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八月某日。不二雄に誘われた日から、一ヶ月が経った。
午前九時。俺たちは品川駅前で待ち合わせをした。
俺を含め、総勢十一人の人間が集まった。全員、カラオケ屋のバイト仲間である。
男性陣が六人。女性陣が五人だ。実験の参加条件は、十人以上のグループでの参加、とあった。十一人も集めたのは、不二雄の勘違いだそうだ。彼は、十一人集めないといけないと思っていたらしい。
「本当に行くん? 冗談やと思ってたわ」
水谷直人が腰に手を当てて、不二雄に言った。
水谷は、背が高く、ほっそりとした体つきの男だ。長い前髪が、目元を隠していた。飄々とした雰囲気で、掴みどころがない印象。彼は関西出身で、高校卒業後に、専門学校へ通うため、東京へ出てきた。
「本当に行くに決まってるだろ。さあて、全員集まったかな。そろそろ行かないと、新幹線に間に合わなくなる」
不二雄が歩き出したので、全員それに続いた。
男性陣が前方を歩き、女性陣がその後ろを歩いた。後ろから、かしましい笑い声が聞こえてくる。前を歩く裕太が、ちらちらと後ろを気にしていた。
俺の隣に、田村友宏が並んだ。
田村は背が高く、どっしりした体つきだ。坊主頭で、顎髭を生やしている。一見、いかつい顔をしているくせに、妙に弱気なところがある男だ。
「カミケン。実験って、一体何をするか知ってる?」
俺はかぶりを振った。「あんまり詳しく聞いてないんだ」
「なんか、怖いな」田村は不安げな瞳を浮かべた。強面の顔に浮かぶその瞳が、アンバランスで、ちょっとおかしく思った。
ちなみに、カミケンというのは俺のあだ名だ。神谷健太。苗字と名前から、二文字づつとった、面白みのないあだ名である。
「あんまり心配すんなよ、タム」池田真一が田村の後ろに近づいて、腰のあたりを拳で押した。
「いて、いてて。いたいよ、イケピー」田村は困ったような顔をして、笑った。
池田はそれを見て大笑いをする。バイト中によく見ている。いつもの光景だった。
池田は、短髪の頭に鋭い目つきが印象的な男だ。乱暴者のイメージがある。イケピーというあだ名は、誰がつけたのか分からないが、彼は気に入っているらしい。
改札をくぐり、新幹線を待っていると、すぐに到着した。乗車する。夏休みだけあって、人は多くいた。それでも、全員座れるくらいの座席は空いていた。
四人のボックス席を、三つ使うことにした。
俺の席は、不二雄、田村と一緒だった。せっかくの機会なのに、男ばかりでむさ苦しい。俺は内心溜息をついた。
「さあて、楽しみだなあ」不二雄が鞄から手帳を取り出した。「これからの予定は……と」
俺は隣に座っていたので、手帳の内容を見ることができた。汚い文字で、今日と明日の予定が書いてあった。
心理学の実験に参加するのは、明日だ。今日は一日、熱海で遊んで、明日の朝、天神島に向かうことになっている。
「とりあえず、旅館に行って、荷物を置いてきたほうがいいかな。そのあと、海に出掛ける……」
不二雄が独り言のように呟いた。俺と田村に、予定を聞かせているようにも聞こえた。
「ねえ。本当に大丈夫なのかな? 心理学の実験って」
田村が眉間に皺をよせ、真剣そうに不二雄を見つめた。
「大丈夫だって。映画や漫画じゃあるまいし、そんな変なことにはならないよ」
「そうかなあ……」
田村は頭を掻きながら、窓の外を見つめた。ちょうど発進するところで、東京の街並みがゆっくりと流れていた。
俺もまた、田村と同じように、実験に対する不安をいまだに抱えていた。しかし今は、不安よりも、通路向かいのボックス席に座る田中葵のことが気になっていた。彼女は対面に座る裕太と楽しそうにお喋りしている。
葵は俺より一つ下の二十歳だ。三ヶ月前、新しくバイト仲間になったばかりだ。可愛い女の子だった。明るい茶色に染めたショートカットと、人懐っこい笑顔に、すぐに俺は心を奪われた。
葵が入ってすぐ、裕太が猛烈なアタックを始めてしまった。彼女に惹かれたのは、裕太も同じだったのだ。そのこともあって、このかすかな恋心は、誰にも伝えていない。今も湧き上がりそうになる嫉妬心を、必死に抑えていた。
裕太の隣には、池田が座っている。葵の隣には、村上恵子が座っていた。池田と恵子は、裕太と葵とは別の話題で盛り上がっているようだ。
四人の様子は、まるで別々のカップル同士が相席しているようだった。池田と恵子も、最近うまくいっているらしい。
恵子は口元に手を当てて、上品に笑顔を浮かべていた。おとなしい女性だが、池田の前でだけ、ほんの少し笑顔が増える。肩まで伸びた黒い髪も、ふんわりと膨らんでいて、彼女らしい。
「……神谷……神谷、聞いてるのか」
不二雄と田村が、不思議そうに俺を見ていたことに気がついた。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
俺は頭の後ろに手を置いて、誤魔化すようにして笑った。幸い、葵を見ていたことには気がつかれていないようだった。
品川から熱海まで、一時間弱で到着した。
新幹線から先陣を切って降車したのは、長谷川真世だ。彼女は、俺たちの中でも、この旅行を一番楽しみにしていた。
彼女は天真爛漫な笑顔を携えて、ホームを小走りで掛けていった。髪の毛を後ろで束ねている。
「真世ちゃん、そんなにはしゃぐと、転んじゃうよ」
戸高恵美子があとを追いかけた。
「大丈夫だよ。気をつけてるから……」
そこまで言ったとき、真世が足元を絡めさせて、ぐらついた。戸高が「あっ」と声を漏らす。
「……ふう、危なかった」
真世は持ち前の運動神経で、どうにか倒れずにすんだようだった。
「ほら、言ったじゃない」
恵美子が彼女を叱るように言った。バイト先での恵美子は、皆の母親のような立ち位置だ。俺や皆と同じ年齢なのだが、彼女の眼差しはいつも優しくて、つい、子供のように振る舞ってしまうこともある。彼女の背が高いことも、関係あるかもしれない。
真世が舌を出して恵美子に謝る。悪戯っ子のような顔だった。
「じゃあ、とりあえず旅館に向かおうか。荷物を預かってもらおう」
不二雄が皆に言った。
駅へ出ると、タクシーに乗り、海岸沿いの旅館へ向かった。途中から潮の香りが漂ってきて、気持ちが弾んだ。
今日宿泊する場所は、高橋旅館というところらしい。国道136号線沿いにある旅館だ。古き良き時代の旅館、といった感じで、昭和の雅が残る、日本家屋風の建物だった。