旬のサンマとひやおろし(後編)
今夜はスピリッツを堪能しようと思って入った夜明ヶ前だったが、気が付けば旬のサンマの刺身で石川の酒“加賀鳶”のひやおろしを呑んでいる。今年は中々海水温が下がらず不漁だという話だ。ゲリラ豪雨や竜巻発生と、どうも異常気象が続いてるけど、海の中も異変が起こっているんだろうか。
「うなぎも数が激減しちゃってるし、クロマグロも漁獲制限とかだし。日本の漁業関係者や水産加工業者は大変だよねぇ」
「確かにそうだな。でもウナギにしろマグロにしろ、随分と完全養殖の研究が進んでるそうだよ。こんな言い方すると無責任かも知れないけど、困難にぶつかる度にいよいよ新しい局面を打開していくのが日本人の特性なんだと思うな」
うん、そうかも知れない。海水魚の内陸養殖や低濃度塩水による活魚移送とか、色々と革新的な技術が開発されてるみたいだしね。
「ところでマスター、このサンマはどこ産? 目黒?」
「馬鹿言っちゃいけないよ、気仙沼港に揚がったヤツを送ってもらったんだ」
ふーん、やっぱり東北で水揚げされたサンマなんだ。
「そう言えば目黒のさんま祭りも無事に開催に漕ぎ着けたって話だな」
「ねぇマスター、何で目黒でサンマなの?」
「なんだい、旦那は知らないのかい」
「お恥ずかしながら……」
祭りとかそういうのってあまり興味がないんだよね。目黒で焼いたサンマを無料で配ってるのは知ってたんだけど。
「落語のお題で“目黒のさんま”ってのがあるんだよ。あるお殿様が鷹狩りに出掛けたんだが、お付の者が弁当を忘れてしまったんだ。で、目黒のあたりの農家からサンマを焼く匂いが漂ってきてな。お殿様が家老に『あれは何を焼いているんだ』と言うと家老が『秋刀魚という下々が食べる下魚でございます』。お腹の空いてるお殿様は下魚でも何でもイイからとにかく食わせろ、と。初めて食べたサンマは脂が乗っててたまらなく美味だったそうだ。で、親族の集まりに呼ばれたお殿様が宴席でサンマを所望すると、困ったご家来衆が、サンマが脂っこいのを懸念して蒸して脂を落としてしまった。更に小骨が殿様の喉に刺さったら一大事と、丁寧に骨を取り除いたんだ。殿様に出されたのは脂が抜けてパサパサ、小骨を抜くのに突っつかれて身はグズグズのサンマの塩焼きだ。以前食べたサンマとは味が全く違う。お殿様は『これはホントに秋刀魚か? どこで捕れたんだ?』と。家来が『日本橋です』と言うと殿様は、『それはいかん、秋刀魚は目黒に限る』、っていうオチだ。もちろん実在した殿様がモデルの話じゃない、まるっきりのフィクションだ」
「ふーん、そういうことだったんだ。海もないのに何で目黒なのかと思ったよ」
「旦那も殿様並みだな」
ムッ、なんかくやしいけど言い返す言葉がない。
「ところでお酒の方だけど、ひやおろしってのはどういうお酒なの?」
「ひやおろしね。まぁ一言で言うなら“秋に出る生詰め”ってことだな」
随分と簡潔に言い切っちゃったね。
「えーと、生詰めって以前に説明されたよね。ナマとどう違うんだっけ」
「搾った酒を貯蔵時に一度火入れして、瓶詰めの時に二度目の火入れをせずに出荷したものが“生詰め”だよ」
そうだった、逆に生酒を瓶詰めの時に火入れするのが“生貯蔵酒”だったな。
「酒を火入れするのは殺菌のためなんだ。“火落ち菌”っていうのに汚染されちゃうと、苦労して仕込んだ酒が台無しになってしまう。それで火入れして保存して、瓶詰め時にもう一度火入れするわけだけど、気温が蔵内の温度より低くなると火落ちの危険性が下がる。ここで火入れをせずに瓶詰めしたものを“ひやおろし”って呼ぶんだ」
あれ、何だかおかしいな?
「まだまだ気温が高いよね。蔵の温度ってそんなに高いの?」
「まぁそれは昔の話だよ。今は設備が整ってるからその気になれば一年中生詰めを出荷出来るんじゃないのかな。だからひやおろしは“秋に出る生詰め”って言ったろ。この時季限定のお酒って言うとなんかプレミア感が出て売上アップになるんだろう。まぁ何しろ火入れは一回だから、程よい熟成の中にもフレッシュさが残ってるところが売りだし、それを楽しみにしている日本酒ファンも多いことだろう。」
なるほど、限定好き・イベント好きの日本人が喜ぶお酒なんだな。
「“ひやおろし”っていうくらいだからやっぱり冷やして呑むのがイイんだろうね」
「ひやおろしの“ひや”はコップ酒の“冷や”と一緒で、“燗しない・火入れしない”という意味で、“冷やす”という意味ではないんだよ。火入れせずに瓶に詰めるから、それをして“冷やで降ろす”っていうネーミングなんだ。もちろん、一度火入れがウリなんだから、わざわざ燗して二度火入れする意味はないから、やっぱり呑むとしたら“ひや”か“冷酒”ってことになるんだろうな。中にはひやおろしと謳いながら瓶詰め時に火入れしてる不誠実な蔵もあるみたいだけど。そういうところは過去に火落ちして痛い目にあってたりするんだろうな」
「そうかぁ。まぁともあれこの酒も“秋の味覚”ってことだね」
「また随分簡単にまとめちゃったな。今の説明で理解できたのかい、旦那」
まぁ酒は呑むもので、勉強しても酔わないしね。
「そんなことよりお酒おかわり。サンマの刺身も早く食べないとせっかくの旬の活きの良さが台無しになっちゃうからね」
「なんだい、散々説明させておいて最後はそんな扱いかね。一杯サービスしてやろうかと思ったのに」
確かに、ちょっと酷い言い方しちゃったか。
「このサンマが美味いのも、マスターの包丁捌きがイイからなんだろうねぇ」
「……」
「ちょっと露骨過ぎた?」




