表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
40/99

憧れのレッドアイ

 何かと忙しい日々が続き、『BAR 夜明ヶ前』に顔を出すのも一ヶ月振りだ。久し振りに来てみたところで、この店は何も変わってない。変わらないってイイことだな。

 ギイッ、とワザと軋むようにしてある扉を開くと、いつもと変わらないマスターの顔があった。

「よう大将、久し振りだな」

「忙しくってね。すっかりご無沙汰しちゃって」

 俺はいつものようにカウンターの奥の俺の指定席に座る。店内にはティナ・ブルックスの“バック・トゥ・ザ・トラックス”が流れていた。ブラインドは苦手だけど、このアルバムは持ってるからね。ブルー・ミッチェルとマクリーンの三管もイイけどケニー・ドリューのピアノがまたイカしてる。ポール・チェンバースのベースにアート・テイラーのドラムス。豪華なメンツだ。

 俺が何も言わずにいると、マスターは当然のようにマティーニをつくり始めた。冷凍庫から取り出したのはビーフィーターのクラウン・ジュエル。どうやら久々の来店を歓迎されているようだ。

 オリーヴを入れたカクテルグラスが俺の前に置かれ、ミキシング・グラスでステアされた酒が注がれる。一ヶ月振りの夜明ヶ前のマティーニ。これもまた一期一会、心して味わわなければ。

 と、そこへ珍しくお客様の来店だ。こんな開店早々の時間に俺以外の客が来ることは希だ。まぁお客が入ることは悪いことじゃない。あまり客が来なくて店が潰れたりしたら、マスターも困るが俺も困る。当然マスターも俺もお客様大歓迎だ。

 普通にワイシャツネクタイ姿で入って来たその客は、メガネを掛けて髪型もこざっぱりとして、どことなく銀行員とか役所の職員みたいな印象だ。いかにも一杯目は『とりあえずビール』なんて言いそうな雰囲気だが、果たしてどんなオーダーをするものか。

 一応マスターは普通におしぼりを出してメニューを渡す。おしぼりで顔を拭かなかったのは上出来としよう。そんなことしたら追い出されちゃうからね。さて、何を注文するのか。

「すいません、レッド・アイお願いします」

 とりあえずビールなんだけどビールじゃない。これはどうにも微妙なオーダーが入ったもんだ。果たして夜明ヶ前のメニューにレッド・アイが載ってたかどうだか。メニューを見なくともビールとトマトジュースなら必ずあるだろう、ってことだろうけど。こういうオーダーじゃあつくりたくなくても無碍に断ることも出来ないよな。さて、マスターはどんなレッド・アイをつくるんだろうか。

 オーダーを受けたマスターはゆっくりとグラスの棚の前に立った。落ち着いているように見えるけど、必死になってグラスの選定をしているに違いない。普通に考えればジョッキかタンブラーで十分なんだろうけど、他の選択肢がないか考えているんだ。一瞬コリンズ・グラスに延びかけた手が止まり、結局大きめのタンブラーに落ち着いたようだ。

 トマトジュースはデルモンテ、ビールはサントリーのモルツを選択。タンブラーにトマジュー一缶を注ぎ、残部をビールで満たす。普通のカクテルは酒を先に注ぐけど、このカクテルは逆になるんだね。青い葉の付いたスティックセロリを添えて軽くステア。くし切りのレモンを縁に掛けて出来上がりだ。

「何か調味料を使うかい」

「いえ、このままで」

 男はグラスを取り、レモンをグラスの縁から外してコースターに置くと、グイッと一口あおった。何かを確認するように、うんうんとうなずいている。

「どうだい、ウチのレッド・アイは」

「美味しいです」

 男は当たり障りの無い返事を返すが、どうもこのカクテルに引っ掛かるところがあるようだ。

 そもそもレッド・アイはかなり中途半端なカクテルだ。トマトが好きならトマトジュース飲めば良いし、ビールが好きならビールを頼めば良い。わざわざ混ぜてアルコールも2%近くにまで落として飲む必要は無いように思える。もし頼むとしたらそれは、トマトもビールも大好きで是非一度に味わいたい、という欲張りな人に違いない。

「マスター、最近発売になったアサヒの“レッド・アイ”っていう発泡酒を知ってます?」

「ああ知ってるよ。今年の五月に発売になったヤツな」

 どうやらマスターに確認したいことがあるらしい。

「僕はレッド・アイが大好きなんですけど、以前からちょっと不満というか物足りなさを感じていたんですよ。ビールもトマトジュースも大好きだから当然レッド・アイも好きなんですけど、実際にはビールを割ることで炭酸が薄くなっちゃうじゃないですか。どうにかあのビールの爽快なのどごしを残したままに、トマト味にならないかなぁ、って思ってて。レッド・アイが今回缶飲料で発売されたってことで、その不満が解消されるんじゃないかと思って凄く期待してたんですけど、やっぱり普通に混ぜてつくるのと変わらない感じですね」

「まぁレッド・アイは缶では無理だろうと思ってたから、商品化出来たのは大したものだと思うよ。技術はもちろん、それをつくって売ろうっていう気概もね。でも糖類や酸味料、色素なんかの添加物も入ってるし、コアなレッド・アイのファンだったらトマトジュースとビールを自分で割って飲む方が正解なんじゃないのかなぁ」

 ふーん、ビールのトマジュー割りが缶で発売されてたんだ。知らなかったよ。

「12月末までの限定発売って話らしいんですけど、それまでに炭酸含有量を増やすような工夫をしてくれたらちょっと飲んでみたいとも思うけど、逆にあまり炭酸が強くない方が好きっていう人もいるだろうし。炭酸入りトマトジュースなんて売ってないし。結局ないものねだりってことになっちゃうのかなぁ」

 男は落胆したように肩を落とした。果たして炭酸の強いレッド・アイが美味いかどうかは飲んでみないことにはわからないけれど、きっと彼にとっては憧れなんだろうなぁ。何となくその気持ち、分かるような気がするよ。


次回に続きます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ