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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
32/99

盲目の酒蔵

読者様の増加に配慮し、実在する(した)酒蔵名を伏せさせていただきました。

 今夜はちょっと夜明ヶ前のマスターの意見を聞きたいと思って、開店よりも若干早い時間に入店した。開店前とは言っても普通に扉は開いていて、BGMも流れていた。このBGMが何だか暗い。ちょっと異様な雰囲気だ。

「ちょっと早いけどイイ?」

 訊いてはみたものの、俺としては有無を言わせぬ勢いだ。大体、ただひたすらマティーニをのむ俺には開店準備なんて無用なはずなんだからね。

 マスターは是とも非とも言わずに俺のマティーニをつくりはじめる。敢えて言えばそれが“是”のサインだ。俺は開店前など関係なく、いつものようにカウンターの指定席に腰を据える。ほどなく俺の前にマティーニが注がれる。おしぼりが出てきたのはその後だ。

「なんかワケわかんないのが掛かってるね。誰のアルバム?」

「何だ、知らないのか。ローランド・カークだよ」

 そうか、名前だけは知ってるな。全盲だったミュージシャンだ。確か口で二本咥えたり鼻でフルート吹いたりした人じゃなかったっけな。ちょっと異様な感じがしてあまり聴こうとは思わなかったんだが……。と、突然、管楽器のトウッティが鳴り響く。三管だが、これもカークが一人で演奏してるんだろうか。

「アルバム・タイトル・トラックの“溢れ出る涙”、感動的だろう?」

 そうなんだろうか。俺にはよくわからないな。そんなことより。

「ところでマスター、今朝の新聞のこの記事見た?」

 俺は今日の新聞をそのまま開いてマスターに見せた。マスターはうんざりした表情でその記事には一瞥もくれようとはしなかった。

「知ってるよ、大阪のN酒造の話だろう」

 比較的日本酒にも詳しい夜明ヶ前のマスターのことだから、この話題を振れば色々と業界の裏側とか教えてもらえると思ったのだが、なんだかいきなり不機嫌にしちゃったような感じだなぁ。

「全くバカにもほどがあるよな。記事には“純米酒にアル添”みたいに書いてあるけど、実際にはアル添酒を純米に偽装、だよ。アル添の酒を認める人ももちろんいるけど、純米にこだわる人だっていっぱいいるんだ。そう考えれば、イスラム教徒に“鶏肉料理”って食わせたものが、実は豚も入ってました、ってのと同じようなものだよ。もちろんそこまでシビアじゃないけどな。それにしたって、そこには『純米がアル添だって判りゃしない』っていう消費者を愚弄した思いがあったことは間違いない。信用を得るには永い年月が必要だけど、失うのは一瞬なんだ。全く、何を考えていることやら……」

 どうやらこの件に関しては随分と溜まってたらしい。バーのマスターなのに日本酒には不思議なほど思い入れがあるひとだからね。

「安い酒に“大吟醸”の表示をしてたなんてあるけど、やったとしても“吟醸”を“大吟醸”ぐらいだろうね。まさか本醸造を大吟醸はないんだろうけど」

 それはさすがに有り得ないと思うけど、こうなるとホント信用出来ないな。

「このN酒造、表示違反をはじめたのが五年前とかって話になってるようだけど、五年前に何があったか覚えてるかい?」

 いきなりそんなこと言われてもピンと来ないなぁ~。何があったんだろうか。五年前、五年前……。

「酒造用に本来食用には適さない“事故米”が混入される事件が起こったのが五年前だよ。ほとんどの酒蔵は知らずに事故米を買わされていた“被害者”だったんだよ。ある黒糖焼酎の蔵でも大きな被害を受けたんだけど、幸いそこは仕込みまでの状態で出荷前だったから、回収騒ぎにはならなかったんだ。ただ、仕込んだ酒の廃棄と風評被害は大打撃だったようだよ。その蔵の知り合いから頼まれて、私も信用回復的な行動をした記憶がある」

 そうか、そう言えばそんなことがあったよな。

「それってどこの蔵?」

「名前を出してイイものかな。何しろ黒糖焼酎で一番有名な蔵だよ」

 ああ、あそこのことだな。

「あの時、事故米と知っていて私腹を肥やすために消費者を裏切って不正な商売をしていた酒蔵があったんだよ。熊本の“B酒造”、今は“H酒造”と名前を変えているけどね。そんな大きな不正があった年から、新たに不正を始めようなんて蔵があるだろうか。もしそうだとしたらそれはそれでキチガイみたいな酒蔵だけど、むしろそれ以前から常習的に不正を重ねてきたと思ったほうがずっと自然で納得がいくよ。つまり、今回の大阪の酒蔵“N酒造”ってのは、そういう蔵だってことさ」

「でも、不正とかって多かれ少なかれあるんじゃない。今回はたまたまこの蔵が問題になっただけで」

 あまりにも絶望的なマスターの言葉に思わずフォローのつもりで言ってみたが、よく考えたら全然フォローになってないような。

「そのとおりなんだ、日本酒蔵なんてインチキなものさ。いや、酒蔵以前にこの国の酒税法がインチキみたいなものだしな。せっかく世界に通用する文化を持ちながら、その素晴らしさを発揮することも維持することさえも出来ないとしたら、日本の酒文化ってのも随分と哀れなものだな」

 先日美味い日本酒を呑んだ後だけに、俺もちょっと切なくなった事件だった。

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