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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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幻の日本酒ハイボール

 毎日暑い日が続き、スピリッツ中心の酒生活をおくっている俺としてはひたすら耐え忍び、涼しくなるのを待ち焦がれる日々だ。こう暑いと、年々売り上げの落ちてきているビール系飲料もいくらかは伸びるんじゃないかとも思うが、そう楽観もできないだろう。

 その証拠と言っては何だが、今夜の夜明ヶ前には俺の他に二人の客、メガネ君とシロウト氏が来店しているのだが、二人とも飲んでいるのはハイボールだ。

「僕、ここのハイボールを飲んでからすっかりハイボール好きになっちゃいましたよ(第86話ハイボールの錬金術参照)。手軽につくれるから自宅でもハイボールだけど、やっぱりここのが一番だな」

 メガネ君はあまり酒が強くないらしいから、無理にストレートやオン・ザ・ロックをのむ必要もないし、賢明な選択だと思う。アルコール度数も好みで加減できるしね。

 一方のシロウト氏のほうは酒は強いのだが、酒の基本的な常識に関しては滅法弱い、という印象だ。だから俺の中では“シロウト氏”なのだが、もちろん面と向かってそんな失礼な呼び方はできない。そのシロウト氏は酒に強いにも関わらず、相方に合わせて同じものを飲んでいる。ただ、マスターは微妙に濃さを加減しているようだ。

 俺は相変わらずこの暑さでもドライ・マティーニ。どうも水割りとか炭酸割りっていうのはあまり相性が良くないようだ。そんな俺の方をメガネ君がチラ見している。

「ねえマスター、ウイスキー以外で炭酸割りしてもやっぱり“ハイボール”って言うんですか」

 なるほど、素朴な疑問だね。マスターはグラスを拭く手を止めてメガネ君の質問に答える。

「別にジンでもウオツカでも、スピリッツを炭酸で割ればハイボールだよ。ただ、ウイスキーが一般的になり過ぎちゃって、普通にハイボールと言ったらウイスキーだけどね。ジンやテキーラなんかはトニック・ウオーター割りが多いかな。こちらはカクテルのイメージが強いか。実はウイスキーのハイボールもカクテルなんだけど、“カクテルの名称”というよりは“ウイスキーの飲み方”っていう理解のされ方のほうがしっくりくるんじゃないかと思う」

 そう言われてみればそうかも知れない。ホントはオン・ザ・ロックもカクテルなんだよな。

「スピリッツはみんなハイボールになるんですね。ところで日本酒は……」

 メガネ君の言葉にマスターと俺が同時にピクッと反応する。シロウト氏は…特に反応はない。

「日本酒はハイボールにはならないねぇ」

「でもマスター、このカクテル・メニューの最後のほうに“サケ・サワー”っていうのがあるけど」

 カクテルはベースごとに分類されているが、“日本酒”っていう項目は無く、“& OTHERS”というページに記載されている。

「“サワー”っていうのは本来、レモンジュースと砂糖を加えてシェイクしたカクテルのことを言うんだよ。日本では炭酸を入れて“○○サワー”みたいなものがあるけど。最近はサケ・サワーにも炭酸を入れるレシピがあるらしいが、ウチはそういうのはつくらない」

「あ、そうなんですか。僕、サワーって言ったら当然炭酸割りのことだと思ってましたよ。レモン・サワーとかグレープフルーツ・サワーとかあるし」

 そうなんだよな、勘違いしている人は結構多いと思う。他にもフィズとかバックとかデイジーとか色々なスタイルがあって。以前教えてもらったんだけど、あんまり覚えてないかも(第48話 チューハイとサワー参照)。

「実は僕、この前日本酒をもらって。でも僕普段日本酒って呑まないから、それでハイボールをつくってみようと思って試したんですよ。ところが凄く不味くって。酒自体はそんなに悪いものじゃないし、そのまま呑めば普通に呑めるんですけど、何故か炭酸で割ると不味くなっちゃって」

 ははっ、面白いことするな。気持ちはわかるけど。

「日本酒は薄めると不味くなるんだよ。それにはちゃんとした理由がある。たとえばアルコール度数20度の原酒を炭酸で1:1で割ると単純に考えて10度の日本酒ハイボールになる。ワインが大体11度から13度未満ぐらい、ビールが4.5度から5.5度くらいと考えると、10度でも遜色ないような気がする。ところが実際に飲んでみると、まぁ飲めたもんじゃない。ワイン、ビールと日本酒の味の成分を比較したときに、日本酒は圧倒的に糖分が多い。逆に酸が非常に少ない。日本酒は栄養成分は多くて複雑なんだけど、香りや味の成分はワインやビールと比べると貧弱なんだ。味の大部分を占める甘み、そしてわずかな酸。それともう一つ大切なのがアミノ酸類。これが多過ぎると苦味や渋味が出る。少ないとコクが出ない。アミノ酸が多いコクのある純米酒は燗に向くし、冷やして美味い吟醸系は雑味が少ないほうがいい」

 日本酒を薄めると不味いのは知ってたけど、ちゃんとした理由まで考えてなかったな。メガネ君とシロウト氏も興味を持ったようだ。

「甘味、酸味、渋味、という比較的貧弱な味の成分をしっかり繋ぎ止めているのがアルコールなんだ。だから日本酒は水で割るとそのバランスが崩れて不味くなる。だから日本酒は基本的に原酒のほうが美味いし、加水すればするほど不味くなる。15度以上16度未満っていうのがかつてのスタンダードだったが、最近は14度とか13度なんてのもある。そういうものは味を補填するために酸味料や香料なんかを添加しているものが多いんじゃないかな」

 そうか、アルコールが低くてもそれなりに味を調えるために添加物とか入れるんだな。

「そうなんですかぁ。せっかくもらった酒だけど、ハイボールには向かないんだな」

「ワインや度数の低いビールでさえ“スプリッツァー”や“キティ”、“ビア・スプリッツァー”なんていう炭酸割りカクテルに出来るのに、日本酒は15度あっても薄めると不味くなる。低アルコールで美味い酒を創るのがいかに難しいかってことだね。考えさせられるよ」

 スピリッツだって割れば低アルコールで楽しめるんだものな。日本酒ってこれからの低アル志向の波を超えていけるのだろうか。

「でも日本酒をハイボールで、なんていう探究心は大切だな。何事もやってみないと分からないもんだよ。私もなんとか美味い日本酒ハイボールが出来ないかと思ってね、米酢や料理酒を加えてみたらどうだろう、なんていう実験をしたことがあるよ」

 それはまた興味深いな。

「へぇー、それどうでした?」

 メガネ君とシロウト氏が目を輝かす。

「それが輪をかけて不味くってな。そりゃもう絶望的な味だったよ」

 でも……、探究心は大切だよね…。


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