第一章(3)
「にしても、ここは外観だけじゃなくて部屋ん中まで陰気臭ぇんだな」
遠慮のない口調で、金髪の不審者…―――基、勇者(仮)は言い放った。窓から侵入している時点でこの男の辞書には遠慮という文字はないのだろうと容易に想像がつくが。
「陰気臭いって失礼だな、君は。一応レディの部屋なんだからさぁ」
こんなことを言いたいわけじゃないし言っている場合でもないことは、彼女自身重々承知はしているのだが、あまりに混乱すると口が勝手に動くんだな、と頭のどこか違う場所で彼女は冷静に思う。
「レディ…―――ねぇ?」
意味深に繰り返すと勇者(仮)は、彼女を上から下までジロジロと見回した結果、ため息をついた。
「…なんだよ」
「いや…―――俺が手に入れた情報だと、マオーってのは絶世の美少女って噂だったんだけど…―――一応聞くけど、お前、魔王だよな?」
絶世の美少女ってなんだ。そのはた迷惑な噂の出処はどこなんだ、一体。
「一応、そう呼ばれてるよ」
「一応?」
「そう、一応」
自覚もなければ、それらしい事もしていない彼女はそう答えるしかなかった。
「君と同じだよ。僕、周りから魔王って持て囃されてるモンなんだよね」
先ほどの勇者(仮)の言葉をそっくりそのまま引用して、自分の立場を説明する。
「絶世の美少女ってのはガセか」
「ご期待に添えなくて悪かったね」
ガセネタを掴まされた者にしてはあまり残念そうでもなく、勇者(仮)は肩をすくめた。
「どこのどいつだよ、そんなガセネタを吹聴した奴は」
「そんなの僕が聞きたいね。そもそも僕は生まれてこの方この城の外にすら出たことないんだから、僕の姿形を知ってるのはこの城の住人だけだと思うけど?君たち、人間が勝手に想像しただけでしょ」
「…―――生まれてから一度も城の外にでたことがない?」
「うん?」
彼女が言い放った言葉の中で男が聞きとがめた言葉は、彼女にとって意外なものだった。彼女にとっては、外の世界こそが恐怖であり、城の外に出ないことが当たり前だったのだから、そこまで興味を唆るとは思わなかったのだ。
「お前、いくつになる?」
「ちょうど百歳に」
「百!ババァじゃねぇか!おい、若作りしすぎだろ」
「君って本当に失礼だな。人間と魔族は、時間の流れが違うことくらい僕でも知ってるんだから、君も知ってるんだろ当然。ババァとはなんだ、ババァとは。魔族で百歳は、ちょうど一人前なの!ババァには程遠いわ!」
男のババァ発言は、どうでもいい主義の彼女も流石にカチンときた。城の重鎮達みたいなのと一緒にされるのは心外だ。花も恥じらう乙女だ。そこは譲れない。
「つまりは成人を迎えたってところか…」
「人間の慣習にはあいにくと疎いもんでね、成人が何かは知らないけど、まだまだひよっこだということは声を大にして言わせてもらいたいね」
ババァとは、リィナのことを指すんだ。と心の中で呟いたことは彼女だけの秘密である。
それまで、ニヤニヤと彼女を見定めるような笑みを浮かべていた勇者(仮)が、ふと真顔になり、窓の淵に腰を掛けた。そのまま落ちてしまえ、と思うのだが、例え落ちたとしてもコイツは死なないんだろうな、と根拠のない確信が彼女の心を占める。
「つまりお前は、百年間、この大陸どころか城の庭にすら出たことがない、と?」
「中庭くらいなら出たことはあるよ。魔術の訓練とかで…」
「城の塀の外には?」
「なんでそんなことしなくちゃいけないのさ」
「…――――とんだ箱入り娘だな」
「深窓の令嬢と言って欲しいね」
「そんな人間臭い言葉、箱入りマオーサマはどこで覚えるんだ?」
「人族の書物」
「あっそ」
心底興味がなさそうに男は吐き捨て、しかしその表情はどこか思案げだった。
それきり黙ってしまった男の、しかし何かを探るような瞳でこちらを見てくるその表情に言いようのない居心地の悪さを感じて、彼女は血色の悪い唇から言葉を紡ぎ出す。
「そ、れで?勇者と名乗る君は、魔王と名乗る僕を殺してくれるのかな?それなら、おとなしく殺されてあげるんだけど、形式上呼ばなくちゃならない側近がいるんだけど大声だしてもいいかな?それとも、このまま立ち去ってしまうのかな?その場合も結局侵入者としてみなさなきゃならないから、えっと警備担当を呼ば「そんなに死にたいの?」…――え?」
居心地の悪さをどうにか打破しようとつらつらと苦し紛れに連ねた言葉がぶった切られた。男からのその問いかけは思い返してみると二度目だった。
「そんなに、死にたいの?」
「…―――――」
すらり、と音もなく鞘から抜かれた剣身は薄暗い彼女の部屋でも、不気味なほど光って見えた。魔族はあまり、剣や銃などを用いて戦わない。勿論、より人族に近い形をとっている種族は扱うこともあるが、もっぱら己の魔力と身体能力を武器とする者が多数である。持っていても、形だけ、もしくは魔力をより高度に扱う為の媒体に過ぎない。
男が握る、生物を殺す目的で作り出されたソレは、とても。
綺麗だった。
「っ――――」
声も出ないとはこのことを指す言葉なのか。