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心に宿る鬼  作者: めぐみ犬之介
第三章
27/52

   6


 訳が分からぬまま、次の部屋に移動した。

 誰かの泣く声が聞こえている。誰だろう。分からない。足の力が突然入らなくなって、俺は地べたに座り込んだ。吐き気は収まったが、喉が燃えているように痛い。

 ボイスチェンジャーの声が聞こえてきた。

「――第二ゲームのルール説明をします。皆さん、目の前のボックスをご覧ください」

 俺は項垂れていた頭を持ち上げた。

 公衆電話ボックスを黒くしたような縦長の箱がいくつも立ち並んでいる。箱にはそれぞれ扉がついており、扉には番号が書かれたプレートが貼られていた。

「全部で、十のボックスがあります。皆様にこれから、一人づつ別々のボックスに入っていただきます。五分間のあいだ、沈黙を守ることができたら、ゲームクリアです」

 ひっ、ひっ、と動物の鳴き声のような音がした。そちらに目を向ける。真世が胸に手を当てていた。苦しそうに呼吸を繰り返している。顔はよく見えなかった。

「――全員が扉に入った瞬間からカウントを開始します。一度部屋に入ったら、ゲーム終了まで出ることはできません。ここまでよろしいですか」

 耳元に音声は聞こえるのだけど、意味がちっとも理解できない。

 今、何が起きているんだろう。そんなことを思った。

「――質問はないようですね。それでは、制限時間は三十分。力を合わせて頑張ってください」

 スピーカーの音が消えた。

 俺は壁にもたれて座り込んでいた。頭がぼうっとしている。目が閉じかけているのか、視界がぼやけている。

 俺は右腕をだらりと伸ばして、指を指した。

 一、二、三――俺を含めて、十人だ。

 裕太がいない。

「イヤ……イヤ……」かおりが頭を掻きむしっている。長い髪を振り回していて、狂気じみていた。

「始まったぞ……」不二雄が言った。目線の先はモニターだ。残り時間が表示されている。

「とにかく、ゲームを進めないと。……殺される」恵美子が言った。

 怖い。叫びだしてしまいたい。

 しかし、喉に力を込めた瞬間、首輪の存在を思い知らされるのだ。

 泣き声や呻き声はまだ続いているけど、異様に静かな空間だった。先ほどのあれが、夢か幻だったような気さえしてくる、そんな静けさだ。

「どうする。どうすればいい……」

 池田が呟いた。爪を噛み、部屋をうろうろと歩いている。首元が赤く腫れている。指で掻きむしったような痕が見えた。

「裕太、裕太は……」

 田村が入ってきた扉へ近寄った。ハンドルを持つ。開けようとしているのだ。

「タム。やめとき。やられるで」水谷が小走りで田村に駆け寄った。「今、俺らは命握られてるんや。一度ゆっくり考えた方がええ」

 水谷が田村の肩を掴んだ。

「……うああ!」

 田村が水谷の腕を強く払った。田村の手の甲が、その勢いで水谷の顔面にぶつかった。

「うっ」と小さな悲鳴をあげて水谷が一歩下がった。鼻のあたりを手で抑えている。

 ぽたりと赤い斑点が床に浮かんだ。

 田村はハンドルに力を込めようと、腰を深く落としていた。激しい吐息が聞こえる。

 ハンドルは固定されていて回らないらしい。

 体を揺すって何度も力を込めるが、ハンドルは回らなかった。

「……ナオちゃん。大丈夫?」恵子がしゃがみ込んだ水谷の側に寄って、顔をのぞき込んでいた。

 水谷は辛そうな目を浮かべながら、田村を見上げていた。鼻を抑えた手が赤く汚れている。鼻血を流したのだ。

 恵美子が真世の背中に手を当てていた。真世の呼吸はまだ収まらないようだ。

 葵は死んだような顔で俺と同じように座り込んでいた。魚のように口をぱくぱくと動かしている。何かを呟いている。声は聞こえない。




 最終的に、俺たちは全員床に座り込んで、ぐったりと俯いていた。会話はない。

 残り時間は十二分だ。

 それまでの時間は、一瞬のような気もしたし、ひどく長くも感じた。

「そろそろ、やらんと。時間なくなる」

 水谷が言った。彼のシャツは茶色く汚れている。鼻血によるものなのか、裕太の血なのかは分からない。

「冷静なんだな。裕太があんな風になったのに」池田が冷笑を浮かべた。頬が引きつっている。

「ええかげんにせえよ。このままじゃ俺らも殺されるで」

 水谷の声には、怒気が含まれていた。

「とりあえず、今はあいつの言うとおりにするしかないやろ」水谷は立ち上がった。

 賛同も、反対も、一つの声も返ってこない。俺も黙っていた。何か喋ろうという気など起きなかった。

「裕太……」

 田村が開かずの扉の前に四つん這いで歩いて行き、引っ掻くように爪を立てた。

「タム……」水谷はゆっくりと田村の元へ歩く。「立てや」

 襟元を掴んで、田村を強引に立たせた。

「しっかりせい」

 ぱしん、と音が響いた。水谷が田村の頬を叩いたのだ。

 田村は何も言わず、頭を垂らしていた。

「引きずってでもボックスに入ってもらうで。ほら、時間みい」

 モニターを見た。丁度今、残り八分と表示された。

「説明によると、最低、五分間は掛かるゲームや。実質残り三分しかない。このまま、なんもせんかったら、ただ死ぬだけや」

 強い口調で言った。田村に、そして俺たちに。

「それとも、死にたいんか! 一人がゲーム放棄したら、全員死ぬかもしれんで? ええんか」

「俺は、死にたくない」不二雄が立った。「やろう。ゲーム……」

 続けて、かおり、恵美子が立つ。

 俺も立った。

 首輪の冷たい感触がした。「死」というものが、すぐ間近に迫っていることを、嫌でも実感させられる。見えない死神が、背後から首を締めていた。

「時間がない。適当に扉へ入れ。扉へ入ったら、五分黙ってろ。ええな」

 水谷は簡潔に言い、まだ立っていない面々を急かした。

 死にたくない……。俺はその感情、本能に従って、目についたボックスへ入った。



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