プロローグ
どんよりとした厚く暗い雲に覆われた空。じめじめと湿った壁や床。顔色の悪い臣下共。口煩い姉代わり。魔王と呼ばれる彼女の世界はたったそれだけだった。
どうやってこの世に生を受けたのかも覚えていない。いつの間にかここにいて、いつの間にか自我を持ち、いつの間にかこうして魔王なんぞ有り難くもない地位に就いている。
魔王なんてそんなもんよ、と姉代わりが言った。正直、そんな得体の知れないモノを王に据える魔族の行く末が案じられるのは自分だけなのだろうか。いや、もしかしたら己の出生を知らないのは己だけなのかもしれない。周りは知っていて敢えて自分に教えていないのかもしれない。とにかく、彼女は【自分】という存在に疑問を感じながら日々代わり映えのない日常を過ごしていた。
魔王、とは肩書きだけで特に何かするわけではない。いや、その肩書きこそが最重要なのだ。どうやら魔族と人族は対立しているらしい。らしい、というのは彼女自身が外界との接触を絶っているからで、そういった情報は臣下や側近の姉代わりから与えられる知識だからだ。ただ、与えられずとも、白に貯蔵してある膨大な書物から得る知識によれば、遥か古来より現在まで、その対立に決着が着いていないことくらい容易に知ることができた。そして、先代の魔王も先々代の魔王もその前もずっと。代々魔王という存在は人族の勇者、と呼ばれる存在に殺されてきた、ということも。魔王が勇者に殺されれば、次代の魔王が誕生するまでの間、人族に平穏が訪れるから、らしい。まったくもって迷惑な話である。まぁ、好戦的な魔王もいたらしいし、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが、自分みたいな穏健派…―――ただの面倒くさがりを穏健派と呼ぶのはおこがましいかもしれないが…―――にとっては理不尽極まりない。
けれど。
理不尽だろうがなんだろうが、己の未来は決まっているのだから。
魔王は勇者に殺される。
それが運命であり、決定事項であるのだ。それに、幸い不安も不満も感じない。何故なら彼女の口癖は、
「あー、―――…死にてぇ」
どうして、死にたがりの魔王なんぞ誕生したのだろうか。魔族にとって最大の不幸は、彼女が魔王として生を受けてしまったことである、と彼女は胸を張って言える。生きる気力無い者が何らかの組織の上に立ってはいけない、というのが彼女の持論だった。
彼女は、自分が肉体的にも精神的にも不安定であり不明瞭で不確定であることを自覚していた。
「楽しくない、面白くない、変わらない、変わりたくない、このままでいい」
だから。
「はやく殺してよ、勇者ってやつが、さ」