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プロローグ

 ドジだったし、グズだった。

 亀と競争したって負ける絵が浮かぶ――アイツのそれは、まさに天性のそれだった。

 どんくさいし、とろいから。一緒に居ても、つまらないから。

 だからみんな、アイツを遠いところから見ていた。アイツを見る眼は、何時だって白く濁っていた。アイツはいつも、俺と同じで独りぼっちだった。

 だから、というわけではない。仲間意識が芽生えたわけでも、不憫に思ったからでも、勿論ない。

 それでも俺は、側に居た。気がつけば、アイツの隣に俺がいた。

 ドジで、グズで、泣き虫で、おまけにどうしようもなくアホで、でも、だから、そんなアイツの全てが、俺には眩しく思えたから。俺に足りないものを、アイツはたくさん持っていたから。

 だから、守ってやりたかった。保護者にでもなったつもりで、俺はアイツの隣にいた。

 転ばせないし、泣かせない。そして何より、いじめさせない。転びそうになったら支えてやるし、泣きそうになったら必死にごまかす。もしアイツをいじめている奴がいたら、女子だろうと殴って黙らせる。話だって聞いてやる。『うんとね、うんとね』を日が暮れるまでリピートし続けるようなつまらなく長い話だって、俺以外の人間と会話する時には隣に立ってやって、会話が成立するように通訳だってしてやる。

そんな馬鹿なことを、ずっと考えていた。ずっと、側にいるつもりだった。

 当時小学五年生だった俺にとって、とても同級生とは思えないアイツの身の周りの世話をしてやる事が、気がつけば何よりも生き甲斐だったんだ。……でも。

『うんとね、うんとねぇ………、ひぐっ、うぅ……、ひぃちゃんはねぇ……、遠い所、行っちゃうのぉ……?』

『……っそんなに、遠い所じゃない。引っ越すけど……。学校も、違うけど……』

 さようならを言う日は、すぐにやって来た。

 俺の転校が決まったからだ。家庭の事情だった。言うまでもなく俺は嫌だったが、引っ越す理由を知っていたせいで、母には何も言えなかった。

 夕暮れ時、カナカナとヒグラシが泣く、夏の終わり。

 いつもの公園の、いつものブランコに揺られながら。俺達の間に、『いつも』の最後がやってきた。

『……頼むから、もう泣くなよ。きっとすぐに、また会えるって』

『ふぇ…うっ……ほんとぉ……?』

『……うん、お前のグズと泣き虫が治って、今よりもうーんとっ! うーーんと強くなったらな!』

 俺は両手を目一杯に拡げて、白い歯を見せてニヤリと笑う。釣られてアイツもはにかんだ。釣られてくれて、俺はほっとした。

『…ひ……えぐっ…わかったよぉ……、うんと、うんと、つよくなる……。わたしねぇ……がんばるっ……!』

 頑張ると言った側から、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔。止まるどころか、頬を伝って涙が次々溢れ落ちていく。見るに堪えなくなった俺は、ブランコから勢いよく跳び降りた。そして、自分のポケットから無地のハンカチを引っ張り出すと、いつものようにそれを拭ってやる。

 これをするのも今日が最後なんだと、内心酷く沈みながら。

『だ、だから泣くなって……』

 俺と同じことを考えたのかも知れない。アイツは今までよりもっと、激しく泣き出してしまった。

 おかげで俺も、泣き出しそうだった。元より最初から、我慢していただけだったのだ。

 本当は俺も、泣いて楽になりたくて。根性で、ずっと堪えていただけで。鼻はツンとするし、手は震える。

 こんな状態でまともに拭ってやることなんて、出来るはずがなかった。俺もいよいよ、限界だったらしい。

『……あ、あのさ』

『……ひっ……えぐ……なあにぃ……?』

 俺は呟いてから、俯いて地面を見た。

 このまま離れ離れになってしまったらきっと、新しい生活が始まったって、何一つ手につかない。心配で仕方ない。

 そう思った俺は、自分の不安を取り除くためにある約束を交わした。

 もう、泣いてほしくないから。俺以外の友達をきちんと作って、楽しく、みんなと同じように生きていけるようにと。そういう理由で。

 けどそれは、本心を隠すためのカモフラージュで。本当の理由は、実は別にあって。

俺はアイツのためにという大義名分で、それを口にした。本当にアイツのためにもなるのだと、それも確かに考えて。

『……もし、今度会った時にさ。お前が、今とは全然違ってたらさ……。全然泣かないし、みんなと普通に会話とか出来て、ほんでもってなんでも独りで出来ちゃうような凄い奴になってたらさ……』

『……うん』

 この時の俺はまだ、何も知らない。その言葉の意味を、発言には必ず責任が伴うということを、親父に憧れるぐらいガキだったこの時の俺はまだ、知らない。

『……俺が──』

 俺はこの日のこの光景を、高校の入学式前日に夢として思い出す。それは偶然か、必然か。

「――って、ぬおっ! 寝過ごした!」

 何にせよ、これから始めようと思う俺のこっ恥ずかしい身の上話は、こんなこそばゆい夢から始まった。

「……くそっ、今日は早く起きてバッチリ決めなきゃならんのに」

 人は変わる。良くも。悪くも。人は変わっていく。

「俺は生まれ変わる。もう――あんな人生はまっぴらごめんだからな」

 これはただ、それだけの物語だ。

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