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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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イスラムと酒

前回の続きです。

 今夜は久々の“夜明ヶ前”でのマティーニを味わっている。BGMはアンドレ・プレヴィンのピアノ。こういうゆったりと落ち着いた時間、しばらくなかったなぁ。俺は無言で音楽に耳を傾け、ひたすらマティーニのシャープな味わいに身を浸す。マスターはと言うと、特別下拵えもなく洗い物があるでもなく、所在無げにグラスをみがいたり棚を拭いたりしている。そして時々チラチラと俺の方を見る。どうやら俺の中東話が聞きたくてしょうがないようだ。そりゃあ気になるだろうな。

 “マイ・フェア・レディ”のA面が終わりアームが戻ると、マスターはそれをジャケットに仕舞いレコードの棚に戻す。次に取り出したのはエマーシーのヘレン・メリルとブラウニー。それをターンテーブルに乗せ、一曲目の“ドント・エクスプレイン”を跳ばして二曲目に針を落とす。ダニー・バンクのサックスに続いてクリフォード・ブラウンのトランペットが印象的な出だしから、超有名なヘレン・メリルのあのハスキー・ヴォイスが流れる。これは俺もさすがに苦笑せざるを得ない。

「わかったよマスター、向こうへ行ってきた土産話をするよ。話せるところだけね」

「いや、まー、あれだその。イスラム圏での酒事情とかも気になるからな」

 こんなレコードで“あなたが帰ってきて嬉しいわ”なんてやられたら、全く気色悪いったらない。これだったらもっとストレートに関心を示してもらった方が気が楽だ。って言うか、俺が気を使わせちゃったんだな。

「やっぱり郷に入りては、ってヤツで、向こうではほとんど酒を飲むことはなかったよ」

「飲めないことはないんだろ」

「外国人向けのホテルとかは比較的問題なさそうだけど、それ以外ではあまりイイ顔されないね。信仰心の強い弱いはあるみたいだけど、ラマダンの時に飲んでたりすると殺されちゃうこともあるらしいよ。イスラム教国では宗教が法律みたいなところがあるから“反すれば罰せられる”っていうことであれば、基本は我々の社会と一緒だとは思うけど」

「日本のイスラム教徒は結構お酒飲んじゃったりするって聞いた事があるけどな」

「それはやっぱり環境なんじゃないかと思うよ。まわりに止めたり罰したりする人がいなければ一度くらいは飲んでやろうと思うんじゃない。一度じゃ済まなくなるけどね。豚を食べることに比べればそれほど抵抗が無いんじゃないかな」

 トンカツもポークソテーも生姜焼きも食べられないなんて、ホントに残念な宗教だ。おまけに酒も駄目だなんて。

「そもそも何で酒がダメなんだろうな。まぁコーランに書いてあるからなんだろうけど。豚は不浄な動物だから、ってのは聞いたことがあるけどな」

 マスターをはじめ、一般の人はそのくらいの知識だろう。そもそも、酒を飲んではいけない地域の事情とかはあまり興味がないだろうからね。

「俺も色々な話は聞いたんだけど、どれがホントの話かは良くわからないんだ。よく言われているのは『酒は気違い水』だって理由だけど、それも怪しいんだよね。コーランでは死んで天国に行ったら酒を飲んでもいいことになってて、その存在自体を否定してるわけじゃなさそうだし。本来イスラムは遊牧の民だから、酒造りのように定住を必須とする仕事を否定するためだとか」

「水が貴重な地域だから、水を多く消費する酒造りはイスラムにはそぐわない、ってのもありそうだな」

「うん、それもあるかも知れない。ところで興味深い話なんだけど、イスラムでは音楽に対してもあまり寛容ではないらしいんだよ」

「へぇ、そうなのかい」

 ジャズを聴きながら酒を飲ませる仕事だけに、マスターの表情がちょっと険しくなる。

「コーランを詠唱するときに、その発声があまりに音楽的過ぎるとイスラムの宗教会議とかで注意されたりするんだって。で、何で音楽がダメなのかって話なんだけど、どうやらムハンマドは音楽があまり好きじゃなかったらしい」

「え、そんな個人の好みの話なのかい?」

「それがイスラムで音楽があまり肯定的でない理由かどうかはわからないんだけど、もしそうだとしたら、同じようにムハンマドは酒が弱かったとか、一度酒で大失敗して懲りたからとか、そういう可能性も無くはないのかな、って思うんだ。まぁあくまで俺の中での推測なんだけどね」

 実際のところイスラムの信者だって、ホントの理由は分からないんじゃないのかな。それでもしっかり戒律を守ってるんだから、すごい信心深い人達だ。

「まぁそれはともかく、酒が飲めないムスリムにもビールを楽しんでもらえないものかと思って、今回の中東行きの中にはノンアルコール・ビールの市場リサーチなんてのも含まれていたんだ」

「おっと、そんなことをしてきたのか。それは話しても大丈夫な話なのかい?」

「それは問題ない。で、色々とリサーチしてみたんだけど、アルコールが入ってなければいいだろう、って言うわけにはいかないみたいなんだよね」

「何で? 他に何か禁忌にあたるものが入ってたりするかい?」

「アルコールが入ってないのは当然の大前提なんだけどね。大事なのは“ハラール認証”を受けているかどうか、ってこと。これは重要なポイントで、それだけ信用されてるってことなんだろうね。ただ、ノンアルコールでも“ビール”っていうだけで嫌悪感を示す信心深いムスリムもいるそうだけど」

「ふーん、中々難しいもんなんだな」

「でも、市場としては大きいし、まだまだこれからって感じだけどね」 

「そのうちノンアルコールだけのイスラム教徒向けのバーなんてのが出来るかもな」

 そんな健康的なバーは、ちょっとイヤだな。

 

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