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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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インスタ映えするお酒? 【その1】

 夜明ヶ前の扉を開くとギイッと音がする。普通現代の扉というものは、なるべく滑らかに静かに軽く開くことを良しとする傾向にあると思うのだが、この店を含めて、ひっそりとした隠れ家的な場所ではこのような音のする店が散見される。それは日常から非日常への切り替えとか、結界みたいな役目を果たすのかもしれないが、まぁそんなことはどうでもいいか。

 とりあえず扉を開けた俺は、すかさずマスターに目で合図を送る。これで“マティーニをつくるのはちょっと待ってくれ”っていう意思が伝わる。それからカウンターの一番奥から三番目の、俺の特等席に腰を落ち着けながら「ジン・トニックを」とオーダーする。ロング・ドリンクを頼むことで“何か話したいことがあるんだな”っていうのが伝わる。シンプルだ。

 店内に流れているのはティナ・ブルックスの“バック・トゥ・ザ・トラックス”、ブルー・ミッチェルのトランペットとティナのテナーの二管編成だけど、今流れているのはちょうど2曲目の“ストリート・シンガー”。この曲だけジャッキー・マクリーンがアルトで参加している。際立った演奏でもなくて結構普通なんだけど、ケニー・ドリューのピアノはなかなか良いと思う。

 などと思ってる間に俺のジン・トニックが出来上がる。カウンターに置かれたグラスに手を伸ばし、まずは一口。キニーネの爽やかな苦味が軽快で心地好い。

「さて旦那、今夜は何の話だね」

 間髪を入れずにマスターが訊ねる。もうちょっと心の準備が欲しいところだ。

 実は雑誌の編集をしている山川さんから、SNS映えのするようなお酒の特集を組みたいので、ここのマスターの話を聞きたい、とお願いされてしまったのだ。そういうのはこのマスターは駄目だよと言ったのだが、ダメ元で構わないからという事で、今夜これからお店に来る予定になっているのだ。とりあえずそれまでに少しでも協力的になってもらえるように誘導しておこうと。

「マスター、夜明ヶ前でさぁ、これは見た目が凄い! とか、キレイなお酒だなぁ~、なんて見とれてしまうようなメニューとかってあったりするかな」

「そういうのは衛生上良くないから、置かないようにしてるんだ」

 はい?

「ハエが飛ぶからな、インスタバエとかいうのがブンブンな」

 うわっ、感じワルっ…。

「実は山川さんに頼まれちゃってね。インスタ映えのするお酒の特集を組みたいからって。このお店のメニューにトロピカル系のカクテルとかが無いのは承知してるけど。でもメニューに無いだけでつくれないとかって訳じゃないんでしょ」

 なんかこのままの流れだと、山川さんに顔が立たないよ。

「そりゃあつくれないことはない。フルーツやらデンドロの花やら花火やらなんてデコレーションまでは当然用意はないけどな。大体、見た目にインパクトのある飲食物をツイッターとやらで上げて、それを見に来た人数や“いいね!”とか何とかが多い少ないで一喜一憂するとかって、人としていかがなものかってことだよ」

 随分と否定的なんだけど、意外とそういうの知ってるんだな。何にしてもこの感じじゃあマスターの協力は得られそうも無い。でも山川さんに無駄足させてしまうのは忍びないな。

「この後、山川さん来るんだけど、とりあえず話だけでもしてもらえないかな」

「まぁ旦那の頼みをそう無碍にも出来ないから、それなりに話だけはさせて貰おうか。酒自体、趣味嗜好のものだから、見栄えに拘るのもあながち間違いではないからな」

 おっ、ちょっと光明が見えたような。

「カクテルに限らず幅広く酒全般で語らせてもらうなら、結構色々ありそうだな。例えばグレンファークラスの25年をのもうって時に、百均で買ったロック・グラスとバカラのグラスとどっちがより美味く感じるか。ぬる燗の田酒をコップで呑むのと備前焼の猪口でやるのとでは味が違いそうだな。うん、確かに見た目ってのは大事だな、場合によっては酒の味を大きく左右するファクターと言えるだろう」

 あれ、一人合点して随分とノリノリになってきちゃったような。

「とりあえずそんな線からでもイイから一つ頼みますよ。ムリにトロピカルなカクテルつくってくれとは言わないから」

「見た目が綺麗なだけ、っていうカクテルも多いからな。それでも幾つかはつくってみようか。ただ青いだけ、赤いだけみたいなカクテルだったら絵の具でも溶いてグラスに入れとけばいいしな。インスタじゃそんなのは判別出来ないだろ」

 それはさすがに無いでしょ。

「実際、インターネット上でカクテルの写真とレシピが無数にアップされているみたいだけど、その中にはジュースや絵の具を使ったニセモノとかもいくつかは混じってるんじゃないのか? どう考えてもそのレシピ通りにつくったらその色にはならない筈だぞ、っていう画像があったりするからな」

「いや、それは違うカクテルの画像と間違ってアップしちゃったんじゃないのかな? そんな、絵の具を使ってなんて、そんなまさか……」

 そんなおかしなことをする人はまさかいないだろう。と思いたい。

「例えばマティーニだったら、ジンとヴェルモット、ビターズがミキシング・グラスと一緒に写っていて、それだったらまぁまずホンモノだろうと認定は出来るけど、旦那が今飲んでいるジン・トニックなんか、三ツ矢サイダーやキリン・レモンの写真を撮ってジン・トニックだ、って言い張ることだって出来るんだろうからな」

 全く、よくそこまで意地悪く懐疑的に物事を考えられるもんだ。感心するよ。でもこういう人が案外詐欺とかに引っかからないのかも。友達に持つにはちょっとアレだけどね。

 レコードの針が上がり、マスターが入れ換えに立ち上がったところで入り口の扉がギイッと音を立てて開いた。結界を越えてまた一人、意地悪マスターのいる異次元空間に迷い込んだ子羊。

 いや、山川さんが来店しただけか。



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