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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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クリスマスローズの微笑み

 気が付けばもう三月、東京は昨年みたいなドカ雪こそなかったものの、まだまだ寒い日が続いている。

 梅は咲いたか、桜はまだかいな。あとひと月も我慢すれば暖かくなってくることだろう。寒いのがとにかく苦手な俺にとっては、全く春が待ち遠しい時季だ。同じ冷えたマティーニをやるにしても、寒さに震えながらじゃあ味も分からないからね。

 春を待ちわびながら、今夜も俺は夜明ヶ前の扉を開ける。中からはひどくブルージーな女性ボーカルが聞こえてきた。そしてカウンターに目を移すと、そこには花瓶に挿した数本の花が置かれていた。なんだか夜明ヶ前にはあまり似つかわしくない感じだ。何しろ、ここのマスターには似つかわしくない。口が悪くてつっけんどんで、およそお花のイメージからは程遠い人だからね。

「マスター、これ何」

「カサンドラ・ウイルソンの“ブルーライト”っていうアルバム。この曲は“チルドレン・オブ・ザ・ナイト”」

「いや、BGMじゃなくてさ。この花」

「何だい、この店に花があったらおかしいかい」

 おかしいから訊いてるんだけど、正直におかしいって言ったら怒るだろうな。俺は無言でいつもの指定席に座り、マスターはこれまた無言で俺のマティーニをつくり始める。

 カウンターのコースターの上にオリーヴの入ったカクテルグラスを置き、ミキシンググラスから冷えた酒が注がれる。

「あれからもう4年も経っちまうんだよなぁ。早いもんだ」

 俺はハッとした。そうか、三月と言えば忘れたくても忘れられない、あの震災があった月だ。つまりこの花はそういう意味だって言うことなんだな。それにしてもあまり生け花や花束なんかでは見ない花だ。こういうのってカスミソウとかそんなのが合うような気もするんだけど。

「マスター、これ何ていう名前の花なの」

「これはクリスマスローズっていうんだ。キンポウゲ科の多年草」

「クリスマスって、なんか時季はずれだし、そもそも何で三月に咲いてるの」

「本来のクリスマスローズは原種の“ニゲル”っていう種類なんだが、それはクリスマスの頃に咲くんだよ。この園芸種の“ヘレボレス”なんていうのは今頃咲くんだ」

 あれ、何だか随分と詳しいようだけど、マスターって花が好きなのかな。せっかくだからもう少しこの花の話を聞いてみようか。俺は黙ってマティーニを一口呷った。

「コイツは根や葉に毒があるから、あんまり飲食店なんかでは飾らないんだろうけど、まぁバーで花瓶に挿しとくくらいなら中毒とかは心配ないと思うよ、うん」

 ぶっ!

「マスター大丈夫だろうね、マティーニつくる時ちゃんと手洗った?」

「大丈夫だよ、そんな死ぬような毒じゃないから」

 そういう問題じゃないだろう……。

「今はそんなことはないが、昔は薬草として使われていたこともあるそうだ。大量に摂取すると心臓が止まったりするらしいけど、そんなの故意にでも摂取しようとしなければありえないし。まぁ大丈夫だ、安心しろよ」

 ホントに大丈夫だろうか。

「ところで、何でそんな毒のある花なんか飾ってるの」

「単純に私が好きな花だからだよ。ちょうどこの時季の花だしね」

「ふーん。花屋さんで買ってきたの?」

「いや、この花は基本的には鉢花や庭植えだから、おそらく切花では売ってないと思うよ。これは自宅の鉢植えが咲いたから切って挿したんだ」

 このマスターが自宅で鉢植えに水をやってる姿とか、あんまり想像したくないな。

「あの酷い震災から4年。あっという間の4年だったけど、復興は遅々として進まず、原発だってあんな状況だし。自分らのような直接大きい被害を被っていない身にとってみれば、あれは忌まわしい過去の記憶なのかも知れないけど、被災者にしてみれば“震災”ってのはあの日からずっと続いてる生々しい“今”なんだよな。その苦しみを共有するのは無理にしても、何かこの思いをカタチにしたい、って思ったときに出てきたのが“花を飾る”ってことだったのさ。あんまり気負ってもたいした事が出来るわけもないし、ま、この程度だよ」

 花のことは良く分からないんだけど、マスターはマスターなりに色々と考えながら生きてるんだな。ちょっと考えさせられるよ。それに比べたら俺なんか毎日能天気に同じ生活を繰り返して、こうやって何の感慨もなくマティーニを味わって。このままじゃただの“酔っ払い”だ。俺が目指している“立派な酒のみ”には程遠い気がする。

「3・11の哀悼の気持ちを込めてこの花を飾ったのは分かるけど、桃とか梅の花の方がそれっぽくない」

「そうだね、三月と言えば桃の節句だしな。今のこの花の少ない時期に真っ先に思い浮かぶのは梅の花かも知れないな。でもこのクリスマスローズを選んだのにはちゃんとワケがあるんだよ」

「へぇ、そのワケってのは」

「この花にはいくつか花言葉があるんだけど、その一つが“慰め”。今の私の心情に良く合ってる気がしてな」

 “慰め”か。

「そう言えばこのちょっとうつむき加減で可愛らしくも恥らって咲いているような姿は、ちょっと心癒されるかもね」

「お、旦那もツウみたいなこと言うじゃないか」

 何だか自分の娘を褒められたような喜び方だ。ホントにこの花が好きなんだな。

「そうだ、花言葉みたいに“酒言葉”みたいなのってないの?」

「ああ、“慰めて”っていうカクテル言葉のカクテルがあるよ」

 カクテル言葉、なんてのがあるんだな。

「せっかくだからそのカクテルを飲もうかな」

「本気かい? テキーラサンセットって言ってブレンダー使うフローズンスタイルのカクテルだけど」

 真冬にカキ氷のカクテル、想像しただけで寒気がしてきたよ。


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