日本酒カクテル考 前編
いつも一人で“夜明ヶ前”でのんでいる俺だが、今夜は連れがいる。マスターは一体どんな顔で俺を迎えるだろうか、と考えるとちょっと楽しみではある。ギイッと音のする扉を開くと、中からはアルト・サックスが奏でる“ホワッツ・ニュー”のファンキーなメロディーが流れてきた。マクリーンの“スイング・スワング・スインギン”だ。
俺に続いて連れの女性が入ってくると、マスターは案の定ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。マティーニをつくろうとミキシング・グラスに伸ばしかけた手が止まったままだ。
「今日はお客さんを連れてきたよ」
俺の一言でマスターは我にかえり、俺たちの席におしぼりとメニューを持って来た。
「こちら雑誌の編集をされている山川さん。先日のサケティーニの話をしたら、是非マスターの話を聞いてみたいって言われてね」
山川さんは俺よりもちょっと年下で、セミロングの髪にメガネを掛けたキレイ目で地味目な女性だ。この前の話をしたらマスターを取材してみたいって言うんで、あまり気は進まなかったんだけどとりあえず連れてきてみた。アポとっておいたほうが良かったかな。
「山川です、よろしくお願いします」
「いらっしゃいませ、飲み物は何にします」
山川さんはちょっと困ったように俺の方を見た。俺はジン・トニックでも頼もうかと思っていたが、せっかくなので一捻りしてみよう。ジンにトニック・ウォーター入れただけじゃ、マスターも見せ場がなさ過ぎてつまらないだろうからね。
「俺はエメラルド・クーラーでいってみようかな。山川さんも一緒でイイ?」
「じゃあ私もそれで」
「エメラルド・クーラーね。なかなかいいチョイスだ」
マスターは上機嫌でカクテルを作り出す。シェイカーに氷を入れて冷凍庫からボンベイ・サファイアを出し、棚からはペパーミント・ジェットの27。それにレモンジュース。それぞれ2:1:1でシェイカーに注ぎ、最後にガムシロを入れてシェイクする。氷を入れたタンブラーに注ぎ、炭酸を満たす。カットしたレモンとミント・チェリーを沈めて完成だ。
マスターのメジャーの切り方とか結構見せ場だったんだけど、ちょっと早過ぎて初級者には伝わらなかったかも知れないな。
俺はちょっとだけグラスを上げる仕草をして一口含んだ。山川さんも俺の真似をして飲む。
「美味しい、ミントが爽やかでスッキリしてる」
山川さんには好評なようだ。俺は、まぁ敢えて感想を述べる必要はないだろう。
「マスター、今日は日本酒のカクテルについて話を聞きたいんだけど、いいかな」
「それはいいが、この店では基本日本酒のカクテルは出してないし、レシピ的なこととかだったら他の店で聞いたほうが良いんじゃないか」
そう言われてみればそうかも知れないな。やっぱりここに連れて来たのは間違いだったかな。
「マスターさんはとってもお酒に詳しい方だって聞いたんですけど、その方のバーになぜ日本酒カクテルメニューが無いのか、或いはマスターさんが日本酒のカクテルについて常日頃どんなことを思っているのか、なんていう話でも何でも結構です。是非マスターさんのお話を伺わせて下さい」
「そんなんでいいならいくらでも話せるよ。ただ“マスターさん”はやめてくれよな」
マスターは苦笑を浮かべてボトルを戻した。
「それじゃまず始めに、カクテルのベースの話から始めよう。この世にカクテルの数がいくつあるのか、それは私も数えたことは無いが、一番多いベースはおそらくウイスキーかジンだろうと思う」
「ウオツカは?」
「ウオツカは旧ソ連やポーランドが本場のイメージだが、ロシアでは今でもストレートがポピュラーらしいよ。禁酒法廃止後のアメリカではこのウオツカが大人気になって、以降爆発的に世界に広まったということになってる。つまりカクテル・ベースとしては比較的歴史が浅いんだ。ただ、ウイスキーと違い無色透明で、ジンのような独特の香りも無いから、ベースとしては一番無難で使い易いスピリッツであるのは間違いないと思う」
テキーラやラムは更に少ない、ってことだな。そうすると日本酒なんかは……。
「一方、醸造酒はどうかというと、ワインやビールベースのカクテルもスピリッツに比べればはるかに少ない。それはカクテルを創るうえでの制約“しばり”が大きなウェイトを占めているからなんだ。ビールだったら炭酸と苦味の爽やかさを失ってはいけないし、ワインはフルーティーで独特のコク、渋み酸味を活かさなければいけない。こんな難しいしばりがあったら、そう簡単に新しいオリジナルのレシピが出てくるわけが無い。いわんや日本酒をや、ってことだな」
「成程ね、考えてみればビールのカクテルは炭酸を加えるタイプが多いし、ワインはジュース、リキュールを加えるのが基本だよね。炭酸を弱くしたり、強い酒で風味を損なったりしちゃいけないってワケだ」
レッド・アイとか例外はあるけどね。
「先日話に上がったサケティーニも、日本酒を使ったカクテルとしては代表格ではあるけれど、全てのカクテルの中では圧倒的にマイナーな存在だ。それはつまり、ウオツカ以上にカクテル材料としての歴史が浅い上に、ワインやビール同様にベースとしては難しい“醸造酒”であることに由来している。この二点から考えると、ある程度伸びしろがあったとしても、日本酒のカクテルって言うのは今後大きな発展は見込めないだろう、って思うね」
随分と否定的な意見から入っちゃって、こんな内容で良いんだろうか、山川さん。ちょっと心配。




