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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
35/99

卵のカクテル(前編)

 今夜の夜明ヶ前のBGMは“ジャズ・アット・マッセイ・ホール”、最高にご機嫌な演奏だ。バードにデイズ、ミンガス、バド、マックス・ローチ。メンバーも豪華でジャズ・ファンなら誰もが聴いておくべき名盤中の名盤だろう。収録曲も最高にイカしてる。そう言えば“美味しんぼ”なんていうマンガでこのアルバムの“ソルト・ピーナッツ”がクローズアップされたことでも知られているよな。

 契約の都合上、チャーリー・パーカーの名前が“チャーリー・チャン”の変名でクレジットされているのも話題の一つ。パーカーは手ぶらで会場に現れて、近くの楽器屋で借りたプラスチックのアルトで吹いたっていうんだから笑わせてくれる。コンサートの休憩時間に客とメンバーがパブで一緒になって飲み騒いでたら、主催者が怒って連れ戻しに来た、なんてのも語り草だ。

 2曲目のタッド・ダメロンの曲“ホット・ハウス”ではパーカーがアドリヴでカルメンの“ハバネラ”を吹いて、デイズのトランペットがそれを真似して演奏するところがたまらなくカッコイイ。“チュニジアの夜”や“パーディド”とか誰もが知る名曲を素晴らしい名演で聴ける、まさに大名盤だ。

 なんていうウンチクで盛り上がりたいところなんだけど、マスターはそれどころじゃないようだ。いや、ご機嫌過ぎて俺のことなんて忘れちまってるようだ。何しろ今夜は珍しいことに若い女性客がカウンターに座っている。それも二人。まぁ中年バーテンダーが若い子にデレデレするのもやむを得ない気もするけど、あまりみっともイイものではないよな。

「この前、成人式の日に友達がこのお店で美味しいお酒を飲ませてもらったって言うから、一度来てみたいと思ってたんです」

 ドア側に座ってるショートヘアの娘が連れのポニーテールに同意を求めるように言う。友達が成人式ってことは、多分この子達もハタチなんだろうな。マスターは満面の笑みでおしぼりを手渡し、メニューを広げて差し出す。

「何でも好きなものオーダーして下さいね」

 お客なんだからメニューに載ってれば何でも好きなもの頼むだろうに。そんなに若い子とお話したいのかね。

「何にしよう。カクテルがイイよね」

「あ、私これ飲んだことがある。これにしよっと」

 ポニーテールがメニューを指差す。飲んだことがある、って、果たしてハタチになってからだろうか……。

「“ピンク・レディー”だって。聞いたことあるような気がする。私もそれにしよっと」

 どうやら二人共ピンク・レディーをオーダーするようだ。

「何かおつまみとかは」

「どうしよう。何かおすすめの美味しいものありますか」

「イチゴ味のチーズとかチョコレート味のチーズなんてのがあるけど、どうです?」

「じゃあそれでお願いします」

 マスターは早速冷蔵庫からチーズを取り出して盛り付ける。小さなキューブになってて女子でも食べやすい感じだな。俺は甘いのは苦手だけど、見た目はちょっと美味しそうだ。マスターは皿を二人の前に置くと、

「食物アレルギーとかってあります?」

 突然そんなこと訊かれて、二人はちょっと面食らった表情をしていた。

「特別ありませんけど…」

 二人は同意を求めるように顔を合わせてうなずく。なぜそんなことを訊かれたのか全くわからないようだ。俺には分かるので、マスターの気遣いはさすがだな、と感心してしまうんだけど。最近はそこまで気を使わないといけないんだなぁ。

 ちょっと大ぶりなカクテルグラスが二人の前に置かれる。マスターは大型のシェイカーに二人分の材料を入れてシェイクしている。それまで甘いチーズの味にはしゃいでいた二人も、マスターのシェイクを目を輝かせて魅入っていた。

「私こういうの直に見たの初めて」

 テレビや映画なんかでは見たことあるんだね。

 シェイクが終わると、マスターはストレーナーのキャップを外し、二人のグラスへ等分に注ぐ。ピンク色のトロッとした酒がグラスに満たされる。二人は待ちかねたようにグラスを取り、縁を軽く合わせた。まぁ乾杯はイイんだけど、バーとかではあまり上品じゃないな。追い追い分かってくるんだろうけど。

「あれ、これ前に飲んだのと全然違う」

 ショートヘアーはびっくりした顔で更にもうひと口。

「前に缶で飲んだのは炭酸が入ってて全然違う味だった」

 そりゃそうだろう。何か缶ジュースみたいのと勘違いしてるんだな。第一、本来のピンク・レディーが缶で発売出来るワケがない。

「何だかトロみがあるみたい。何が入ってるんだろう」

「卵白が入ってるからトロッとしてるんだよ」

「ランパク?」

「卵の白身のこと。ジンとグレナディン・シロップと卵の白身をシェイクしてつくったのがこの“ピンク・レディー”」

「えー、このカクテルって生卵入りなのぉ?」

 ポニーテールも驚いた顔でカクテルを覗き込む。

「あたし生卵って初めてかも知れない。でも普通に美味しく飲めるね」

 結構有名なカクテルなんだけど、卵を使うのが面倒であまり提供したがらない店が多いんだよな。俺の知ってる限りだとこの店の他にもう一店舗、小さなピザハウスだけだ。

「一般的なレシピでは、これにちょっとレモンを加えるんだよ。そうすると“ピンク・ベイビー”っていうカクテルになる。グレナディンの量を減らしてレモンを二分の一個分使えば“クローバー・クラブ”。生クリームを加えれば“ピンク・ローズ”。アプリコット・ブランディーを使った“フェアリー・ベル”なんてのもある。他にも分量を変えることで“ブレックファースト”なんてカクテルもつくれるんだ。結構ヴァリエーションの巾があるカクテルだね」

 甘いのは苦手だけどクローバー・クラブなら酸味も適度で爽やかだよな。次は俺もカクテルでも頼もうか。


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