がり、起き上がる。
すると駆け寄っていた戦士の一人がわたしの背中を叩き、粗野な顔に勝利の笑みを浮かべた。
わたしは彼に適当な返事を返し、死の淵でもがく鬼を見つめた。
鬼種は狂ったように両腕を振り回し、短い足で地団駄を踏んでいる。
憤激した顏は大空を仰ぐように上向き、耳を覆わねば鼓膜が破れてしまうような声量でとどろき叫んだ。
「っ! なんって声で騒ぎやがんだバケモンが……!」
人間たちが視線を注ぐ中で鬼はみじろぎを繰り返し、両手の拳の底で地面を打ち鳴らす。地震に似た震動が足元を揺るがした。
わたしの背後でかちゃり、と剣を構える音が聞こえる。戦士の一人が剣を抜いたのだ。
「あ、あああの野郎、まだやる気なのか!?」
声を震わせてそう言う男へ向けて、わたしは何度か首を振った。
「……いや、もう終わりでしょう」
「何で分かる!?」
どうしてだろうか。
わたしは数秒考えて、
「勘です」
「んだそりゃ……」
やがて鬼が片膝をつき、胸、頭へと姿勢を崩した。
ぐるる、ろろ……とやはり分からぬ言語を呟き……、鬼はその活動を止めた。
全身を切り裂かれ、自身の血の海に沈んだ魔物はもう何も口にしない。
確かに絶命したのだ。
霧がざわめいた気がした。
色のもやが震えるようにゆらぎ、砂が流れるような静かな音が聞こえる。
わたしが警戒をし、答えを探す中で戦士のひとりがぽつりとつぶやいた。
「霧が晴れるな。……こいつで終わりだったってことか」
「今回も生き残れたな。ったく、こないだからヤバイ個体が目立つぜ。
リブルスの南でこれだけの化け物が出るってのは洒落にならねえよ……ほんとに」
立ち上がり、虚脱感を引きずりながら鬼の死体へと歩み寄る。
死後の硬直を得つつある骸。
うなじに突きたてた剣を力任せに引き抜くと血液を払い、ぬぐう。
無言のままに鞘に剣をおさめた時。
タイミングを計ったかのようにどこからか強風が吹きつけ、辺りに立ち込めていた霧が散っていった。
戦いの幕引き。
魔と人が重なる死の時間はそうして終わった。




