プロセス・チーズの真価
前回の続き
夜明ヶ前のマスターは偏屈で凝り性、変なところにこだわりを見せる人なんだけど、今夜は漬け物にしたプロセス・チーズなんていうヘンテコなおつまみを出してきた。出されたチーズは二種類、味噌漬けと粕漬け。どちらも変わった味で面白い、んだけど……。
「ねぇマスター、これって結局和風の味付けになっちゃってるんじゃないの。良く分からないけど、これだとやっぱり洋酒より日本酒の方が合うんじゃあ」
「まあな。確かにその通りなんだよ。熟成の止まってるチーズを更に熟成させようと思ったらやっぱり漬け物にするイメージなんだが、漬け物文化自体がアジアっぽいからね。ザワークラウトやピクルスなんてのもあるけど」
他には糠漬けや醤油漬けって感じか。どっちにしても洋風じゃないよな。
「欧州ではベジタブル・オイル漬けにしたチーズとかがあるんで、それを使ってやってみたんだが、あまり味が付かなかったよ」
「オイル漬けのチーズって“フェタ”のこと」
「ああ、日本ではデンマーク産の四角く小さく切った瓶詰めがポピュラーだったけど、本来フェタってのはギリシャ産のチーズで、今ではギリシャ以外の産地のものは“フェタ”を名乗ることが出来ないようになってるけどな」
本来フランスのカマンベール村産のものだけが“カマンベール”なのに、日本産やオーストラリア産のものが“カマンベール・チーズ”って名前で売っちゃってるようなものだな。
「で、結局のところ漬け物チーズは特別洋酒向けにはならなかったってことだ。ただ、せっかくつくったから旦那にも味を見てもらおうと思ってな。どうだい、悪くはないだろう」
確かにちょっと変わってて面白いとは思う。マティーニをのみながらつまもうとは思わないけど、お燗したお酒とかには結構合うんじゃないかと思う。
「実はもう一つ別のものを用意してあるんだ。これは漬け物じゃないんだけど」
そう言ってマスターは別の皿を取り出した。こちらにも四角いプロセス・チーズが乗っている。
「何だか色が濃いね」
ちょっと飴色がかったような色、そして独特の薫り。これはさすがに分かるな。
「燻製にしたんだね」
「そう、林檎のチップで温燻にしたんだ」
「オンクン?」
「そう、時間をかけて30度くらいで燻煙したものだ。温度が高いとチーズが融け出してしまうし、これ以上温度の低い“冷燻”だと手間がかかるし」
「え、プロセス・チーズって融けないんじゃないの?」
「そんなことはないさ、ものにもよるけど温度が高ければ融けるよ。ナチュラル・チーズのようには融けないけどな」
薄くて正方形のスライスチーズなんてのは“とろけるチーズ”と、そうでないのがあるから、普通のプロセス・チーズは融けないのかと思い込んじゃってたよ。
「でもこれって普通の“スモーク・チーズ”だよね。あまりカワリダネのおつまみとは言えないけど」
そう言って俺は燻製チーズをつまんで食べた。これが結構個性のある味だ。
「市販のありがちなスモーク・チーズとは違うだろ。市販の安いものは燻製液に漬けて造ったりしてるから」
なるほどね、自家製スモーク・チーズか。これだったら当然洋酒のおつまみにはピッタリだ。
「まぁ自分でチーズの燻製をつくって楽しんでる人は多いと思うけど、こういうのがバーで出てきても悪くないだろう。ちょっと手間は掛かるけど、そのままよりも一段上の味が楽しめる」
「そうだね、俺なんかいつも何も食べずにのんでばかりだけど、たまにはこういうおつまみがあってもイイと思うな。チーズって言うと何だかワインに合うイメージが強くってあまり食べようとも思ってなかったけど、これなんか普通にスコッチとかバーボンでもいけるよね」
「じゃあこのへんでスピリッツを合わせてみるかい」
そう言ってマスターがバックバーから取り出したのはシングル・モルトの“ラフロイグ10年”だ。
「イイね、こういうおつまみには強いフレーバーのモルトが合うよ」
アイラ・モルトの特徴は独特なピート香。その中でもラフロイグはかなり強烈だ。このへんは好みの分かれるところかも知れないが、とりあえず俺は大好きだ。マスターはショットグラスに酒を注ぎ俺の前に置いた。燻製チーズを一齧りして飲み下したところにラフロイグのストレートを流し込む。どちらも強い薫りでどっしりと重たい。強いピートの香りが鼻から抜け、熱さがのどを駆け降りていく。普段ビールやサワーぐらいしか飲まない人には相当キツいだろう。強い酒に慣らされた身だからこそ味わえる至高のひと時だ。
「どうだい、常温のストレートが良いだろう。オン・ザ・ロックにして酒を冷たくしちゃうと口内に残ってるチーズが固まって口当たりが悪くなるんじゃないかと思ったんだが」
なるほど、そうかもしれない。水割りなんかは論外だけど、これは氷も入れずにストレートが正解だと思う。もし強過ぎるということなら室温の水で割って氷とか無しの方が良いだろう。
「プロセス・チーズってのも結構楽しめるんだね。チーズと言えば今やナチュラル・チーズのイメージの方が強くって、プロセス・チーズは子供のオヤツみたいに思ってたけど」
「最近はハーブやスパイスを使った色々なプロセス・チーズも出てるみたいだし、もう一度見直してみるのも良いかも知れないよ。中国がワインを飲むようになってチーズが品薄になってるような現状もあるそうだし、日本の酪農を立て直すのに一役買えないものかな、この国産チーズが」
日本のウイスキーが世界から注目を集めたように、もしかすると日本産のチーズも高い評価を集める日が来るかも知れないな。
次回に続きます




