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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
33/99

震災から二年目の春

 店内にはピアノトリオの演奏が流れていた。たまに女性ヴォーカルが入る。アルバムはイリアーヌ・エライアスの“エヴリシング・アイ・ラヴ”、さっきマスターにジャケを見せてもらった。レーヴェルはブルーノート。あのレーヴェルって真っ黒でゴリゴリしたイメージだったけど、最近は色々なアーティストがいるんだな。ストレートな4ビートで、俺としてはこういうのが一番好きだ。歌が入るのも、飽きがこなくてイイな。

 今夜は珍しく俺以外のお客が入っているが、どうやら常連ではないらしい。とりあえず見た覚えはないし、特別マスターと親しそうにしてもいない。ただ出された酒を黙々と味わいながら、BGMに耳を傾けているといった体だ。何のことはない、俺と一緒だな。

 俺は一杯目のマティーニをのみ終わるところだったが、マスターは手が空いてるようですぐに俺の方へ顔を向ける。

「次もマティーニでイイかい」

 俺は黙って頭を下げた。マスターはミキシング・グラスにリンスした氷を入れ、キンキンに凍らせたジン、ヴェルモットを注ぎ、続いてアロマチック・ビターズを振り入れる。バースプーンでサッとステアしてストレーナーをかぶせ、俺の前にオリーヴ入りのカクテル・グラスを置き酒を注いだ。相変わらず澱みのない動きで、特にステアした時の氷の動きが見事だ。

「マスター、今流れてる曲はなんてタイトルだっけ」

「ウッディン・ユーだよ、デイズの曲」

 そうか、ガレスピーのウッディン・ユーだ。すぐに曲名が出てこなかった。脳が老化してるのかな……。

「そう言えばもうあれから2年経つんだね。先週の311にはお店開けたの」

「いや、哀悼の酒を呑むってのもアリかと思ったけど、そんなのわざわざバーで呑むこともなかろうと思って。どうせなら自宅でしんみりと呑むべきなんじゃないかと思ってな。とりあえず休業させてもらったよ」

 もしかすると311に合わせて皆んなで東北の酒で献杯しよう、なんていう企画の居酒屋やバーもあったかも知れないけど、ここのマスターはそういうのは好きじゃないんだよな。商売っ気がない人なんだよね。

「震災のあとに、結構東北のお酒を呑んで被災地を応援しよう、みたいなのがあったよね」

「あったな、そういうの。経済を回すために買い控えや自粛ムードを払拭するために言い出したんだろう。それは決して悪いことじゃないとは思うけど、実際にどれだけ復興支援になったのか、結局目で確認出来ないんだよな。本当に支援が必要な酒蔵は酒を出荷するどころじゃないだろうし、売れて喜ぶのは被害の無かった、或いは小さかった酒蔵。それに決済が終わってて在庫として持ってた酒屋さんとかは儲かっただろうけど。いくら出荷済みの酒が売れても、補充するための酒も施設も全部流されてしまった酒蔵にしてみれば、いくら東北の酒が売れたところで、蔵の再建には関係無いだろうからな」

 そうか、確かに言われてみればそうだよな。

「被害の少なかった酒蔵が、自分のところの儲けを寄付したり援助したりすればイイんだろうね」

「東北の酒蔵の横の繋がりがどんなだか、正直私も知らないんだけど、とりあえず聞いた話では東京・福生にある多摩自慢の石川さんとか嘉泉の田村さんなんかは結構な額を復興支援金として贈ったらしいよ。ほかの酒蔵なんかでも、額は違えど幾ばくかの支援はしてるんだろうね」

「確かに、復興支援で東北の酒を呑もうって流れから、産地とかあまり関係なく日本酒がクローズアップされるような感じになったけど」

「世のお父さん達にしてみれば、酒を呑む大義名分が出来たってところじゃないのかな。ただでさえ奥さんに頭が上がらないようなサラリーマンが、復興支援の御旗を掲げて堂々と酒を呑む口実を手に入れた、ってことだろう。もちろん酒造業界・酒販業界もそれに乗っかって煽り立てた結果だろうけどね。それでまがい物でない高品質の酒が出回るようになって、それまで日本酒を呑まなかった人達がその美味さに目覚める、なんてことであればそれもまた良し、ってところかな」

「そろそろお花見の季節だしね。やっぱり花見には日本酒かな」

「震災の年のお花見は当時の都知事の発言で自粛ムードになってしまったよな。ああいう横暴な知事を選ぶ都民の気が知れないよ」

 どうやらマスターは石原前都知事が嫌いらしいな。

「でも人気はあったでしょ。総理候補としても期待されてたし」

「独善も甚だしい、とんでもない人だと私は思うよ。失言しても謝らなかったり。尖閣の寄付金も結局最後まで見通しがついてないのに見切り発車するし。まぁあの人の悪口はいくらでも出てくるんだけど、花見の是非にまで口出しするってのが私には許せないよ。2011年の桜は2011年の春にしか咲かないんだ。もう二度と戻ってこないんだぞ。その花を楽しまなかったら桜に申し訳ないだろう」

 なるほど、そういう考え方もあるんだな。

「マスターはあの時、花見はしたの?」

「ああ。電力が問題になってたから、そのへんは考慮して。ワンカップとスルメを両手に、花の咲いている近所をぶらぶらと散歩するだけの花見だったけど。花見の原点に還って、大騒ぎする呑み会ではなく、純粋に桜を楽しむ花見をしてみたよ。それはそれで新しい発見なんかもあって、それなりに楽しかったな」

 いいおっさんがワンカップとスルメを持ってぶらぶらと散歩。ヘタすると変質者と間違われそうな気もするけど……。でも何だか楽しそうだ。俺もこの春はそんな花見をしてみようかな。


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