表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
42/99

旬のサンマとひやおろし(前編)

 ギイッと音がする扉を開けて夜明ヶ前に入ると、ちょうどマスターがターンテーブルにレコードを乗せるところだった。果たしてどんな曲が流れてくるのか。それで今夜の吉凶を占うってのもアリかも知れない。

「よう旦那、久し振りだな」

「暑い日が続いたからね。夏だから当たり前か。そろそろスピリッツが美味しい季節だね」

「蒸留酒のむのに季節なんか関係無かろうに」

 そう言いながらレコード盤に針を落とす。軽快な管の音が鳴り、流れてきたのは男性ヴォーカルだ。

「“セプテンバー・イン・ザ・レイン”か。歌ってるのは誰?」

「フランキー・レインだよ」

「誰だっけ?」

「“ローハイド”や“真昼の決闘”の人」

 ローハイドは何となく知ってるな。あまり映画やドラマはよく知らないんだよね。小吉か末吉ってところかも知れないな。俺は勝手知ったる自分の席に腰を下ろす。ここに座るのも実に一ヶ月振りだ。暑いとスピリッツを飲む気がしないんだよね。今の若い人とかはウイスキーでもジンでも炭酸で割って飲むんだろうけど。さて、今夜もやっぱりマティーニかな。それともジンストから始めようか。と、

「秋刀魚食べるかい?」

「え、何食べるって?」

 今“サンマ”って聞こえたけど、ここってバーだよな。さすがに自分の耳を疑わざるを得ない。

「今年はどうも不漁らしいんだけど、良い秋刀魚が入ったんだよ。新鮮で金ピカで旨いぞ」

 どうだろう、久々にビシッとスピリッツを楽しもうと思って来たんだけど、ここのマスターがすすめるんじゃあ頂いておかないときっとあとで後悔するような話なんだろう。何しろ夜明ヶ前のマスターは酒も肴も“一期一会”がモットーだからなぁ。

「サンマか、旬の味覚だよね。もらっておこう」

 するとマスターはトロ箱の中から氷に埋まったサンマを一本抜き出し、俺の前に差し出した。

「ホラ、頭を持つとしっかり立つだろう。これが新鮮な証拠さ」

「凍ってるだけじゃないの?」

「全く口の減らない旦那だね。このクチバシのところを見てごらんよ。ここが黄色いのが上物」

 そう言って奥の調理場へ引っ込む。何となくイメージで塩焼きを想像しちゃってたんだけど、よく考えれば当然刺身ってことだよな。酒はもちろん日本酒ってことになるんだろう。しばらくするとマスターはまな板皿に乗せたサンマの刺身を持って戻ってきた。

「冷酒でイイだろう」

 マスターは有無を言わせずにちょっと大きめな備前焼の御猪口を取り出して酒を注ぐ。

「それはどこのお酒?」

「石川の“加賀鳶”、山廃純米吟醸のひやおろし」

「え、加賀鳶?」

「なんだい、このお酒が不満かい?」

「いや、この酒にはちょっとしたエピソードがあってね」

「ほう、聞きたいもんだね」

「その前にサンマとお酒を味わっておかないと」

 そう言って俺はまず加賀鳶を一口含む。ちょうど良い甘辛度で、ちょっと酸味が感じられる。続けてサンマの刺身をつまむ。軽やかな脂の旨みが芳醇な酒の後味に良く合う。そこですかさず酒をもう一口。これはやっぱり日本酒だからこその口福だろう。ワインじゃ生臭く感じるだろうし、ビールは旨みを全部洗い流してしまうんじゃないかな。

「日本の秋の味だね、やっぱり旬モノは最高」

「で、加賀鳶にまつわる旦那のエピソードとやらは」

 マスターはどうやら俺の振った話に興味津々のご様子だ。

「昔々の話なんだけどね。まだ俺がハタチになったかならないかぐらいの頃。その当時一番メジャーだった“庄”の字が付く居酒屋で高校時代の仲間と呑み会をやったのさ」

「何だか回りくどいね」

「そこではメニューに色々な酒があたんだけど、その中にあったのがこの“加賀鳶”だったのさ。この酒を知ったのはその時がはじめて。で、俺は注文聞きの女の子に『この“かがとび”ってのください』って言ったんだよ。そうしたらその子が『ああ、これは“かがたか”って読むんですよ』って。俺、満座の中で恥かかされちゃってさ。でもその時は素直に“恥かいたけど一つ勉強になった”と思ったよ。“鳶”って書いて“たか”って読むこともあるんだぁ、ってね。ところがだよ、後でよくよく調べてみればやっぱり酒の名前は“かがとび”が正解。当時はインターネットなんか無かったから、それを知ったのは随分と時間が経ってからのこと。なんだかやり場の無い想いでモヤモヤとしちゃってね。だからどうだってこともないんだけど、俺にとってはちょっとした因縁の酒なんだよ」

 そこまで一息に話すと俺は刺身をつまみ、御猪口に残った酒をグイッと呑み干した。

「ふーん、20年以上も前のそんな話を今だに根に持ってるなんて、旦那も意外と暗い性格だな」

「いや、別に根に持ってるとかそういう話じゃないよ。ただ忘れられないエピソードの一つってだけで。むしろ気になってるのは、あの時の女の子がずっと勘違いしたままで恥をかき続けてたら可哀相だな、って。逆に俺がもっとしっかりした知識を持ってたら、その子の間違いを直して上げることもできたのになって思うんだよ」

「酒のしっかりした知識ったって、旦那は当時ハタチになるかならないかだろ。そりゃ無理だ」

 うーん、確かにそうかも知れないな……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ