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願わくば、霧よ  作者: 晴間雨一
七章『翡翠の道』
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096. 刃を見舞う


 緊急を告げる鐘の音が大通りに木霊していた。

 石畳や窓ガラスに音色が反響する中を、人々は一方向に向かって歩いている。

 

「霧だ! 霧が出たぞ!

 一般の方は教会へ避難してください!」

 

 甲冑を着こんだ連邦騎士が街角に何人か立ち、声を大にして避難を叫んでいる。

 彼らが指し示しているのは城もかくやという大きさの〝五神教〟の教会だ。

 ぱっと見る限りでは随分と堅牢に思える。避難先としては妥当だ。


「霧が出たってホント? 距離は?」

 

 人の流れをよそにして、わたしたちは騎士へと近付いた。

 アーデルロールの問いかけに対して騎士は即答せず、その出で立ちをじろりと見る。

 値踏み、というわけではないだろうが、怪しまれているのは良い気持ちがしない。

 

「冒険者か。ん……その顔、ルヴェルタリアの……?」

「へ? あっ。……ひ、人違いよ」

「そうか? ……そうだな。彼女がリブルスの田舎に居るわけがない」


 霧でどうかしたのかもな、と騎士がかぶりを振り、そしてわたしたちに向き直る。

 

「物見台の兵士が霧の出現を確認した。方角は<リムルの村>だ。

 今までとは違う――、例の濃く重たい霧だ。ここへの到着はおよそ20分程度」

「……近いわね」

「ああ。山肌を舐めるようにじわじわと這い進んできている。気味が悪いったらない。

 一般人には教会への非難を促しているが、君たちは――……」

 

 騎士の朴訥な視線がわたしとコルネリウスに向いた。

 顏ではなく、腰に下げた剣と背負った槍を見ている。

 彼は納得がいったように数回うなずき、

 

「冒険者だな? 良かったら加勢をして欲しい。

 現在我が国、マールウィンドでは

 ギルドと連携して霧の警戒・対応にあたる取り決めになっている。

……とは言っても冒険者は自由な存在だ。

 参加するのはボランティア精神の旺盛な者だけだがね」

 

 彼は肩をひょいと竦め、やや嘲笑の声音でそう言う。

 

「君たちも腕に覚えがあるのなら加勢してくれると心強いよ。

 では私はそろそろ。

 もし参加するつもりなら大通り沿いにある<小鹿亭>という酒場を訪ねてほしい。

 この街ではそこが酒場とギルドを兼ねているんだ」

 

 騎士が駆け足で遠ざかり、列の乱れを修正しようとしているのを遠目に見ながらにわたしたちは顏を合わせた。

 

「どうする?」と、コルネリウス。彼の顔はわたしを向いていた。

「加勢するべきだ。

 僕たちの旅が善を成す旅だというのなら、迫る脅威を見過ごすわけにはいかない。

 なんなら僕は一人だってやるよ」

 

 腰に下げた剣。その柄頭を指先で撫でつつわたしは言った。

 力は正しいことに使え。幼い日に父から授かった教えのひとつだ。

 弱きを助け、強きを挫く。わたしはその価値観を正しいと信じている。

 

「あたしもやるわ。ルヴェルタリアの出として霧は見過ごせないからね。それに……」

「? なんで俺を見るんだ?」

「旅の仲間の強さを見ておきたいしね。期待してるわよ、コールにビヨン」

「……あれっ。僕は?」


 信頼しているから強さの確認は要らないのだろうか?

 それならば嬉しいのだが、と思ったところで答えは少々違っていたことを知る。

 

 振り返ったアーデルロールはニヤリと笑うような、あるいは呆れたような顏をして、

 

「このアーデルロール・ロイアラートが、自分で選んだ近衛騎士の強さを疑うと思う?

〝ウル〟に単身で挑んだ度胸も何もかも含めて信頼してんのよ、ユリウス。行くわよ」

 

 わたしにとって、これ以上ない殺し文句だった。

 呆気にとられたわたしは数秒立ち竦み、何故だか頬を膨らませたビヨンに「ぼうっとしてないの!」と袖を引っ張られ、ようやく歩き出した。

 

………………

…………

……


<小鹿亭>には大勢の冒険者の姿があった。

 純人間から亜人(デミ)まで多様な種族。

 それぞれが武器に鎧と完全武装をし、酒場の奥に設けられたステージへと真剣な視線を注いでいる。

 

 雇われの吟遊詩人や旅芸人、踊り子が立つ半月状の形状をしたステージだが、

 現在は大柄な連邦騎士が立ち、壁に貼りつけた大きな地図をガントレット越しの指先でカツカツと叩いていた。

 

「霧は街の西方向から押し寄せてきている。そう、消失した<リムル>の方角だ。

 速度は遅いがひどく濃い。到達は約10分後と考えられている。

 この街の外壁には結界やら障壁といった機能はない、いざ魔物が現われれば討伐するしかないことを各人は覚悟しておいて欲しい。

 民間人を匿っている教会の守備には連邦騎士の一部があたる。

 魔物の討伐――表に打って出るのは我々と冒険者諸君だ。

……<リンシア>を任された連邦騎士を代表して、感謝を述べさせてほしい。

 協力に感謝する。本当にありがとう」

 

 厳めしい男がその頭を静かに下げた。

 騎士とはカタブツであり、融通の利かない連中だという認識が冒険者の中にはあり、だからこそ彼が礼を述べたことに目を丸くした者は少なくなかった。

 

「なら報酬は弾んでくれよ」


 誰かの調子の良い声が静寂を割り、それから笑い声が湧く。

 そうだそうだ、と合いの手が上がり、酒場に喧騒が生まれた。

 顔をあげた騎士は顏を綻ばせている。引き結んだ口元はやわらいでいて、言葉を付けるのなら「やれやれ、参ったな」だろう。

 

 霧との戦闘に参加する冒険者の全員がカウンターへと足を運ぶ。

 受付は全てが開かれ、ギルドのスタッフが参加証明のスタンプを押印したぺら紙を次々に手渡していく。

 

「何あれ?」とアーデルロール。

「見ての通り、証明書さ。国とギルドで起こした突発的な作戦ではよく配られるんだ。

 終了後にカウンターまで持っていく。んで報酬を受け取る。簡単だろ?」


 知らぬ男がアーデルロールの肩を叩いてそう言った。

 途端、胸の中に『不愉快』がバケツをひっくり返したような勢いで広がった。

 わたしは二人のあいだに割り入り、アーデルロールの代わりに言葉を返す。

 言葉の中身は……何だって良かった。

 

「それでは他人の成りすましがあるのでは?」

「ああ、紙を奪ったりな。素人相手ならそれも出来るんだろうが、冒険者だぜ?

 中には命を奪うのに狂ってる奴だっている。

 わざわざそんなアブナイ橋を渡るヤツは少ねえよ。ナイトくん(・・・・・)

 

 血管が切れる音が聞こえた。

 自制。自制。自制だ。

 指が白むほどに握り締めた拳に誰かの手が触れた。

 コルネリウスだ。彼はわたしに何を言うでもなく、男へと、

 

「教えてくれてありがとよ、先輩。お互い無事に生き残ろうぜ」

「おう。じゃあな、ルーキー」


 そうして男はカウンター前の人ごみの中に消えた。

 わたしは自分が呼吸を忘れていたことに今更に気付き、バツの悪い気持ちで振り返る。

 

「……ごめん」

「らしくねえな。戦いの前で気が昂ってるわけじゃないだろ? 冷静にいこうぜ、相棒」

「? 何かあったわけ?」

「アルル、お前マジかよ!? はあ……。まあいいわ。

 ほら、さっさと証明書受け取って表に行こうぜ。持ち場もそこで分かるはずだ」

 

 歩き出そうとしたところでビヨンがまたもわたしの袖を引いた。

 

「どうしたの?」


 そう振り返ると彼女はまたも頬をふくらましている。

 わたしの問いかけに対し、ビヨンの顏は赤らみ、

 

「うちにもあの、あのぐらいしてよっ」

「……? どういう意味?」

「もう~~~~……鈍感!」


 ぼかり、と拳で腕を殴られた。

 この一発で満足したのか、それでも収まらないのか。

 ビヨンはそっぽを向き、ずかずかとアーデルロールらの後を追っていった。

 腕をさすりながらにわたしは「さっきからどうしたんだ?」と困惑に考え込んだ。

 

 


 参加証明書を各人が受け取り、騎士の案内に従って街の外へ。

 平原の上に立つと濃霧はもう目と鼻の先に迫っていた。

 

 コルネリウスとビヨンの二人と旅をした期間に何度か目にした光景だ。

 霧は魔物を産み、人界を冒す。

 霧を総べると伝えられる〝霧の大魔〟が目覚めた今、この濃霧はどう変質しているのだろうか?

 常人が及ばないような怪物が出てきては、この大勢の冒険者と騎士とが一丸となっても勝てるか怪しいのではないか。

 そう思うと身震いがした。だが退くわけにはいかないし、そんな考えは毛頭ない。

 

「そういえばギュスターヴさんは?」


 杖を両手に握り、帽子を被り直したビヨンが言った。

 言われてみれば彼の巨大な姿はどこにも見当たらない。

 二メートル半の長身だ。見落とすはずがないのだが。


「見てないわね。けど大丈夫よ、あいつも来てるはずだから。

 北王の懐刀にして、ルヴェルタリア古王国随一の霧の狩人。

 それが〝王狼〟ギュスターヴ・ウルリックよ。

 なんならもう霧の中に単身で突っ込んで暴れてるかもね」


「大したもんだな。弟子入りしたいぐらいだぜ」


「あんたなら同じ槍手だし話も合うんじゃない?

 ギュスターヴは十三騎士団の団長を何人も育ててきたし、

〝巨人公女〟のメルグリッドの指南役でもあったんだから。

 教えるのを嫌がる男じゃないし、言うだけ言ってみるといいわよ」

 

「そうするよ。ま、その前にこいつを生き残らねえとな。――……来るぜ。霧だ」

 

 灰色の壁――おぞましい世界の呪い、霧が迫る。

 各々の胸に緊張が走る中、わたしは覚悟を決め、剣を抜き放った。

 

 もやが肌に触れる。ほんの一瞬、息が詰まり……音が消える。

 

………………

…………

……


「始まっちゃったね。もう後戻りは出来ないよ」


 女の声が聞こえる。

 どこかで耳にした声だ。これは……確か〝夕見の塔〟の……。

 

「廻りはじめた歯車はもう止まらない。わたしも君も前に進むしかない」


 分かっているさ。

 

「その意気だよ。さあ、剣を握って。心に勇気を灯して。

 両目を開いて――世界を見て。諦めなければいつか霧は晴れる。そうだったよね?」

 

………………

…………

……

 

 ビヨンがわたしの肩に触れた。

 酒場の時とは違う、気遣いのある優しい手だ。

 

「大丈夫? 魔力切れのダメージがまだあるんじゃないかな」

「動けるよ。心配してくれてありがとう、ビヨン。皆は居る?」

「おう」

「勿論よ。……とんでもない濃霧ね」


 互いに身を寄せ、霧の奥を睨んだ。灰色の底で何かの影がうごめいている。

 10……いや、20。

 揺れる影は随分と多い。まるで黒い地平線のようにも見える。

 

「ヴォオオオオォォオオ!」

「ッ!? この声……!」


 唐突に聞こえた咆哮に身震いした。

 大地を震わせるこの咆哮を忘れもしない。

 幼少のわたしが二度出会った怪物――……牛頭(ミノタウロス)のそれだ。

 

 続けざまに大きな振動音が辺りに響きはじめる。

 巨人が身を起こし、その手で大地を打ちつけでもしたような轟音だ。

 

「相棒!」


 コルネリウスが叫ぶ。わたしは振り向かず、応答を叫び返した。

 

「間違いない、奴だ!」


 長い雄叫びに呼応するように冒険者の一団が剣を抜き、叫びと共に駆けだした。

 それぞれの具足が打ち鳴らされ、霧の魔物の奏でる地響きと溶け合う。

 戦場の空気。命のやり取りの匂い。

 

 魔物の先頭が霧を抜けた。

 筋骨隆々とした屈強な人間の肉体、手に握る巨大な戦斧。その刃にはやはり血錆びが浮いている。かつてのわたしなら恐怖に足を取られ、身がすくんだかも知れない。

 

 だが今は――、

 

「――……違う!」


 コルネリウスの横から走り、ビヨンを抜き去り、アーデルロールよりも前へ。

 おぞましい咆哮をあげながらに怪物もまた走る。

 蹄が大地を鳴らし、戦場の高揚に吼えた。


 怪物の脇腹を突く狙いか、騎士が剣を突きだして飛び出した。

 ()った、と騎士は思っただろうが、怪物は淡い期待を暴力で打ち壊した。

 高速で振られる斧の一撃が繰り出され、騎士鎧がイヤな音を立ててひしゃげ、木っ端のように吹き飛び消えた。

 まるで『邪魔をするな』とでも言うかのように。


 黄ばんだ瞳がじっとわたしを見ている。戦いの誘い。挑発とも取れる気配。

 

 いいだろう、とわたしは身の内に歓喜を感じた。

 わたしに狙いを定めている理由は分からない。だが構わない。

 

 牛頭(お前)はわたしの過去の象徴だ。

 森で目覚めたわたしは牛頭に追われ、父に救われた。

 

 この場には父は居ない。

 父の代わりに立つのはわたしだ。……ユリウス・フォンクラッドだ。

 

 フレデリックから学んだ剣の技。

 フレデリックから学んだ義の心。

 あの日、あの時。わたしを救った父の背中を忘れたことなど一度も無い。

 

 指先で胸の前に円を描き、握り拳を作った。

 駆ける足は止まらない。走り、疾走(はし)り――、

 

「グルルルゥゥオオオアアアッッ!」

「お前の相手は僕だ! 来いっ!」


 振りかぶられる戦斧。迫る暴力を盾で受け止めた。

 重圧と衝撃が体を伝わり、大地にわずかに足が沈む。

 金属同士の衝突に火花が瞬いた。

 

 血を欲する戦斧を前にして、わたしはひどく冷静だった。

 この目は牛頭の狂気の視線と真っ直ぐに向き合っている。

 殺意だけが明確に伝わってくる。

 怒りと憎しみ。この獣は負の感情をわたしへと向けていた。

 

 無言のままで盾の表面の傾斜を利用し、斧を流す。

 暴力的な音を立てて斧の刃先が大地にめり込み、破砕された土が周囲に散る。

 ボッ、と牛頭の拳がわたしの脇腹を目掛けて放たれた。

 

 身をよじっての回避。かする感触が体を走るがどうということもない。

 振り抜かれた拳。伸びきった腕に剣の先端を突き刺した。

 そのまま容赦無く肉を裂き、霧中に怪物の血を散らす。

 

「ウゥゥゥグゥォオオ……! アアアアァッッ!」


 戦斧が大地から引き抜かれ、力任せに振り回される。

 筋も何もない、子供が駄々をこねるようなでたらめな動き。

 

 こめかみを狙う軌道を身を屈めて回避し、怪物の腿、足首の二か所の腱を断つ。

 ミノタウロスの巨体がぐらりと揺らぐ。わたしの目線の高さにヤツの首がある。

 

 視線が重なる。

 そこにあるのは命乞いではない。――憎悪だ。

 

 わたしの中に感傷は無い。霧の魔物はただ殺し、ただ潰す。

 

「……それだけだ」


 握った剣を風切りの音を立てて振り抜く。

 怪物の首に刃が沈み、一瞬後には両断した。


「まず、ひとつ」

 

 肉を断つ感触。これで魔物をまた一匹潰した。

……心を震わせる感情に今更に気付いた。

 間違いない。これは〝歓喜〟だ。

 

 わたしは殺しに喜びを覚える男だったのか?

 自問したが分からない。

 確かなことは、牛頭の怪物が目の前で死に、手に掛けたのはわたしだということだ。

 

 自分の心が二重にブレているような感覚がした。

 わたしの中に誰かが居る。〝紋章〟を使用した時に似た違和感。

 

「ギィィルルルルアアアァァアッ!」


 すぐ傍でまたも獣の雄叫びが聞こえた。

 そうだ。今は思考をする暇なんてない。

 自問など……この場を生き残り、夜闇の頃に考えればいいことだ。

 

 ふっと剣を振り、血を払う。

 この両目が見据えるのは霧の戦場。

 柄を握り直し、わたしは剣戟の音の中へ向けて弾かれるように駆けだした。

 

 

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[気になる点] 「ああ。山肌を舐めるようにじわじわと這い進んできている。気味が悪いったらない。  一般人には教会への非難を促しているが、君たちは――……」
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