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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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日本のビールはなぜ美味い(中編)

 話の流れでマスターのご機嫌が悪くなったタイミングで、丁度俺のビールも空になった。果たしてマスターの気を紛らわせられるとも思えなかったが、とりあえずここはオカワリでもして雰囲気を和ませよう。

「次もビールにしようかな。何かマスターのオススメで。また国産ビールがイイな」

 俺はちょっと無理っぽい作り笑いでそう言ったが、あまりにも見え透いててかえってマスターに気を使わせちゃったかも知れない。お客が店主に気を遣わせるのは商売上当たり前のはずなんだけど、こういうところはまた違うんだよね。解かる人にしか解らない話かも知れないけどさ。ちょっとした判断の狂いで自分の居場所を失っちゃうってこと、大人の社会ではよくあることなんだよ。

 何にしろこのままの流れだと第3ビール発売から更なる税率引き上げの話になるのが目に見えていたし、話題を変えるには丁度いいタイミングだ。

 マスターはちょっと気を取り直した風で、冷蔵庫をゴソゴソと物色していた。

「じゃあ真打登場ってことで、ヱビスビールでイイかい」

 そう言ってマスターが出してきたのはあの金色の缶ではなくって、赤銅色の菱形をあしらった、ちょっと道化の衣装を思い起こさせるようなデザインの缶だった。

「そんなヱビスがあるんだ」

「期間限定発売の“薫り華やぐヱビス”っていうヤツだ。もう終売なんだけど、まだ何本かストックが残っててな。飲んでないのかい?」

「うん」

 今度は足のない細身のピルスナーグラスに注がれて出てきた。“琥珀ヱビス”みたいなイメージだったんだけど、見た目の色はスタンダード品と似たような感じだ。俺は期待に胸を膨らませてまず一口。苦味はあまり強くなく、とってもフルーティーだ。

「美味いビールだねぇ。こんなに美味いのにもう製造してないの? 何で?」

「さあね。そこまでは知らないけど。シャンパーニュの麦芽使用とかってことで、契約の関係なんじゃないかな。それよりも、商品名が“薫り華やぐヱビス”なんだが、ちゃんと香りをチェックしたかい」

 おっといけない、その通りだよな。マスターはまだストックがあるとか言ってたけど、酒との出会いは一期一会だった。疎かに飲んでたら立派な酒呑みになれないよな。

「せっかくだからちょっとヱビスの豆知識。山手線の恵比寿駅は元々の地名じゃなくって、ヱビスビールの工場があったことでゑびす駅と命名されたんだ。ビールの名前が地名や駅名になったんだよ」

「さすがにそれは知ってる。有名な話だものね」

「そういう時は知ってても初めて聞いたような顔をするもんだよ」

「何か他の薀蓄を聞かせてよ」

「そうだな。ヱビスはもちろん恵比寿様のことだけど、ホントは大黒様を使いたかったらしいんだ。でも開業当時、横浜に“大黒ビール”ってのが既に存在しちゃってたんで“恵比寿”にしたんだそうだよ」

「へぇ~、それは知らなかったな。じゃあもし横浜のが無かったら“ダイコクビール”になってたかも知れないし、駅名も“大黒駅”だったかも知れないんだ」

 缶に描かれた大黒様を想像してみて、結構それも良さそうな気がする。

「黒ヱビスは別ブランドで“大黒ビール”にしたら、なんかセットでありがたい感じがして、おめでたい席で喜ばれそうな気もするな」

「そういう商品展開もアリかも知れないな。ついでに“商品展開”を巡るヱビスの、というかサッポロの迷走の話でもするか。もう10年くらい前だったか、ちょっと忘れちゃったけど、サッポロが『ビール以外の高級指向付加価値商品にも“ヱビスブランド”を展開していく』なんて血迷った発表をしたことがあったよ。その時は我が耳を疑ったものだが、それ以後、特にそれらしい気配は無いようだから、サッポロさんも自らの誤ちに気がついたんだろうな。その代わり黒ヱビスから始まってシルク、琥珀、なんていう新商品を展開していったのだけれど、これがどれも美味くて大当たりだ。初めはちょっと危ぶんだけどね。あの時、間違った決断のまま突き進んでいたら、この日本の誇る素晴らしい国産ビールは出来なかっただろうね」

 そんなことがあったんだ。ホント、ビール業界ってドラマチックだな。

「もう一つついでに、商品展開を見誤ってしまった話をしておこう。これはサッポロじゃなくってキリンの話だけどな。その昔はビール業界は麒麟麦酒の独壇場だったわけだけど、“スーパードライ”の登場でアサヒがキリンを猛追した。そしてアサヒは遂に『生ビール売り上げNO.1』っていう宣伝を展開した。これにはキリンも相当焦ったようだ。なぜそうなったか、って考えた時に槍玉に上がったのが“キリンラガービール”。これは昔からの熱処理した、日本酒でよく言われるところの火入れ殺菌ビール。つまり“生”じゃないんだよな。これを“生”にしてしまえ、と登場したのがラガーの生。でもキリンはこの時、大きな誤ちをおかしていたんだよ」

「誤ちって?」

「それはキリンがユーザーでなく、ライバルの方しか見てなかった、ってことだ。確かに世の中“生ビール”が圧倒的に主流になってしまっているけど、昔ながらの苦味とコクのある熱処理ビールの味が好きだ、っていう消費者も間違いなくいるんだ。そもそも私がそのクチだしな。そのための“ラガー”だったし、そのラガーを“生”にするんだったら生の“一番搾り”だっていいことになる。そんな消費者からの声でキリンは目が覚めたんだろう。熱処理ラガーの復刻版“クラシックラガー”を発売したし、主力商品の“一番搾り”も麦芽100%へと移行していった。まさに“過ちては則ち改むるに憚ること勿れ”ってヤツだな」

 なるほど、そうやってユーザーの声を聞いて改めるところは改める、っていう姿勢から美味いビールが生まれるんだな。マスターの話を聞いてたら何だか今度は熱処理した苦いラガーが飲みたくなってきちゃったよ。

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