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最初の部屋へ戻ると、呻き声をあげながら不二雄が頭を掻きむしった。「一体、なんなんだよ。どうなってんだよ」行き先のない怒りが体を駆け巡っているらしい。体をよじらせ悶えている。
「信じられねえ……」あの池田でさえ、そう呟いていた。
「少なくとも、鬼は二人以上おるってことや」水谷が座り込みながら言った。
「ねえ。ちょっと場所を変えよう。さっきの順番にした方がいい」
かおりが言った。恐怖や驚き、不安などが交じり合ったものが顔に張り付いている。彼女は表情の変え方を忘れてしまったらしい。
「たしか、こうだったわね」
恵美子が移動しながら言った。全員でさっきと同じ順に円を作り、俺はそこへ座りこんだ。幸い、ここの床は血で汚れていない。
葵は左腕を右手の爪でガリガリと擦っていた。何か考えに耽っているようにも見えたし、何も考えられずにいるようにも見えた。
――神谷――葵――池田――かおり――水谷――恵美子――不二雄――神谷
この順だ。
この中に、鬼が少なくとも二人いて、その二人は隣り合っている。
「一応訊くけど、手におかしな感じがしたやつはおるか。例えば、変に体重が掛かったとか」
その水谷の問いに、全員が黙って首を横へ振った。
「そうやろな。……あの崩れ方は、手で掃いたような感じやったし」水谷は座り込むと、ふっとため息をついて天井を見上げた。
俺は彼らを見ながら、もうすぐ誰かが死ぬんだな、と思った。
今彼らを動かしている筋肉が止まって、血液が流れ出て、瞬きができなくなる。そう思ったが、何か感情らしいものは生まれてこなかった。
「変な音、したわよね」
恵美子が言った。俺は恵美子に気付かれないように彼女の左手を見た。しかし、距離があるせいでよく分からない。一体、あの動きはなんだったのだろう。
「何回目の合図だったか、覚えているやつはいるか?」
池田が言うと、水谷が手を上げた。
「覚えとるで。五回目やった」
「あの音がした時に魔法陣が崩れたと思うのが普通だろう。あの時、崩れたところの前に誰がいたか、確かめよう」
池田が座っていたものに立て、と言った。
腰に力を込め立ち上がる。
「ゲームが終わった時、魔法陣は神谷の正面で崩れていた。そして、ゲーム開始時と終了時、俺たちは同じ地点にいた。……神谷、何か足元に目印をつけてくれ」
池田のその言葉に頷いて、俺は靴を片方脱いで、目の前に置いた。
「これで分かるはずだ。五歩、進むぞ」
一歩づつ、さっきと同じように俺たちは歩いた。手は繋いでいなかったが、なるべく綺麗な円になるように、そしてさっきと同じような間隔であるように気をつけた。
先ほどとほぼ同じ間隔である。さっきと違っていれば、誰かがそう言うはずだ。誤差はあって数センチといったところだろう。
「次、五歩目だ」
すっと足を伸ばし一歩進む。
俺の置いた靴、すなわち魔法陣の崩れは、誰かの前だったのかはっきりした。全員がその人物の顔を見る。
「なんや、俺んとこかいな」
俺の靴は、水谷の前にあった。
「冗談きついわ。俺は鬼やないし、手も離してへんよ。なあ」
水谷は隣にいる恵美子とかおりを交互に見る。
「離してない」とかおり。
重ねるように恵美子が言う。「当たり前よ。絶対に離してない」
「音は? 近くから聞こえなかったのか?」不二雄が訪ねる。
水谷、かおり、恵美子の三人は揃って首を振った。
「近くじゃないと思う。小さくてよく分からなかったけど、手が届くくらいの距離じゃない」
俺はそう言ったかおりを見ながら、恵美子の先ほどの行動の意味を考えていた。
左手を擦るような動き。
――あれは、手についた砂を落としている仕草だったのではないだろうか。じりじりとその疑惑が強くなってきた。
しかし、恵美子の左にいるのは不二雄だ。水谷じゃない。靴の前の位置とは微妙に離れている。左手で無理やりあの位置へ伸ばせば、反対の右手へ動きが伝わってしまうだろう。もし恵美子が魔法陣を崩したのなら、右手のはずだ。
「誰だか知らんが、ようやってくれたわ」
不二雄は唇をつりあげて、不敵に笑って見せた。
しかし、額に浮いた多量の汗のせいで、それが上っ面だけの薄っぺらい笑みだとすぐに分かった。虚しい笑いだ。彼はきっと、自分が疑われているということに、死に近づいていることに、強い焦燥を覚えていることだろう。
「俺視点では、水谷と恵美子が鬼だとしても辻褄が合うな……。第二ゲームのあの時、タムを庇えなかった位置だからな」
吐き捨てるように池田が言った。「ついでに言うと、水谷と恵美子は第一投票の時、お互いに投票していないし、タムにも投票していない」
なんという記憶力だろうか。バイト仲間である彼のイメージは最早一変した。
「わたしは恵美子さんへ投票します」
隣にいる葵が言った。死者を決める投票を語っているとは思えないような口ぶりだ。葵が言ったのは、つまり、恵美子を殺したいということだ。堂々と、本人の前で言い放った。葵は元来、こういう女性だったのだろうか。それとも、この狂ったゲームが彼女を変えてしまったのだろうか。
池田、葵と、今まで知らなかった一面が次々と分かる。俺たちは、きっとお互いを知っているようで知らなかった。
「な、なんで? 葵ちゃん……」
葵は答えない。
恵美子が瞬きを忘れたように、じっと中空を見ていた。間をおいてから、そっと首に触れる。葵の宣言に驚きを覚えるのと同時に、途端に死という恐怖が押し寄せた――そんな風に見えた。
「まず水谷さんとかおりさんが鬼、というのはないと思います。かおりさんは水谷さんに投票をしたってさっき言ってましたから」
「……うん」かおりが言う。唇をぴくりと動かした。笑いを堪えたように見えた。
「だから水谷さんと恵美子さんが鬼である可能性が高いと言えます。……ところで、二人は右利きですよね」
恵美子と水谷は同じタイミングで肯定した。
「暗闇の中で音を立てずに魔法陣に触れる。細かい動きが要求されます。そうなると、利き手である右手が空になった鬼が、その役目を負うというのが普通の考え方じゃないですか? その理屈でいくと、恵美子さんがそれに該当します。だからわたしは、恵美子さんに投票するって言ったんです」
恵美子が反論しようと口を開きかけた瞬間、俺はそれを遮るように言った。反射的に口を開いてしまった、という方が正しいかもしれない。
「俺も恵美子に投票する。……実は俺、見たんだ」
「見たって、何を」
恵美子の瞳孔が激しく伸縮しているのが、この距離からでも分かった。
「さっき、手を拭いていただろ。ゲームが終わって、みんなが魔法陣に気を取られているその瞬間だ。見たんだよ」
「え?」と恵美子は右手を開いて自分の顔に向けた。
俺が見たのは、左手だった。だが、そこにはあえて触れないでおく。まずは探りを入れるのだ。
「砂を落としたんじゃないのか」
「ち、ちが……」言い淀む。動揺だろうか。
「だけど、見たんだから仕方がない」
「何言ってるの? どうしたの? ケンちゃん」引きつった笑いを浮かべる。死に対する恐怖を感じているのが見て取れた。
しかし、俺は攻撃を止めない。「事実を言っているだけだ」
「手を繋いでいたから手汗をかいただけよ。きっと無意識に拭いたんだわ」
俺は黙ったまま恵美子を見続けた。しきりに目線を泳がせている。動揺しているのは、鬼だからだろうか。
一度右手についた砂を落とすのにズボンに触れて、その痕跡を隠すために左手で擦っていたのかもしれない。恵美子が右手で魔法陣を崩したのなら、崩した直後に砂を落とすはずだ。ズボンの尻のあたりで砂を落としたものの、その部分に砂が残っていないか不安になった。だから、ゲームが終わった瞬間、反対の左手でその部分を払い落とした。俺が見たのはその時だった。恵美子の狼狽している顔を見ていると、そんな考えが浮かんできた。
「ねえ、何か言ってよ……」
恵美子は俺から目を逸らし、隣の水谷の腕を掴む。水谷はハッとそれに気がついたように頭をビクリと震わせた。
「……みんな……信じてくれ。俺は絶対に鬼やないし、恵美子も鬼やない。頼む……」
水谷は膝をついた。「頼む……」
冷たい沈黙が流れる。
「投票に行ってくる」
俺は逃げるように投票室へ向かった。
投票室へ入る直前、変な音が聞こえた。
ひい、ひいと笑いが込み上げているような声だ。恵美子の声の気がしたが、俺は確認しなかった。




