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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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マコーミックのドライ・ジン

 “夜明ヶ前”に顔を出すのは本当に久し振りだ。入り口ドアのガラス越しに店内を覗き込むと、そこには以前と変わらないマスターの仏頂面があった。俺はギイッと軋むドアを引いて中へ入った。

「おっ、何だい旦那、随分と久し振りじゃないか。何かあったかい」

「やぁ、ちょっと急用が出来てしばらく中東へ行ってたんだよ」

 店内BGMはキャノンボール・アダレイのライヴ盤、リヴァーサイドの“ニッポン・ソウル”だ。いきなり随分とファンキーで熱い演奏で迎えられたものだ。流れてるのはA面最後の曲、テナーのユセフ・ラティーフによる曲“ザ・ウェヴァー”だ。

 俺はちょっと賑やか過ぎるBGMに押されながらいつもの俺の席に座った。マスターは例のごとくオーダーも訊かずにごそごそと何かつくってくれているようだ。

「まぁお疲れ様ってことで、こいつを一杯やってくれよ」

 出されたのはショット・グラスに注がれた透明な液体。グラスに霜が付いてるから、おそらくジンかウオツカなのだろう。俺はとりあえず半分ぐらいをグイッと呷った。普通にジンのストレートだ。

「今どき中東なんて、一体何しに行ってたんだい?」

 俺が酒の吟味を終えないうちにマスターが声を掛けてくる。

「ごめん、それはちょっと言えないんだ」

「おっと、こいつは失敬。うっかり余計なことを訊いた。バーマン失格だな、忘れてくれ」

 ここのマスターにしては珍しいくらいな狼狽ぶりだ。まぁどうしたって好奇心が働くところだろう。そんなことよりも俺はこのジンの素性の方が気になる。普通に40度くらいのドライ・ジン。キリッと締まった飲み口で、スパイシーな後味が長く続く感じが印象的だ。ちょっと記憶に無い感じの味わいだな。

「これはどこのジンなの?」

 するとマスターは冷凍庫から透明なボトルを取り出してきた。正面の上部がスパッと切れたようなデザインで、王冠のような紋様が施されている。そしてラヴェルには“McCormick”の文字が。

「あれ、これってバーボンのマコーミック蒸留所の? ジンも造ってるんだ」

「そう、あそこのジン。安くて面白い味だったから仕入れてみたんだ。それにしてもバーボンの蒸留所とか、旦那みたいなのじゃないと言えないよな。日本でマコーミック・ディスティリングって言ったら圧倒的にコーン・ウイスキーの“プラット・ヴァレー”の方が名前が通ってるからな。それ以前に、あまり酒に興味が無い輩だったらスパイスの会社かと思うだろう」

 そう言われてみれば確かにプラット・ヴァレーはコーン・ウイスキーの代名詞みたいなものだし、マコーミックを代表する銘柄であることは間違いない。創業もケンタッキーじゃなくてミズーリ州だったりするしね。

「せっかくだから二杯目はこれでマティーニにしてもらおうかな」

「Ok、それならレコードの方もそのマティーニに合いそうな旦那好みのを掛けようか」

「このジンに合いそうな演奏って、凄く興味あるね」

 こういうときのマスターのレコード選びはかなり凝ってたりするので楽しみだ。ピアノ好きの俺の好みを考えたらまずピアノ・トリオで来る筈。モンク、は無いだろう。ウイントン・ケリー、レッド・ガーランドあたりか。或いはチックとかキース、ハービー・ハンコックなんてところかも。マスターのことだから最近の新人とかは無いと思うんだけど。

 レコードの棚の前で考え込んでいたマスターは何か閃いたらしく、ピンクベージュのジャケットを取り出した。

「アンドレ・プレヴィンなんてどうだい?」

 コンテンポラリーのシェリー・マン“マイ・フェア・レディ”だ。成る程、そうきたか。

「うん、イイね。そういうのを聴きたいな」

 どちらかというとクラシック演奏の方が名前が通ってるんだけど、ジャズもやってます、的なところがこのマコーミック蒸留所のジンと重なったんだろうね。プレヴィンのピアノとリロイ・ヴィネガーのベース、そしてアルバム・リーダーでドラムスのシェリー・マンのトリオ。演奏もちょっとおしゃれな感じでマティーニにも合いそうだ。

 マスターはとりあえず棚から引き抜いたジャケットを立て掛けて、先にマティーニをつくり始めた。ミキシング・グラスにリンスした氷を入れ、ジン、ドライ・ヴェルモットの順に注ぐ。ヴェルモットはいつものチンザノ・ドライ。それをステアしてストレーナーを被せ、カクテル・ピックで挿したオリーヴの入ったカクテル・グラスに注ぐ。あれ? ビターズは使わないの?

 と、そこへレモンをピールする。

「私の好みになるんだけど、ビターズよりもレモン・ピールの方がシャープさが増してキリッとした飲み口になると思うんだよ。アンゴスチュラとオレンジ・ビターズで試してみたんだけど、私的にはレモン・ピールがおススメかな」

 マスターがおススメと言うのだから、まぁ味は間違いが無いのだろう。俺はグラスに手を伸ばし、マスターはレコード・ジャケットに手を伸ばす。レコードを取り出し、プレイヤーに乗せる。

 BGMはピアノ・トリオ、カクテルは久々の“夜明ヶ前”のドライ・マティーニ。至福のひとときだ。

「ねぇマスター、やっぱり日本はイイね」

 やっぱり酒がのめるってのは幸せだ。




続きます。

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