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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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日本酒はどんな器で呑む?

 その夜はちょっとマスターの意見を聞こうと思ってある程度構えて店に入ったのだが、中々にかっこいいBGMだったので、しばし目的を忘れて聴き入ってしまっていた。掛かっていたのはモードのペッパー・アダムス・クインテット。バリトン・サックスのアダムスとトランペットのステュ・ウイリアムソンを描いたアルバム・ジャケットが印象深い。リズム隊はカール・パーキンスのピアノ、リロイ・ヴィネガーのベース、メル・ルイスのドラムだ。

 今流れているのはB面二曲目の“マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ”、バーでグラスを傾けながら聴くBGMとしては最高の部類にカテゴライズされる演奏ではないだろうか。アダムスのバリトンが何とも甘く切なく、パーキンスの控え目な伴奏もステキだ。

 三曲目、アダムスのオリジナル“ムエジン”のアップテンポなイントロが流れたところでマスターの方から先に声を掛けてきた。

「次もマティーニにするかい」

「ん、あ、ちょっと待って」

 BGMにのめり込んでて、この後のことを全く考えてなかった。

「ぬるいジンストでものむかい」

「何それ、ジンなんてキンキンに凍らしてこそ美味いんじゃないの?」

「いやぁ、必ずしもそうとは限らないんだぞ」

 ホントかね。ウイスキーやラム、ブランディーなんかならいざ知らず、ジンやウオツカの冷たくないのなんて飲む価値もないような気がするんだけど。

 マスターはシンクの隣りにあるストッカーを開けて中からグリーンのボトルを一本取り出した。タンカレーのハイエンド・モデルのナンバー・テンだ。

「ナンバー・テンか。前にものんだ事あるよね」

「でも常温でのんだことはないだろう」

 確かにオン・ザ・ロックやマティーニでのんだ憶えはあるんだけど、ストレートはなかった。何故かと言えば、どういうわけかこのマスターはナンバー・テンを冷凍庫に入れていないからだ。

 ショットグラスに半分ほど注いで俺の前に置く。とりあえずのんでみろ、ってことだな。俺はグラスに一口ほどの液体を、更にチビリと口に含んだ。フルーティーで華やかな香りが口内に広がり、鼻腔を抜けていく。47.3度という強さを感じさせない爽やかな口当たりだ。

「驚いた、ナンバー・テンってこんなに複雑な味と香りだったんだっけ?」

「当然のことながら、冷やし過ぎるとこの味や香りは感じづらくなるよな。生のフルーツを使った製法のプレミアムなジンだけど、だからこそ誰もがしっかりと凍らせてのむのが美味いと思い込んでしまっていると思うんだ。もちろん冷やすのが悪いなんて思わないけど、とりあえず私は冷やさずに使ってるんだ。オン・ザ・ロックでも冷え過ぎないし、氷が融けて薄まっても、そもそもアルコール度数が高いからね。でも、この酒の凄さを理解するにはまず常温のストレートが良いんじゃないかと思うよ」

 確かに、この複雑な香りを隅ずみまで味わうには、凍らせちゃ駄目かも知れないな。

「ジンやウオツカは冷たく冷やしたほうが美味しい、っていうのは常識みたいなものかも知れないけど、時には常識にとらわれないことも大切なんだよな」

 なるほど、そうすると今夜俺がマスターの意見を聞こうとした内容と一致するな。

「話は変わるんだけど、ちょっと訊いてもいいかな」

「何だい?」

「日本酒はお猪口で呑む、って常識かも知れないけど、他のグラスじゃ合わないのかな」

「日本酒の話か。タンカレーをロックでイイかい」

 マスターはタンカレーナンバー・テンのオン・ザ・ロックを手早くつくって俺の前に置いた。

「日本酒をどんなうつわで呑むか、って話か。何だって良いんじゃないか」

 おや、意外とこだわらないところなんだな。

「実はある店で日本酒をワイン・グラスで出すところがあるんだけど、それを批判してる人がいてね。酒は昔“ジャパニーズ・ライス・ワイン”なんて呼ばれてたけど、今は“SAKE”なんだし、お猪口で呑むのが正しい、っていう主張なんだ」

「そんなこと言ったら戦国時代や江戸時代の殿様なんかはさかずきで呑んでたし、庶民は茶碗で呑んだりしてたよ。今だって赤提灯の酒はコップ酒だしな」

 そう言われてみればそうだ、必ずしもお猪口とは限らないんだな。

「確かに日本酒はワインと同じ醸造酒だけど、原材料も製法もワインとは違う。だからワインはワイン・グラス、日本酒はお猪口で呑むべき、っていう主張もわからないでもないよ。でもワイン・グラスはワインの香りと色を楽しむのに適したグラス、ということなら、それは日本酒にも当てはまるんじゃないのかな。お猪口の方がワイン・グラスよりも遥かに日本酒の良さを引き出しているか、って考えると、それほどでもないんじゃないかと」

「そうか、用途云々よりもしっかりと目的に合ってるかどうかってことか」

 そう言えばここのマスターも、以前ワイン・グラスで日本酒を出したことがあったな。

「燗した酒をワイン・グラスで出そうとは思わないけどな。そういうのは陶器のグイ呑みが合ってると思うし。逆に冷酒を呑む場合のことを考えてみようか。さっきのタンカレージンの話と同じことだが、日本酒だって冷やせばそれだけ香りが弱くなる。それを補うには表面積が広くて閉鎖したカタチのワイン・グラスはむしろ相性が良いと言えるだろう。冷酒、特に吟醸や大吟醸なんかはワイン・グラスで呑むのはおススメだけどな」

「そう言われれば確かにその通りかも知れない。単なるカッコつけや西洋かぶれ的な発想じゃないんだね」

 趣味・嗜好の世界に、合理的・科学的みたいな発想は水と油みたいだと思ってたけど、時にはそういう考え方も必要なのかな。

「単なるカッコつけ、って店もあるだろうけど。逆に日本酒なんだからお猪口じゃないと、ってのも見た目の話だけであまり実のない主張っていう点ではカッコつけの店と同類だけどな。でも見た目や雰囲気も味の内、って考えるならば、やっぱりお猪口でないと、って言うのも決して間違ってはいないと思う。ただそれはお店や他の人に強要することではないけどな」

 最後は倫理とちょっとした酒哲学にまで発展しちゃったようだ。酒って奥が深いよな。


 

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