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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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フィンランド談義

 夜明ヶ前に流れる今夜のBGMはビル・エヴァンスの“サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード”、スコット・ラファロのベースにポール・モチアンのドラムス。俺の中では賑やかなホーン・セクションよりも、こういうエレガントなピアノ・トリオの方がアルコールの味わいが増すように感じる。曲目も粒揃いで、マイルスの“ソーラー”なんかも採り上げているが、ガーシュウィンの“マイ・マンズ・ゴーン・ナウ”でのスコット・ラファロのベースは聴きどころだ。“アリス・イン・ワンダーランド”での丁寧な弾き出しも印象深い。

 などと聴き惚れているうちに二杯目のマティーニも終わりそうだ。さて、このあたりで路線変更といきましょうか。

「マスター、フィンランディアって冷えてるかな」

「ああ。ストレートでいいのかい」

 俺が軽くうなずくと、マスターは冷凍庫から透明なボトルを取り出し、ショット・グラスに注いだ。凍らせてトロリとしたウオツカが薄暗い店内でキラリと光を反射して輝く。それをまずは一口。スッキリとしたクリアなのみ口の後からすぐにアルコールの刺激が染み渡る。

「実は今日、同僚とフィンランドの話をしたんだけど、よく考えたら俺、あんまりの国のことを知らなかったんだよね。このフィンランディア・ウオツカの名前はすぐに出てきたんだけど」

「まぁ確かに旦那ならコイツが出るだろうな。ロシアやポーランドはライ麦やとうもろこし、じゃがいもなんかを使うけど、これは大麦100%。独特のうまみがある。スゥェーデンのアブゾルートやデンマークのダンツカと合わせて、日本でも比較的メジャーな北欧産ウオツカだしな」

 そこまでポンポンとは出てこなかったけど……。

「独特のうまみ、って言うけど、ウオツカは無味無臭だって言う人がいるよね」

「フレーバード・ウオツカは別にしても、クリアなウオツカにだってしっかり味はあるよな。じゃなかったらこんなに種類もいらないし、値段だってまちまちになることもないしな」

 そりゃそうだ、味が無いならプレミアム・ウオツカとか、値段の高いものを買う必要はないものな。

「ところで、なんでフィンランドの話題が出てきたんだい」

「それが友人の話なんだけど、“ムーミン”のテーマ・パークが本国フィンランド以外で日本で初めて出来るらしいんだよ。彼の地元らしいんだけどね」

「ムーミンって、あのカバトットみたいなやつか」

 カバトットって……。

「俺もカバかと思ってたんだけど、あれはトロールとか妖精みたいなものでカバじゃないんだそうだよ」

「どう見てもカバだろう。それはキティちゃんが実はネコじゃなくてヒゲの生えた女の子っていうのと同じような事情なのかい?」

「いや、そういう事情ではないと思うけど……。いや、ちょっと話が脱線しちゃったな。とにかくムーミンのテーマ・パークってのが出来るそうなんだよ。埼玉の飯能っていうところなんだけど。今年完成予定だったのが来年2018年の秋に延びてるらしいんだけどね」

「埼玉ね。それはディズニーランドみたいに“東京ムーミンランド”とかになるのかい」

 それって千葉をディスってないかい、千葉県民に怒られそうだ。

「別にアタマに東京とか埼玉は付かないみたいだけど“メッツア”って言うらしいよ。“森”っていう意味なんだって」

「ふーん、まぁ私はあまりムーミンとかには興味がないんだけどな。ムーミンのキャラクターがウオツカでものんでればフィンランディアももっとメジャーになるかもな」

「子供向けの童話なんだろうからね。飲酒シーンとかないんじゃないのかなぁ」

 あらためて思い返してみても、ムーミンにお酒が出てきたことがあったかどうか。記憶に無いな。

「スナフキンっていう普通の人みたいのがパイプ咥えていたよな。あれはウオツカとかのまないんだろうか」

「実はスナフキンも人間じゃないらしいよ。よく見ると手の指が4本しかないし」

 ピッコロさんと一緒だ。

「ところで、フィンランドって言うとフィンランディア・ウオツカとムーミン以外にどんなものがあるんだろう。首都がヘルシンキとか、白夜とかそのくらいしか出てこなくてさ」

「一番大事なものを忘れているだろう。フィンランドと言えば“シベリウス”だよ」

「名前くらいは聞いたことがあるけど。クラシックの作曲家でしょ、そんなに偉い人なの?」

 ジャズだってそれほど詳しいわけじゃないけど、クラシックなんて全くわからないな。

「非常に優れた作曲家だよ。交響曲作曲家で、その作品全てが傑作で今も演奏され続けているっていう人は多くない。ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナー、それにこのシベリウスくらいのものだろう。ただ、内容があまりにも難解で渋過ぎるから他の作曲家ほど認知されていないんだろう。第二番は比較的ポピュラーだけど三番から七番までの5曲はとにかく解りづらい。でも分かる人にはブルックナーの至高の交響曲とはまた違った素晴らしさが見つかるはずだよ。特に四番は聴けば聴くほど味わい深い作品だ。かく言う私も年季の入ったシベリウスファンだからな」

「へぇ、ジャズだけだと思ってたのに、マスターってクラシックも聴くんだ」

「ああ、むしろこっちの方がメインだな」

「じゃあ何でお店のBGMはジャズなの」

「クラシックは合わないからだよ」

 そう言われればそうだな。

「まぁ軽い室内楽なんかなら合わなくもない曲はいくらでもあるけどな」

 その時、入り口の扉がギイッと音を立てて開き、二人連れの若いお客が入ってきた。どうやらフィンランドとクラシックの話題はこのへんで御開きだな。


次回に続きます

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