夏バテと甘酒
気が付けばいつのまにか7月になっていた。平成30年も残すところあと半分。で、どうやら今年は6月中に梅雨明けしてしまったらしい。ジメジメした梅雨はもちろん苦手なところだが、梅雨が明ければ待っているのは本格的な夏の暑さだ。スピリッツのみの俺としては一年を通じて一番相性の好くない季節である。ここ、バー夜明ヶ前の店内はしっかり、いやほどほどにエアコンが効いてはいるけれど、体が夏の暑さにやられてしまっていると、いくらエアコンで涼しくしても体の方がなかなかアルコールを受け入れてくれなかったりする。
俺はロック・グラスを取り上げてゆっくりと琥珀色の酒を口に運ぶ。酒はグレンフィディック・クラシック、オン・ザ・ロックでゆっくり氷を融かしながら味わっている。のみ慣れた味だが、やはり涼しい季節と比べると味が違って感じる、ような気がする。
「ねえマスター、熱中症予防とかにいい酒ってないのかな」
マスターはグラスを拭いていた手を止めて、怪訝そうな表情で俺を見つめ返す。そして一言。
「養命酒」
まぁそうだろうけどね。でもあれは酒として味わうものじゃないし。
「旦那、酒を呑んで夏バテを予防出来ないか、なんてダメ人間の発想だよ」
「そうかな、やっぱり都合良過ぎるか。そう言えば昔は熱中症なんて呼び方がなくて、陽に当たってれば日射病で、暑さでやられてたら夏バテって言ってたよね。最近はあまり夏バテなんて言わなくなったような」
「熱中症だと『大変、大丈夫?』ってなるが、夏バテだと『しっかりしろよ、だらしないな』ってなるからじゃないのかい」
それは偏見じゃないかと……。
「話は戻るが、基本的にアルコールは夏バテ防止にはならないどころか、利尿作用によって脱水症状を引き起こしたりで、いいことは一つもない。だから暑くて体調崩したりした時は酒を控えた方がいいだろう。それでも酒をのみたい旦那みたいな人にはとりあえず甘酒がおすすめだな」
「甘酒かぁ。一応酒と名前は付いてるけど……。それに夏に飲むのはどうも」
「何言ってんだい、江戸時代あたりは暑気払いによく飲まれていたんだぞ。それに俳句では甘酒は夏の季語だ。これを知らないと才能無しだぞ」
何だそれ?
「そう言えば以前連れて来た女子が酒粕の特集を組みたいとか言ってたらしいけど、あれはどうしたんだい」
「ああ、山川さんね。時季が外れちゃったから、また涼しくなったら取材したいって言ってたよ。それと、前回マスターとノンアルコールの話をしたことを聞かせたら、何やらアイディアが浮かんだようで、また近い内に取材したいからその時は宜しくって」
「何だ、今がまさに旬なのにな。熱いのが苦手なら冷やし甘酒なんてのもあるんだし」
あ、なんかそれ美味しそうだな。やっぱり夏の取材の方が良かったんじゃないか。
「マスター、その冷やし甘酒ってのは今飲めるのかな?」
「いいや。バーには似つかわしくないからな」
なんだ、てっきり置いてると思っちゃったじゃないか。
「でもそうだな、ノンアル飲料としては圧倒的に健康にいいし、メニューに入れてもいいか」
「よく考えたら発酵食品だものね、納豆やチーズなんかと一緒で。ところでマスター、甘酒って酒粕を使うのと米麴からつくるのとあるじゃない。あれってどう違うの」
「どちらが美味いか、ってのは好みにも依るから何とも言えないが、栄養価そのものは米麴を使った甘酒の方が高いようだ。それに酒粕のほうは微量でもアルコール成分は残っているだろうから、アルコールが全くダメって人は米麴の甘酒の方がいいだろう。ただまぁ、酒を扱っている商売をしている身としては、やっぱり酒粕を使った甘酒の方が好きかな。実際、薮田のろ過圧搾機を使って搾った板粕よりも、袋吊りで酒の成分が多く残ってる粕の方が旨みを感じるし、やっぱりちょっとでもアルコールが入ってる方が美味く感じるんじゃないのかな」
「へぇ、搾り方で酒粕の味が変わって来るんだ」
そんなことあまり考えたことなかったな。蔵によって酒の味が違うから、出来る酒粕の味も違うんだろうぐらいのことは分かってたけど。
「圧縮機の方は効率良く酒が搾れるように、酒粕の中になるべく水分が残らないように高圧をかけて搾るからな。それでも圧縮機の中にある醪の通り道のところには多少酒を多く含んだ粕が残ったりするから、そこは他の部分よりも美味かったりするぞ」
なんかマニアックだな…。
「そうすると本醸造や純米、吟醸なんかでも酒粕の味が違ったりするのかな」
「そりゃ違うさ。そもそも米からして精米歩合や銘柄が違ったりするんだからな。山田錦と美山錦では味も値段も違うし、さらに精米歩合を考えれば原価そのものに随分開きがあることが容易に想像出来るだろう。仕込み方、酵母の種類なんかでも味が違ってくる訳だから、どうしたって吟醸造りの方がお値段も高くなるし、特段失敗がなければ間違いなく酒も粕も普通酒のそれよりは美味くなるはずさ」
思いの外、酒粕の世界は奥が深そうだ。麹甘酒よりも酒粕の甘酒を推すマスターの気持ちも分からないでもないな。
「ところで麹についてだが、これは中国から伝わった漢字だけど、それとは別に米に花と書く“糀”っていうのがある。これは特別に米麴のことを指す和製漢字だ。米についた麹菌が花咲くような姿を文字にしたものなんだ。だから麦や豆に使われる麹菌にはこの字は使われない。こういう例を見ると、日本人は本当に酒を愛しているんだなぁと感心するよ」
ふーん、そう言うマスターもやっぱり酒を愛して已まない一人なんだな。
「甘酒にアルコール分が多く残ってる方が美味いなら、冷やし甘酒をウオツカで割ったら美味くなるかな」
「旦那、それはダメ人間の発想だぞ」
そう、かな……。




