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第一章(2)

「こうして、魔族と人族の間には深い深い溝が刻まれ、遥か昔から相いれることなく今に至る、というわけです」

パタン、と乾いた音を立てて年季の入った革表紙の分厚い本が閉じられた。

「理解できました?魔王様?」

本を閉じた女性に、目の前でぐでんと机に突っ伏す一人の少女を呆れた視線を送りつつ問いかけた。

「聞いてました?私の話」

「きーてたよー…あれでしょ、もう彼此二千年前くらいの話でしょ?なんで人間どもは、僕たちを殲滅する技術が全く向上してないワケ?二千年前は少なくとも僕たち魔族よりも文明が発達していて、国が複数あって、知能も僕たちと遜色なくて、魔力も今と変わらずあったワケでしょ?」

「それは、初代魔王様のお力により、世界の半分以上が壊滅的な被害を被り、人族は魔族との戦争よりも自分たちの生活水準を再度上げることが最重要案件となったためです。その際、初代魔王は、兵器や魔道書等、今後魔族に不利益になるであろうものから優先して破壊し尽くした為に復興に多大な時間を要したものだと考えられます」

「そーかー…、でもさっきリィサは初代魔王は至って温厚な正確で、悪く言えば甘ちゃんだったって言ってたじゃんー」

「―――…甘ちゃんだとは、表現しておりませんが…。温厚な者ほどキレると怖いんですよ、魔王様」

にっこりと黒い笑みを浮かべ、分厚い本を振りかざす女性に、魔王と呼ばれた少女は別に温厚じゃなくてもキレたら怖い、と零した。勿論、女性には聞こえない程小さな小さな声で。

「この続きは、また明日にいたしましょう。魔王様の小さな脳みそが膿んでしまわれると困りますからね」

「――――膿まないし。―――…てかなぁんで今更歴史なんて叩き込まれてるワケ、僕は」

「今更、ではありません。ようやく貴女が御年百歳になられたのですから、国の成り立ちくらい知っておかないと政務が出来ないでしょう」

「あぁ―――それで…」

「それとも、貴女は、ずぅっと私に代行させる気でしたか?うん?どうなの?書類処理ってめんどくせぇんだよ?じじぃ共もうるせぇし。もう千年くらい生きてんだから隠居しろってえの」

「リィナ、キャラ全放棄」

「と・に・か・く!これからきっちり働いてもらいますからね!」

 少女にリィナと呼ばれた女性は、少々きつい口調で言い含め、部屋からその姿を消した。女性、と表現したが、人族から見てリィナは決して同族とは見られないだろうことを少女は知っていた。リィナには額に小さな角、そして背中には黒い羽根が生えていた。何の半獣かは聞いたこともないので知らないが、少女が生まれてから今までずっとそばにいて育ててくれた親であり姉代わりであり、優秀な摂政である彼女は半獣族である。歳のことは禁句である。特に魔族は、見た目年齢と実年齢が全く噛み合わない種族が多いので気にもとめないが。

「政務ったって、今現状魔族は散り散りバラバラじゃんか…」

呟く彼女は、紛れもなく人族の姿形をしていた。先ほどの建国記に出てきた初代魔王のように、黒い髪、紫色の瞳、尖った耳を除けば―――…だが。そう、彼女は性別を除けば初代魔王と同じ容姿の特徴を有していた。これが、彼女が【魔王様】と呼ばれる理由である。あと尋常じゃないくらいの魔力の保有もその一つ。しかし、扱いきれなければ意味がない。彼女はぶっちゃけ魔力の扱いがド下手くそであった。その辺の生まれたばかりの赤子のほうがまだまともに扱うんじゃないか、くらいには。自我を持って五十年になる頃、大陸の東にある山をぶっ飛ばし、更地にしたのは良い思い出である。

「なんだって、こんなのが【魔王様】なんかに生まれちゃったのかねぇ…」

ふと、彼女は窓の外を見ながら呟いた。彼女に与えられている部屋は、この陰気臭い魔王城の中央に位置する塔の最上階。視界を遮るもの等なにもなく、ただ普段通りどんよりと厚く暗い雲がけが、窓の外に広がっていた。

 彼女は約百年前、この魔王城で生まれた。生まれた、という表現が果たして正解かどうか判らない。所謂両親というものが彼女には存在しないからだ。先ほど、読み進めていた建国記の最初の魔族達の様に、突然存在を許された、とでも言おうか。誰に許されたのか知らないけれど。いつのまにか型どり、いつのまにか自我を持ち。その頃には既にリィナがそばにいて。必要なことは全てリィナに教わった。

「今日から、貴女が魔王です」

だなんて、よくもまぁ自我をもったばかりの赤子に言えたセリフだと思う。

 魔王、という存在は世襲制でもなく投票性でもなく、その生まれ方と容姿、内蔵する魔力量なのだということは、リィナからも他の臣下達からも、また先代などの残した書物などからも知ることができた。先代の魔王は、手記から読み解くに極めて好戦的な性格をしていたらしい。嬉々として人間共の相手をしていたことが容易に窺い知ることが出来た。反対に、先々代は人間に対して温和な対応を魔族全体に求めたという。自ら人族の領土に出向き、対話を果たしたとも。しかし、それは勿論失敗に終わるのだが。彼女は特に勤勉な方ではない。読書もできればしたくない。しかしながら、運動は嫌いだ。魔術の訓練は見放された。一人前とは認められていない百年の期間は、やることがない。この城に残された書物を読み漁るくらいしかやることがなかった。

 その中で、一つ知り得た情報がある。人族の【勇者】と呼ばれる人物についてだ。建国記に登場してきた二千年前の初代は膨大な魔力を以てして人族を壊滅に追いやった。文明が発達し、兵器や武器、魔道書等を多大に有していた人族のそれらを、根こそぎ薙ぎ払った。しかしながら、その数年後、ある一人の人間の青年と一刀の大剣によって、あっけなく倒されているのだ。その青年の名前は残されていなかったが、そこに出てきた単語が【勇者】と【聖剣エクスカリバー】の文字だった。調べていくと、先代も、先々代も、その前もずっと。初代と同じ死に方をしている。魔族にも老衰は存在する。しかし、老衰で命を真っ当した魔王や、他の兵器で殺された魔王、ましてやクーデターにより味方に殺された魔王はどの書物を漁っても見当たらなかった。【魔王】が死ぬには【勇者】と【エクスカリバー】が必須なのだ。何故か、などと考えてもきっと無駄なのだろう、と彼女は薄々気付いていた。己の存在のように、不安定で不明瞭で、その現象が決められたこと、なのだ。きっと。理由なんぞ、彼女にとってどうでもよかった。大事なのは、自分が死ぬ方法が分かったことだった。

「早く、殺してくんないかなぁ。もう政務やらなきゃならない歳になっちゃったんだけど」

歴代魔王の死に様について記された書物を見つけたのは本当に偶然で、僥倖だった。ゆったりと流れる時の中、やることもなくやらせてもらえることもなく。外に出ることも出来ず、またそんな怖い事したくもなく。とどのつまり、彼女は生きるということ自体に何の執着も持っていなかった。人間と対峙しようだとか、人間と和解しようだとか、魔族全体をまとめてもっと組織立てようとか、魔族を守らなきゃだとか。そんな大それためんどくさい考えは一切浮かんで来ない。

 彼女にあるのはただの、無、だった。

「勇者様、早くこないかなぁ」

魔王城の書庫にはなんでもある。なぜか、人族の書物も少なくなかった。人間贔屓の魔王でもいたのだろう。人族の文字は、難解な暗号のようなものでいい暇つぶしになった。一番面白かったのは、童話と呼ばれる種類の書物だった。皆、一様に魔王が悪役で、魔王にさらわれたお姫様を勇者か、もしくは隣の国の王子様が救い出して恋に落ちてハッピーエンド。魔族側から見ればどこがハッピーエンドだと言いたいし、そもそも人間の姫攫ったところであんまり魔王にメリットないし、あ、こいつ愉快犯か、と思うし。けれど、彼女は今、そんな昔に読んだ童話のお姫様みたいなセリフを吐いてみる。

「勇者様、どうか早くお越しくださーい」

まるで姫感がないのは何故だろう。一応魔王だから王室の女性イコール姫でもいいと思うんだけれど。

「あー、死にたいよう」

彼女一人が寝るには大きすぎるベッドに倒れ込んで口癖になった言葉を吐く。リィナが居る前では言わない。政務から逃げる気か、とめちゃくちゃ怒られるからだ。いつも思うが、怒るポイントそこ?まぁ、いいけど。

「死にたい。死ぬとどうなるんだろう。あんまり、痛い思いはしたくないし、すっぱりと殺してほしいんだけど」

生、という概念がもともと実感としてない彼女にとって、死、という概念もあまりよく分からない。その場所からいなくなる、ということは分かっている。リィナとも会えなくなるというもの理解している。しかしながら彼女にとって不幸なことに身近に死んだ者が出たことは彼女がこの世界に存在を許されてから今まで一度もなかった。

 人族と魔族との抗争は未だに続いていることは知っていた。しかし、人族の手がこの彼女のいる魔王城まで伸びることはなく、ということは彼女の目の前で戦いが行われることもなかった。そこに加えて、魔族は長寿である。城の重鎮共は先代の魔王の時からの臣下もいるが、魔族の中でも高齢とは言え、老衰までは少なくともこの百年ではしなかった。

 死、を目の当たりにしたことのない彼女にとって、それはこの退屈で何もない現状から怖い思いも痛い思いも、面倒くさい思いもせずに抜け出す為の手段としか思えなかった。自分という者にそれほど価値があるとも思えないが為の思考回路でもある。

「早く、殺してよ。…勇者ってヤツが、さ」

「そんなに死にたいの?」

「そりゃもう。なんていうかな…死にたいってのが口癖になってるのは自覚してるけど言わずにはいられないっていうか…―――って、お前、だれ?」

死にたい、なんぞと宣うと幸いなことに激怒してくれる(それが果たして自分を想って激怒してくれるのか、自分が死んだあとの諸々のめんどくさい政務の為に激怒しているのかは、はっきりさせず曖昧にしておいた方がいいと本能で理解している)リィナが常に傍にいるせいで、己の発言に返って来た言葉に、条件反射のように言い訳じみたことを返しかけて、はた、と思い出す。

 ここは、仮にも魔王である自分の自室であり、何人たりともおいそれとは入室してこない(勿論一部例外人物は存在するが)はずである、ということを。

 ましてや、こんな目がチカチカしそうな金髪をしており、健康そうな肌色のニヤついた男なんぞ、生まれてこのかた見たことがない。

明らかに、不審者だ。

 悲しいかな、文字通り箱入りの人生(魔生?)を送ってきた彼女は、その不審者に対してどう接するべきか頭が働かなかった。故の間抜けな誰何である。

 よいしょ、と窓枠を乗り越えて侵入してくる不審者は、この部屋が城の中央に位置し、また最上階であることを承知で壁を登ってきたのだろうか。それはすごい体力だし、城の警備は一体何をしているのか後で姉代わりに聞いてみないといけないなぁ、等と半ば現実逃避気味に彼女は考えた。

「誰…―――うーん…、誰って聞かれると困るんだよなぁ…。じゃあ、お前は誰だ?」

なぜ、不審者にこちらから名乗らなければならないのか。質問を質問で返される意味が彼女には全く検討もつかなかったが、その不審者は答えを避けることを許さない、妙な威圧感を出していた。

「僕?僕は、えぇっと…」

問い返されて、言い淀み、確かに誰?と聞かれると困るんだ、ということにようやく気づいた。彼女にも名前というものはある。しかし、初対面の不審者に名乗ったところで、自分は何者である、という答えにはならないような気がする。また、彼女には魔王、という肩書きがあるが、周りがそう言っているだけで、彼女自身「魔王です」なんて胸を張って答えられるだけの何かを持ち合わせていない、と感じている。

「えっと…――――」

もごもごと、口ごもる彼女に何やら納得をしたのか、不審者は肩をすくめつつ溜息を零した。

「あぁ、分かった分かった。仕方ねぇから俺から応えてやるよ」

「え?」

「あったま悪ぃなお前は。お前の【誰】って問いに俺から応えてやるってんの」

ふん、と鼻を鳴らし、ガリガリと面倒くさそうに髪を掻き上げたあと、不審者は、なんでもないような声音で言った。

「俺、周りから勇者って持て囃されてるモンなんだよね」

「え?」

「お前がさっき、早くお越し下さーいって待ちわびてくれてた【勇者】だよ」

…―――そこから聞かれていたのか。ヒク、と彼女は自分の口の端が痙攣するのを自覚した。

 それを知ってか知らずか、金髪の不審者は、ニィ、と満面の笑みを浮かべながら、彼女に一歩近づく。


「あそぼーぜー、マオーサマー」


 彼女は、生まれて初めて冷たい汗を背に滲ませた。


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