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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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ノンアル談義

 俺が夜明ヶ前に顔を出さなくなって久しく経つ。どれほど久し振りかと言えば、それは入り口のドアを開けて入ってきた俺の顔を見た、マスターの表情で推し量れる。一瞬呆けたような顔でグラスを拭く手が止まる。何だか俺もちょっと照れくさい。

「なんだい旦那、また海外出張かい。今回はまた随分と長かったじゃないか」

「いや、実はずっとこっちにいたんだけどね…」

 そう言いながら俺はカウンター席の奥の俺専用(と、勝手に決めてる)ストゥールに腰を落ち着けた。

「俺の母親がちょっと体悪くして、入院しちゃってさ。何かあった時に動けるようにと思ってしばらくアルコールをやめてたんだ」

 俺がそう言うと、マスターはいぶかしげな表情で俺を見返した。

「で、……」

「あ、いやごめん。無事退院したんでまた飲みに寄ったんだ」

「ああ、そうね」

 どうやらマスターは悪い方のことを考えていたらしい。結構気を使う人なんだよな。

「久々の一口目はタンカレNO.10ベースでマティーニ、なんてどうだい」

「いや、折角だけど一杯目はオールド・パーにしようって決めてたんだ」

「ふーん。ああ、成程ね」

 マスターは合点がいったらしく、バック・バーのスコッチの棚からオールド・パーのスーペリアを取り出して、氷を入れたロック・グラスにメジャーで4回切る。

「ダブルだけどお代はシングルでいいよ、私からの快気祝いだ」

「ありがとう」

 いや、ホントにありがたいんだけど、スーペリアじゃなくて12年のつもりだったから、かえって高くついちゃったな。でもまぁ久々の一杯目だからそのくらいの贅沢もアリだな。

 俺はグラスを取り、まずは色と香りを楽しむ。ハイランドらしい甘やかな香りが俺の鼻先をくすぐる。その香りを鼻腔一杯に溜めたまま、黄金色の酒を一口含み、鼻から息を抜く。ああ、やっぱり生きてるっていいな。

「トーマス・パーじいさんのように長生きして欲しい、って願いを込めてオールド・パーか。なかなか感心な心掛けじゃないか」

「さすがに152歳までは無理だろうけど、せいぜい長生きしてもらいたいからね」

 こういう阿吽の呼吸がわかるのも、ここのマスターだからこそって感じだな。

「それにしても酒好きの旦那がよくそんなに禁酒出来たもんだな」

「自分でも驚いてるよ。ここ十年から上、一日も休肝日ナシだったからね。ちゃんとした名目があれば飲まずにいられるものなんだなぁ。とりあえずアル中とか依存症ってわけではないってことで安心したよ。単なる“酒好き”ってことで」

 逆に、何の名目もなければ禁酒は出来そうにないんだけどね。

「毎晩飲んでた酒をやめたらつまらなかっただろう。何を代わりにしてたんだい」

「そうだね、主に炭酸水でしのいでたよ。何の味もついてないのとか、薄っすらレモンの味がついているやつとか。たまにノンアルコール・ビールとかも試してみてたんだけど、やっぱりどうも味がね。これだったら炭酸水の方がいいかな、って」

「以前に比べればノンアルビールも随分と進化してるんだろうけどな。麦芽とホップ以外に色々と入ってるみたいだし、アルコール無しでビールの味に近付けるのは相当難しいんだろう」

 実際、運転で酒が飲めない人達には福音なんだろうけどね。

「そう言えば昔、“バービカン”なんていう商品があったよね。あれは確かアルコールが1%未満なんで低アルコールのビール感覚飲料って感じで“ノンアル”ではなかったけど」

「あったあった、矢沢永吉がCMやっててな。それで---」

 と、ここでマスターは矢沢さんが当該商品の率直な感想をコンサートライブで語って、その後云々みたいな話を始めた。その当時まことしやかに語られたその噂の出所は曖昧で、確たる証拠に欠けるため、ここでの詳しい記述は控えさせてもらうことにする。もしかすると訴えられたり、矢沢ファンから脅迫されないとも限らないので。

「今は0.00%のノンアルが各メーカーから発売されてるけど、バービカンはいつの間にか見なくなっちゃったよね。もう販売してないのかな」

「現在は“龍馬1865”っていう名称に変更されて販売してるよ。販売元も宝酒造から日本ビールに変わってるし、今はノンアルで麦芽100%を謳ってるようだ」

「あ、そうなんだ。名前が変わったんだね。知らなかったなぁ」

 日本ビールと言えば海外ビールの輸入販売とかで良く聞く会社だな。

「ノンアルだったらビール飲料だけじゃなくてカクテルなんかもあるぞ。飲みに来れば良かったのに」

「ノンアルコール・カクテルって言ったらジュースだし。わざわざバーで飲む必要はないよ。それにノンアルのカクテルって言ったら甘いものばかりでしょ、ミルクセーキとかレモネードとか」

 俺、甘いのは苦手だからな。ノンアルのマティーニ、なんてのがあれば嬉しいんだろうけど。

「確かに旦那の言う通りだけど、甘みを抑えたレシピもあるぞ。グレープフルーツジュースとクランベリージュースをシェイクした“バージン・ブリーズ”とか。オレンジ・レモン・パイナップルジュースをシェイクした“シンデレラ”なんかは、使う果汁をフレッシュにすれば甘さを抑えられるしな。甘くしたくなければシュガーやガムシロ、グレナディン・シロップを抜く、っていう方法もあるんだよ。例えばレモンジュースと炭酸、ミントの葉を使った“クール・コリンズ”や、ライムジュースとスライス・ライム、ジンジャーエールの“サラトガ・クーラー”からガムシロを抜く、とか。ショート・カクテルではオレンジとレモンにビターズでシェイクした“フロリダ”からシュガーを抜くとか」

「いや、色々あるのはわかるけど、結局フルーツ・ジュースだし。ちょっと俺には合わないかな」

 そういうのはグループで来店して、お酒の弱い子やドライバーさんに薦めるやつだよな。

「だったらストレートにトニック・ウォーターが良いんじゃないか。キニーネの苦味に加えて、アンゴスチュラ・ビターズを振ればピンク色で苦いノンアル・カクテルの出来上がりだ。アンゴスチュラは44度あるから厳密にはノンアルじゃないけど、2、3滴なら運転にも差し支えないだろうしな。あ、いや、やっぱり今の発言は無し。どんな苦情がくるかわからないからな」

「うん、俺も聞かなかったことにする。でもトニック・ウォーターはいいよね。そうしたらペリエとかもいいかも知れないけど、やっぱり苦味が強い方がさっぱりしそうだな。アンゴスチュラの代わりにウンダーベルクを使うっていう手もアリかな」

 とりあえず今のところ禁酒・断酒の予定はないけど、そろそろ本気で休肝日をつくることを考えたほうがいいかも知れない。まずは一週間に一日。いや、欲張り過ぎか。一ヶ月に一日……、うーん、一年に……。


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