エピローグ
エピローグ
熱いシャワーを浴びながら、鏡を見た。
右腕に深く残る傷跡、右肩の抉れたように変形した皮膚、左の太ももに残った銃痕。
もう、決して消えることはないだろう。
あの日から、一年が経った。
しかし、この傷跡を見る度に、俺は思い出す。
あの日のこと。
それから、人の絆など存在しない、ということを。
あの日、誰が鬼であったのか――。生き残った俺は主催者である男に真相を聞かされた。その瞬間、俺の世界の全ては崩壊した。
あの日、鬼は、一人もいなかった――。
全ては仕組まれたものだったのだ。
最初のスイッチゲーム。あれはモニターに偽りの結果を映しただけだ。
最初の投票の時に感じた違和感の正体は、この鬼がいないことによるものだった。
俺、裕太、かおり。あの投票では、三人に二票が揃った。
自然な結果のように思えるが、あの投票は完全なランダムではなかった。
あの時、池田が裕太に軽い誘導をしていたからだ。もしも鬼がいたのならば、鬼は裕太へ投票をするはず。だから、あのばらけた投票結果を見た時、違和感を覚えたのだ。
ボックスのゲームは、田村の入ったボックスの壁の中に、声を出す装置が埋め込まれていた。すぐ右から音がした――たしか彼はそう言っていた。今思えばおかしな話だ。仮に隣のボックスから音がしても、そう断言できるものではないだろう。答えは簡単で、本当にすぐ右、つまり、ボックスの壁の中から聴こえてきたのだ。
魔法陣のゲームは、テーブルの下に仕掛け人が潜んでいたらしい。あの時、テーブルに触れるなと何度も忠告をしたのは、ゲーム開始前に魔法陣が崩れるのを防ぐ為ではなく、その仕掛けに気付かれないためのものだった。黒い布には、そういう秘密があったのだ。
証拠隠滅ゲームも、結果を偽装しただけ。田村の死体や、白い袋の気味悪さに面食らって、そんな可能性は一度も考えなかった。
銃を使ったゲームは、不二雄が入ったボックスに仕掛けがあった。あの「1」のボックスに用意されていたのは、両方とも本物の銃だった。彼は一人慌ててあの部屋に飛び込んだ。まさか、その結果があんなことになるとは、運命とは皮肉なものだ。
唯一、大縄跳びだけが何の仕掛けもなかった。しかし、俺たちは死に触れたショックで狼狽し、単純に失敗をしてしまった、それだけのことだった。その大縄跳びは、そもそも、鬼がいないことに気付かれないようにする為のゲームだったらしい。主催者が介入する余地がないゲームだと、そう先入観を植え付けることで、この仕掛が発覚するのを防いでいたそうだ。
そもそもこの理不尽なゲームは、数十年前から秘密裏に行われていたことなのだという。
絆だとか仲間だとかを信じている愚か者に虫唾が走る連中が、或いは、仲間同士が倒錯し殺しあう姿を見て欲情する変態どもが、裏社会には多く存在しているらしい。
島の舗装が整っていたことや、大規模な施設の維持費などからしても、その出資者達の膨大な資金力を伺える。かおりが見たというスナッフビデオも、恐らくその邪悪な道楽の一種なのだろう。話によれば、このゲームで誰が生き残るか、そのような賭博が行われたという話だが、俺は詳しく知らされていない。
俺はシャワーを止めた。浴室を出る。
タオルで体をよく拭いてから、下着を着て、ワイシャツを羽織り、黒いスーツを纏った。
――今日は大事な仕事がある。
俺は気を引き締めてから、部屋を出た。
リノチウムの床を歩く。足元と耳に、懐かしい感触がした。
目的の部屋へ入ると、俺は部屋に並ぶ巨大ディスプレイを見た。
十人の若者が映っている。ある者は笑い、ある者は不安そうに眉を寄せ、ある者はぼおっと頬杖をついている。いつかの俺たちの姿が、そこにある。
まだ、絆や信頼というものがあると、そう信じているものたちだ。
――馬鹿な連中だ。人間は人間を疑い、例え仲間であっても簡単に殺す。絆なんてものは存在しない。信じられるのは、自分だけなのだ。今、ディスプレイに映っている若者たちは、きっとお互いを信頼しあっているつもりなのだろう。が、そんなもの、上辺だけの、薄っぺらい、儚いものだ。いとも簡単に崩壊する。そんなものは、絆などではない。
――今からそれを理解からせてやる。
そう思うと、あの日、葵を殺した時の感覚、熱いものが、下半身に込み上げてくる。サディスティックな変態性欲だ。
池田や葵の見知らぬ一面を、一年前のその日、初めて気づいたように、俺も自分が知らぬ自分をその日初めて知ったのだ。
一年前のあの日、俺は堕ちた。人の心の闇を知り、悦び、悶え、欲情し、同時にそれを知らぬものを嫌悪するようになった。
俺はモニター越しに嘲笑を浴びせると、側に置いてあった仮面を手に持った。薄い笑みを浮かべている顔を隠すように装着する。顔を隠してしまうと、胸の奥に安らぎのようなものを感じる。
人は自分の心を偽っている。この仮面はきっと、その主張なのだろう。人は気付かぬうちに仮面をつけているのだ。
俺はマイクを手元に近づけた。
それから、別の機械を使い、小林に持たせた受信機へ合図を送る。
すると、小林がモニターを持って部屋に登場したのが見えた。若者たちが緊張したのが伝わってくる。
いよいよ鬼探しゲームが始まる。ゲームに使用する部屋は、白いペンキで元に戻してある。
小林がテーブルの上にモニターを載せた。
電源が点る。モニターに、俺の姿が映ったはずだ。
「――皆様、今日はお集まり頂きましてまことにありがとうございます。それではこれから、実験の内容について、ご説明させていただきます――」
あの日、俺たちの中に鬼はいなかった。
しかし、ある意味では、全員が鬼だったと言えるかもしれない。
人間は、誰しも、心に鬼を宿している。
疑心暗鬼という名の鬼を――。




