日本のビールはなぜ美味い(前編)
世の中ゴールデン・ウイーク真っ盛りって感じだけど、俺はというと行くところがこの冴えないバーしかない。行列も人混みも大の苦手で、どちらかと言えば孤独を愛する男。酒が相棒の俺には、やっぱり連休も酒を飲むためにあるようなものだ。
そんなワケで俺は今夜もこの“夜明ヶ前”に顔を出す。このバーもゴールデン・ウイークとか関係なしにいつも通りに開店してる。ありがたいことだ。俺はわざと音がするように建てつけてある扉を開く。このギィッって音を聞くと“さあのむぞ”と心があらたまる。
店内に入るとまた随分と軽快でノリの良い演奏が掛かっている。ビッグバンドっぽい感じでピアノも入ってる。ちょっとわからないな。いつもの席に座ってまずオーダー。俺の場合、入ってすぐオーダーしないと自動的にドライ・マティーニが出てきちゃうからね。
「マスター、今日はまずビールからいくよ。それとこの演奏は誰?」
「なんだい“とりビー”かい」
「ちょっとゆっくりとのもうかと思ってね」
「コレはアール・ハインズの“サウス・サイド・スウィング”ちょっと録音は古いけど、そこがまた味わいがあってイイだろう」
そう言いながらマスターは冷蔵庫からグリーンのボトルを取り出した。
「コレでイイだろう」
「キリンの“ハートランド”か。イイね、丁度こんなのを飲みたい気分だった」
しっとりした演奏とかだったらイギリスやアイルランドあたりの上面発酵パブ・ビールとかもイイかも知れないけど、このひたすら軽妙で陽気な演奏には、ピルスナーが合うよな。もちろん元祖ピルスナーのチェコビールなんかも良さそうだけど。まぁこれは俺の個人的な好みの話なんだけどね。
マスターはピルスナーグラスではなくて、ちょっと小さめのフルート型シャンパングラスを出して栓を抜いたハートランドをその横に置いた。俺がゆっくり飲むと言ったので、それなりに気を使ってくれてるようだ。嬉しいね。俺はエメラルドグリーンのボトルを取ってグラスへと傾けた。黄金色の爽やかな液体が弾けながらグラスへと注がれる。目の前にあるのに、最初の一口が待ち遠しくてたまらない気持ちだ。
グイッと一口飲む。もう何度も飲んで味も十分わかっている。わかっているのにこれほど嬉しい。いろんな酒があるけど、この一口目の喜びってのはビールが最強かなぁ。他の酒はしばらく味わっちゃうけど、ビールは“味わい”じゃなくて“爽快感”なんだよな。
「何を今更だけど、やっぱり日本のビールは美味いよね」
「まぁ確かに相当の高水準だよな。大手五社はほぼほぼ下面発酵のピルスナー一本槍ってところはあるけど、その隙間を埋めるように地ビールのブリュワリーが個性あふれる地ビールを提供してるし。ちょっと大手が強過ぎるきらいはあるけど、バランス的には丁度イイのかも知れないな」
日本のビールが美味い、ってコメントだけでそこまでリコメがくるんだ。このマスターもホントにあらゆる酒が好きなんだなぁ。
「大手五社っていうとキリンにアサヒ、サントリー、サッポロと……」
「オリオンな」
「そうそうオリオン。今はアサヒと業務提携してるんだよね」
「五社、と言っても沖縄以外では四社の競争ってことだろうけど、随分と凌ぎを削ってる印象があるよ。アサヒがキリンを抜いた時も結構な騒ぎようだったし、サントリーが萬年ドベからサッポロを抜いた時も賑わったしね。確かに色々とドラマがあって面白いのは確かだけど、まぁこれほどの加熱が美味いビール造りに反映されてるんだから、消費者としては嬉しい限りだな」
確かに言われてみればそうだよな。日本酒大手はむしろ地酒蔵に圧されてる感じだし、ワインや焼酎、ウイスキーなんかもそんな注目されることないし。
「今は発泡酒とか第三ビールなんてのが巾を効かせてるみたいだけど、そっちで儲けた金でビールはビールでしっかりしたものを造ってくれれば言うことない。アベノミクスとやらで景気が上向いてくればビールの消費も伸びるだろうし」
「これからもっと美味いビールが開発されるのかな」
「それはないだろう。もう十分美味いしな。今はヱビスやプレミアム・モルツなんていうちょっと贅沢なビールが人気だけど、キリンの麦芽100%になった一番搾りなんかも美味くなったと思う。サッポロ黒ラベルも結構昔からのファンとか多いんじゃないのかな。アサヒのドライは……私は個人的には好きではないんだが、人気はあるよな」
「そう言えばドライってアサヒ以外の会社も参戦してたよね」
「そうなんだよな。結局生き残ったのはアサヒスーパードライだけ。ドライと言うよりも、ライトな味を好む層が意外と多かったのかも知れない。ドライブームの他にはアイスビールブームなんてのもあったし、商品名に“吟”を使ったのもあった。それらの新商品ブームの中で生き残ったのはアサヒのスーパードライだけ。それなりに敬意は評したいと思うよ。もっとも“吟”ブームは日本酒の“吟醸”を連想させるってことで指導が入ったんだけどね」
そう言えばそんなのもあったような気がするなぁ。
「でも発泡酒っていうジャンルが出てくるまでは味で競争してたから健全な気もするよね。発泡酒は安さとイメージばっかりで」
「丁度デフレとの相乗効果もあったかも知れないな。もちろん開発者の努力は素晴らしいと思うし、味はそこそこで安いものをっていう需要も間違いなくあったわけだしな。使用麦芽の比率が条件を満たしていないとビールと名乗れないんだけど『だったら“ビールじゃないもの”として、酒税も軽くなった分安く提供しよう』ってのはコロンブスのタマゴ的な発想だと思うよ」
「それでせっかく安い発泡酒を開発したら、狙い撃ちのように税率を上げられちゃったんだよね」
俺は何気なく軽い気持ちでそう言ったんだけど、気が付けばマスターの顔はみるみる不機嫌なものに変わっていった。そうだった、この手の話になると機嫌が悪くなるんだよな、この人は……。




