夢し故郷をはなたれて ~アーサー王伝説異聞~
久々にネットで観返してたらば、浮かんできてしまった妄想。はい、書いちゃいました。時代設定やら人物造形やら適当で、かつ山なし落ちなしのこの小品ですが、後悔はしていません。
「ランスロット様、ガウェイン様、湯浴の準備が整っておりますので、お入りください。あぁ、ほら、ガラハット様も逃げないでください」
広大なローマ帝国の端の端。ユリウス・カエサルが渡って以来、その「初代」ほどの軍才はなかったものの、志ならば負けなかった歴代皇帝達が着実に領土化していったブリタニア属州の端の端、皇帝ハドリアヌスが築いた長大な壁を守る駐屯基地である、ゼゲドゥヌムでは、いつもの光景が繰り広げられていた。
「あ~ガイウス。俺はいいよ。今日はほら、寒いしさ」
小雪がちらつく中での巡察行から帰ってきたばかりのランスロットは、肩あてにうっすら積もった雪をこれ見よがしにはらいのけつつ、あさっての方向を見たまま答えた。
が。垢すり用のストリジルにマッサージ用の香油をいれた駕籠をいくつもその細い腕に下げ、身体を拭くための麻布を何枚も薄い肩にかけた黒髪黒目、ブリタニアではあまり見かけない象牙色の肌を持つ小柄な小姓、軍団内でひそかに小鬼と呼ばれているガイウスに、そんな言い訳は通用しなかった。
「寒いからこその風呂です。温浴冷浴と交互に入り、マッサージも受けていただければ、血行が促進され身体の芯から温もりますよ」
明日は州都から伝令の方が来られるんですから、綺麗になるまで逃がしませんよ?
あくまでにっこりと。その顔だけ見ればあどけなさすら感じるはずの小姓の小さな頭に、するどい一対の角を幻視した歴戦の勇者ランスロットは、
「そ……そうだな。きっと温まるよな」
お風呂セットを受け取り、すごすごと基地の中心部にあるテルマエへと向かった。
あ、洗濯物はきちんと出しておいてくださいね~。
追いうちのごとくかけられたガイウスの言葉に、心なしか落ちていた肩が、さらにがくりと下りてしまったのはしょうがないことだろう。
「はっ、『円卓の騎士』ともあろうものが、情けねぇ。身体をあっためるなら酒でも飲むさ。もしくはかわい子ちゃん達と愉しむのも」
雪と泥で重たくなった濃い金色の長髪をうるさげにかきあげ、顔を覆う髭さえなければ、騎士の中でも愛嬌のある顔をしているガウェインが、いつもは愛刀を背負う広い肩を落として歩み去る同僚を鼻で笑うが。
「マニヤさんに言いますよ」
小姓の冷たい一言で、固まった。
「っちょっ、冗~談だろ、冗談に決まってるじゃねぇか」
軍団兵・補助兵の別なく、ローマ軍では兵士の妻帯は認められていない。が、建国以来、臨機応変を旨とするこの国では、「正式」ではない現地女性との関係ならば不文律として認められており、駐屯する間に子をなし、満期明けには退職金として周辺の土地をもらい、現地にそのまま居つく者も多かった。
ガウェインもその例にもれず、周辺の村出身のマニヤとは、彼がここブリタニアに派遣されて以来の仲であった。
「そうですよね~。あ~んなに美人で気立てがよくて、ガウェイン様一筋のマニヤさんがおられるのに、浮気、なんてするわけありませんよね~。はい、そのマニヤさんからの差し入れで、香りのよいハーブの精油です。しっかり身を清めた後でお使いください」
「お、おぅ……」
汗臭い男では、百年の恋も冷めますからねぇ。
そう言いながら、お風呂セットの駕籠の中にいれられたテラコッタの小瓶を指さして説明されれば、無頼で鳴らすガウェインとて断るすべはない。
ランスロットと同じく肩を落として、テルマエへと向かった。
「……ガラハット様? どちらにおでかけですか?」
僚友ふたりが攻撃されている間に逃げ出そうとしていた、赤味を帯びた金色の短髪巻き毛、ファニーフェイスがひそかな悩みのガラハットの手縫いのブーツに包まれた足が、あげたままの状態でぴたりと止まった。
「雪と草と泥にまじって、なんだか血の匂いもしていますよねぇ? まさか、治療もしないで放っておく。なんてことは、なさいませんよねぇ?」
「っ…ち? ……あぁ血か、いやそんな匂いオレはしねぇけどなぁ? あ、ほら巡察中に仕留めた雉の匂いじゃねぇか? ガウェインと競争して他にも獲ってきたから、今夜はご馳走だぞ~」
「それは良うございましたが、怪我をされていないのなら、この太ももの穴は、なんでしょうねぇ?」
小姓であるガイウスや、本国生まれであることを誇りに思っている士官達は長衣の下に太腿までの短衣を着るだけだが、ランスロットやガウェインのような補助兵たちの多くは、長年の習慣からチュニカの下にさらにズボンを穿いている。
簡素な毛織布を脚の長さに合わせて切って縫い合わせただけのズボンの、馬に乗った時にあらわになる左太ももの真ん中あたりに、矢で射られ、無理やり抜いたような穴が開いていたのだ。ほつれた穴の周辺にはうっすら血も滲んでいる。
ガラハットにしてみればマントでうまく隠していたはずだったが、この駐屯地の司令官であるアルトリゥスから、若輩の身にも関わらずすべての雑務の統括を任されている小姓ガイウス、正規兵の出世の登竜門である財務官達からも頼りにされているガイウスの目をごまかせるわけもなく。
「っってぇ―――ッッ!! いててっ、鬼か、悪魔か、助けて神様~」
いつの間にか壁際に追い詰められ、目にもとまらぬ速さで太腿をつかまれ、容赦なくその穴に細い指をつっこまれ。荒布でおさえただけのソコを、ぐりぐりと押されてしまった。
「ほぅらやっぱり、怪我をなさっておられるではありませんか。現地の民が使う矢じりの先には、自生する毒草の汁が塗ってある事が多いんですから。きちんと治療されなければ、最悪足切断なんてことにもなりかねないんですよ。それで州都まで帰されたマテウスさんのこと、お忘れですか?
大体、この軍団一勇猛と称えられるガラハット様が、少々傷を確認されたくらいでなんです情けない。闘いの神ミネルバや大神ユピテルに笑われますよ」
「へっ、ローマの古臭い神なんざ知るかっ。俺は天上のおわす唯一の神一筋よっ! っていうか、いい加減離せ! お前だって本国出身なんだから、キリスト教徒だろうがっ、『隣人を愛せよ』だろうがぁっ」
「おあいにくですが、わたしは皇帝属州のアレクサンドリア出身です。そして先祖代々多信教ですので、ガラハット様の『隣人』ではありません。さ、治療院へ行きましょうね~。それからきっちり傷が濡れないようにした後お風呂です。早くしないと、ご飯なくなっちゃいますよ?」
「鬼~っ悪魔~っ!」
ハドリアヌス帝が築かせた城壁の北から迫るサクソン人や、ブリタニアから海を渡ったガリア北部やゲルマニアの部族に比べれば、黒海は沿岸を出身とするサルマティア人のガラハットの背は高くない。
そのガラハットの鼻の位置ほどの身長しかなく、手足の細さも半分しかなさそうなガイウスだが、どんな技を使っているのか、痛みでもはや涙目になっているガラハットがふりほどこうと暴れても、びくともしなかった。
「……ガイウス」
と。はた目には、ギャイギャイ言いながらじゃれ合っているようにも見える彼らの後ろ、正確にはガイウスの後方、頭一つ分上から、少し掠れた低い声がふってきた。
「…愉しそうだな」
「ってめっ、トリスタンっ! これが楽しそうに見えんのかよ!?」
額に青筋をたててがなるガラハットに、風呂からあがったばかりらしく、洗いたてのチュニカの肩にかかるこげ茶色の髪から滴を垂らしたトリスタンは、同僚と小姓をしばし見比べた後、こっくりと頷いた。
「あぁ、見える。ガイウスは笑っているし、迫られているガラハットも、満更ではなさそうな顔をしている」
「…っ満更でも迫られてもねぇ!」
「そうですよトリスタン様。これは迫っているのではなく、治療前の確認です。……って、また髪も乾かさずにほっつき歩かれて! お風邪を召されますよ」
ガラハットを逃がさないよう、身体は彼に向けたまま、顔だけ声の方向にむけたガイウスのアーモンド形の目が、きっとつり上がる。
「火を絶やさず焚いているとはいえ、本国やアフリカ属州に比べればここは寒いんですよ? いくらお国で寒さに慣れておられるとはいえ、円卓の騎士であるトリスタン様が病に伏されたら、この基地はお終いです! はい、申し訳ありませんが、すこし屈んでいただけますか。とりあえず水気をとってしまいますから」
目を吊り上げつつも、肩にかけた柔らかくした麻布をとり、手を下にさげて促す。トリスタンが素直に屈めば、ふわりと布をかけて、あくまで優しく、しかし素早く軽く叩くようにして、水気をとっていく。
「…言われたとおり洗ったら、左右と、後ろの三つ編みがひとつ、解けた。結ってくれ」
自分より頭ひとつ分以上小さい小姓がやりやすいようにと、膝を曲げ、腰を屈めたまま、ぽそりと呟くように言う。
「いや結ってくれって、トリスタン様。湯殿にウルリウスかヴィプサニアがおりませんでしたか? 御世話するように言っておいたのですが……」
「……結ってくれ」
主に浴場を担当する奴隷二人の名をあげ不審がるガイウスの質問には答えず、かけられた布と黒にちかい焦げ茶の髪の間からまっすぐ見返し、同じ言葉を繰り返すトリスタンに、ため息をひとつついてこの小姓が頷くのも、実はいつものことだった。
「はぁ。わかりました。まずは火の前で御髪を完全に乾かしましょう。…ガラハット様は、ちゃんと治療お受け下さいね。アルトリゥス様には私から報告しておきますから」
その隙にと背を向けて逃げ出そうとしてたガラハットだったが、ガイウスの言葉に顔を真っ赤にして、振りかえりざま怒鳴った。
「っ、アーサーにちくるのは卑怯だろうっ」
「アルトリゥス(アーサー)様は、この駐屯地の司令官であらされますから。駐屯地内で起こった全てのことを把握されるのは、当然ですよね?」
「ちっきしょ~っ行きゃあいんだろ行きゃあ。アッタロスのヤブ爺に見せりゃいんだろっ」
「アッタロス先生はヤブ医者ではございません。傷を放置するようなお馬鹿さんを懲らしめるために、わざと沁みる薬を出されたりするだけです。現にアルトリゥス様やトリスタン様は名医とお認めになられてますよ。そうですよね、トリスタン様」
「あぁ。……さっさと行ってこいガラハット」
ガイウスにかけられた布を頭にのせたまま、背を伸ばしたトリスタンが追い払うように手を振る。
自分の頭より少し上にあるその顔と、その前に寄り添うように立ちながら、我が意を得たりと満足げに笑うガイウス。そして、その小さな手をいつの間にか握っている、剣ダコのある節くれだった大きな―――友の手を順繰りに見て。血の気と同じくらい茶目っ気のあるガラハットは、にやりと笑った。
「へ~いへい。小姓様のご命令通り、いってきますよ~だ」
「……ガラハット」
瞬間、二段階ほど低くなった友の呼びかけに、返事もせずに駆けだした彼の危機回避能力は、軍団一である。
「ほんっとにガラハット様は落ち着きがありませんよねぇ。トリスタン様を少しは見習ってほしいものです」
大体、お怪我されているのにあんなに駆けられたら、傷に触るじゃありませんか……。
あっという間に見えなくなった背中を見送りながら、きりりとした眉をすこし顰めてそうぶつぶつ呟くガイウスの手を、トリスタンがひく。
「いくぞ」
「あ、あの、トリスタン様? …いつも、いつも手をひいて頂くのは大変ありがたいのですが、私も子供ではありませんし、この基地内でしたら、もうトリスタン様よりも詳しいのですが……」
小姓であり、司令官直々に駐屯地全体の雑務を任されているとはいえ、ガイウス・ユリウス・クィントゥスは、司令官付きの小姓である。
つまり上司はアルトリゥスだけなのだが、補助兵とは言え司令官の子飼い中の子飼い、「円卓の騎士」などと呼ばれるトリスタンの手を振り払うことなぞできるわけもなく。
確かに童顔で、知らない人からはいまだに子供扱いされることもあるけど、そろそろ信用してくれてもいいんじゃないかなぁ……。
と、内心凹みながらも、大人しく手を引かれるまま歩くのであった。
「や~れやれ。ガイウスもいい加減、気づけっつうの」
そんな二人が見えなくなったのをしっかり見届けて、柱の陰からでてきたのは、先ほど脱兎のごとく走り去ったはずのガラハットである。
そのカールした金色のひげに埋もれた口元は、なんとも言えない笑みで少々歪んでいた。
「『死神』トリスタンときっちり目を合わせて話せるなんて、軍団全体でもオレらとお前しかいないって~の。付き合い長いマニヤだって、さり気に目え逸らしてんだぜ? 臆病な奴隷たちが近づけるわけあるかよ。
第一あのトリスタンが、お前以外を髪結わせる為とはいえ、後ろに立たせるわけねぇだろ」
ある日。壁を乗り越えやってこようとする原住民との、小競り合いの後。数では勝る敵を首尾よくしりぞけ、あの時自分は、すこしばかり浮かれていたのだと思う。
地に伏した敵兵に生き残りがいないか確かめていたらしい僚友の肩に、健闘を称えあおうと何の気なしに斜め後ろから伸ばした自分の手は、あっという間にねじり上げられ。気がつけば首元に、まだ血で濡れた二股に裂けた先のそった刃が、あてられていた。
「……トリスタン。それはガラハットだ」
驚きと、死んでも認めたくはないけれど身体がしびれるほどの恐怖で、喉が干上がってしまった自分の代わりに、上官の落ち着いた声が、死神を止めた。
「……あぁ」
ひたりと自分を見据える、なんの感情も見えない、冬の黒海と同じ底の見えない黒に近いこげ茶色の瞳を、薄いまぶたが一度覆い隠して、トリスタンがわずかに頷いた。
「っ……悪い。驚かせ、ちまったか」
ひりつく喉を無理やり動かし、歪んだ笑みまで見せたのは、戦士としてのなけなしのプライド。
それに生真面目な表情でこくりと頷いたトリスタンに手をあげて、自分の馬に飛び乗ろうとしたのだが。
「……できれば、俺の後ろには立たないで欲しい」
次は、止められないかもしれないから。
淡々とそう告げた同僚に、それでも頷き返した自分は、えらかったと思う。
偉大なるローマ帝国の端も端。帝国初期の頃からの属州であるガリアやアフリカ属州に比べれば。実入りも住人もすくなく、ただただ水気の多いこの辺境の地に流れ着いて、幾年たったのか。
除隊後に「ローマ市民」になれるとて、故郷から遠く離れたこの地でただひたすら壁の「内側」を守る日々。何たる辺境の地。はやく都に帰りたいものだとぼやきながら、州都からときおり伝令に来る、お綺麗な赤いマントお坊ちゃんどもは言うけれど。
城壁に比べりゃ、いくつもの公衆浴場だけでなく円形競技場まである州都は十分都会じゃねぇかと、暗い笑いがこみあげてくる。
俺たちも、大将に連れられて、ずいぶん遠くまで来ちまったもんだな、と。
そんな灰色の辺境勤務の日常で、いつのまにか見かけるようになった光景。
司令官であるアーサーか「円卓の騎士」以外とはほとんど喋らないトリスタンが、いつも真一文字に引き結んだ薄い唇に、ほんのわずかとはいえ笑みまで浮かべて、話しかける唯一の相手。
それが、ある日何処からともなく上官殿が連れてきた少年、ガイウスなのである。名前からすればローマ帝国の自由民、しかも家門名まで持つということは、貴族出身か、「初代」皇帝ユリウス・カエサルが元老院に入れるため自分の家門名を大盤振る舞いしたらしい、どこぞの部族の子どもか。
正直どこの誰でもあまり興味はないが、この地でも故郷でも見かけない顔立ちを見れば、よほど遠くから来たのだと知れる。
まだ年端もいかない年少の身で。自分たちよりよほど故郷から離れ、一人でいるはずなのに、いつも屈託なく笑い、頼みもしないのに何くれと自分達の世話を焼く少年。
その姿に、笑顔に、どれだけ癒されているかなんて、口が裂けても自分は言えないけれど。
「ま、あれだな。まっさかあいつが、ローマの悪習に染まるとはねぇ……。そりゃガイウスはこっちの年増女たちにくらべりゃ手足も腰も細いし、お肌もぴちぴち? っつうか、肌理が細かいっつうか、さわり心地よさそうではあるけど?」
そう呟いた瞬間、あの日首元にぴたりとその片刃をつけられた時よりも、数倍危険な寒気をガラハットは背中に感じた。
慌てて見回すが、あの底の見えない、黒い大きな細めの目は、どこにもない。たぶん。
「ま、まぁ。どんなんでも、自分とおんなじモノがついてる相手を組み敷くとか、ないわ~。うんないない。俺にその気はないから。これっぽちも。かけらも!」
ことさら大きな声で断言し、そそくさと、医師アッタロスが待ち受ける医療院へと、足を向けた。
一番光を当てたかったトリスタンが寡黙で危ないキャラになってしまったり、映画の主役アーサーが、一言しか出番がなかったり。
さらには、「ガイウスは実はタイムトリッパーでしかも女で日本人で、トリッパーはともかく女なのはアーサーしか知らないはずなのにトリスタンが野生の勘でそれに気づいてて」とかのありきたりのネタがあるにはあるのですが、うまくつながらないのでここらで筆を置きます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。