6分半劇場:地デジ・タイマー
「転職することになったんだ」
佐藤はそう切り出した。彼は僕の学生時代の友人だ。
僕は久しぶりに無二の親友と会えたことに喜び、少し飲みすぎたようで、その言葉をくみ取るのに少し時間を要した。おそらく佐藤も同じくらい酔っているはずだ。
「そうか。おめでとう」
僕は答えた。
2軒目でやってきたこの少し落ち着いたバーで、僕たちは静かに飲んでいる。終電の間際ということで他の客はほとんどおらず、店の方も閉店の準備を始めていた。
「そう言えば、今の君の勤め先についてあまり知らなかったな」
僕は尋ねた。お互いに就職してから数年が経つが、佐藤と会ったことはほんの2、3回しかない。そしてどちらも互いの仕事の話についてはしなかったはずだ。佐藤の勤め先はたしか大手電機メーカーだったはずだが、その後彼がどのような部署で何をしていたのかはよく知らない。
「それについて、ちょっと話したかったんだ」
佐藤はそう言ってから、勢いを付けるようにしてグラスのウイスキーを飲み干した。
「聞いた話だけど、いまテレビというのは本当に売れてないらしいね」
「へえ」
「地上アナログ放送終了の反動だよ。地デジ政策で強制的にテレビの買い換え需要を作った結果、全国の家庭で一斉にテレビが購入された。しかし世間では「家電製品は壊れたら買い換えるもの」という意識が浸透している。だから壊れるまで買い換えない。それを強制的に買い換えさせたので、壊れることによる需要が一時的になくなってしまった。みんなが一斉に買い換えたテレビが壊れるまでね。ライフサイクルを潰してしまったんだよ」
「それは、ネットのニュースでも言われてるね」
「需要が一時的になくなっただけでテレビ産業は窮地に立たされる。売り上げが上がらない。一斉に壊れ始めるまで待ってられない。たぶんその時期はHDDの壊れる5年後あたりになるだろうからね」
「ふむ」
「でも一つ手がある。壊れないなら壊せばいい」
「それって、ソニータイマーってやつ?」
「ああ」
佐藤はウィスキーのお代わりを頼もうとしたが、もう閉店準備を始めている店員からは断られてしまった。
「ちょっと待て、佐藤よ。今までの話の流れからすると、君は電機メーカーでソニータイマー付きのテレビを売っているってことになるじゃないか」
「はっはっは。誤解させてすまない。本当にソニータイマーがついているテレビなんてものがあったら、俺が見てみたいよ」
「そうか……しかし業界の人からソニータイマーの話がもっともらしく出てくると、あながちそういう機構があるんじゃないかと不安になるよ」
「だとしたら、どうする?」
「怒りを感じるね。ものを作る者としての誇りはないのかと。わざと劣化させるようなことをするのはその作った物自体を冒涜しているし、自分の利益を増やすために見せかけだけはよい商品を売って消費者をだますような行為をしている企業は信用できない。本当にそうだとしたら、僕は怒るよ」
「まあまあ。本当にソニータイマーという機能なんてないよ。そんな機能があったらとっくに解析されて訴訟問題さ」
「だよなあ」
「でもね、ソニータイマー自体はあながちフィクションの話ではないんだ。製品保証が切れた頃に都合よく壊れてしまう、というのは企業の品質コントロールの巧みさによるものという説がある。事実、ソニータイマーという言葉の出始めた頃のソニーはそういった品質のコントロールに優れていたらしい。はじめに定めた製品寿命をまっとうさせるだけの必要十分な部品寿命を持ったものをそろえるというのはなかなかできないことなんだよ。寿命が長いものを作ればコストが上がり、買い換え需要をしぼませてしまう。逆に寿命が短すぎるとイメージダウンになり、保証期間中のサポートコストも馬鹿にならなくなる。その絶妙なバランスを微妙なコントロールによって実現できていたのがソニータイマーといわれる必要十分なレベルを維持する品質コントロール技術なんだよ」
「なるほどねえ……悪意はないけれど、タイマーのように壊れる製品というものはそうやってできるものなのか」
「まあ、以上はただの一説であって、統計的に保証期間終了タイミングと故障タイミングに何か関連性があるというわけじゃない。今となってはただの都市伝説さ」
「なるほどねえ」
「ところで、聞いた話では本当にテレビは売れていないらしいね」
「それはさっきも聞いたよ」
「それでだ、そうなるということはとっくの昔に分かっていたことだろうが、それを電機メーカーたちが何もせずに見ているだけかと思うかい」
「……いや、何とも分からないね」
「たとえば、例えばの話だがね、そういうソニータイマーのように自動的に壊れる機構があったとして、それを使うことで売り上げをより大きくできるとするなら、良心ある企業としてそれを採用すると思うかい」
「いや……だってそれは、訴訟リスクがあるだろう」
「さっき言ったソニータイマーの実態には訴訟リスクはない。悪意がなくても結果的にそうなったという理由がついているからね。でも悪意を持って特定の期間に壊れるような、精度の高い品質管理ができていたとしたらどうだろう。訴訟リスクがなく、かつタイマーを高い精度で作動させることができると言ってもいいんじゃないか」
「それは……メーカーの良心次第だろうな。でも壊れやすいテレビを作るってのは納得がいかないな。高い買い物をするのだから、壊れやすいという評判が立てば誰も買わなくなるだろう」
「アナログテレビはまだ根絶されたわけじゃない。ケーブルテレビ局でアナログテレビ用にまだ変換した電波を送信しているところがあるし、家庭でデジタル電波をアナログ電波に変換する外付けチューナーもある。問題はその機械だ。もしこの機械が一斉に壊れたとしたら……」
「どういうことだ」
「このチューナーは地デジになってからまったく売れていない。必要な人はもう買ってしまったから当然の話だね。で、たとえばその状態で1年くらいたつと店頭からチューナーが消える。もしそのタイミングで全国の外付けチューナーが一斉に壊れはじめたとしたら、どうなる?」
「アナログテレビがまだ使えるのにチューナーが使えない。チューナーを買い換えようとしても店頭には売っていない。テレビを見ようと思ったら普通のテレビを買うしかない……」
「もしかすると、チューナーではなくアナログテレビの方が壊れたと思うかもしれない。そうなるとテレビを買い換える人が出てくる。テレビは売れる」
「馬鹿な。そんなこと言ったって、チューナーを売っているのは一社だけじゃないだろう。テレビを売っている会社がそんなことをやっても、売っていない会社はやらないだろう」
「外付けチューナーの核となる部品の一つは、ある会社の特定の製品を使っている。B-CAS制度やらのからみで、規格に準じたその部品を作れるところが一社しかないんだ。だからその部品がタイマーを持っていれば、すべてのメーカーの外付けチューナーで等しく作動する」
「おいおい……」
「ま、いまの話はたとえばの話だ。ただの冗談だ。企業に良心なんてものがあれば、そういったことは起こらない。でも、やろうと思えばそういうことだってできるんだよ」
「ま、まあ、冗談ならいいんだが」
佐藤は水を一杯頼んで、それを飲んだ。
「それで、君はいったい何の仕事をしていたんだい」
「ただの品質管理だよ。品質管理も行き着くところまでいけばそういうことも可能なんだよっていうのがさっきの話だ」
「それで、どこに転職するの」
「自動車向けの小さな部品メーカーさ」
「畑違いだね」
「だね。でも、いま全世界で発売されている電気自動車の、ある特定の部品はみんなそのメーカーが作っているんだ」
「それって、まさか……」
「いや、これ以上は言えないよ。さっきの話ももう終わりだ」
話はそれっきりになり、私たちはすぐに店を出てそのまま別れた。
しかし、彼が去り際に見せた不気味な笑顔は、頭にずっと浮かんで離れなかった。