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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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シェイクとステア

 しばらく俺一人でマスターを相手に飲んでいたが、やがて二組目のお客が入ってきた。比較的若いカップルだ。二人がスツールに腰を落ち着けると、マスターが無言でメニューを渡す。“いらっしゃいませ”くらい言えばいいのになぁ。

「カクテルがイイよね、何飲もうか」

 男の方はカクテル・メニューが載ってるページを連れに見せて言う。

「僕はマティーニでいいや」

 ジン・ベースのトップはマティーニである。最初に目に付いたのをサッと頼んだのだろう。ここで下手に迷うと優柔不断だと思われるからね。一方、女の方は色々と見ていたが、

「私はギムレットでいいかな」

 マティーニの下に書かれてるのがギムレットだ。もう一ページめくればロング・ドリンクのメニューもあったのだが、どうやら気付いてはいなようだ。まぁ、若いからって酒が弱いとは限らないし。

 マスターは注文を受けると、まずシェイカーに氷を入れた。当然である。ここのマスターはオーダーの順番とか関係なく、まず女の注文から受ける。

「どっちのカクテルが先に来るかな」

 おいおい何言ってやがる、シェイカー使ってるんだからギムレットが先に決まってるだろう。

 マスターは冷凍庫からジンを取り出し、メジャーを切る。継いでコーディアルのライムを加えてシェイク。彼女の目の前にエメラルドに輝くギムレットが注がれた。

「次が僕のだ」

 そりゃそうだろう。マスターはミキシング・グラスに氷を入れ、ジンとベルモットを注いでステアし、オリーヴ入りのカクテル・グラスを客の前に置くと、酒を注いでレモンをピールした。

「僕のはシェイカー使うヤツじゃなかったんだ」

 男は彼女への弁解とも、落胆ともつかない一言を漏らした。こういうどうでもイイ一言を、俺もマスターも聞き逃さない。

 男は気を取り直して連れの女と乾杯して、マティーニを飲んだ。表情が一瞬歪む。

「あ、結構強いな」

 どうやらマティーニを飲むのは今夜が初めてのようだ。

「シェイクの方が良かったかい? 一杯奢ってあげるよ」

「え?」

 マスターは今のマティーニを今度はシェイクでつくり始めた。シェイカーを振るマスターの姿を、男はジッと観察していた。先程と同じようにグラスが置かれて、酒がシェイカーから注がれる。

「味の違いが分かるかい?」

 男はシェイクでつくったマティーニを口に含んだ。何か思うところがあるようで、しきりに肯いている。

「こっちの方がマイルドですね、さっきのほど強く感じないかも」

「まぁそういうとこかな。シェイクすれば混ざってマイルドになる。でもあまりマイルドにしたくない、持ち味を活かしたい酒はミキシング・グラスで軽く混ぜて冷やすだけにするのさ。シェイクの方が派手でカッコイイだろうけど。あんたは初心者っぽいからシェイクした方が飲み易いかも知れないけど、慣れてくればステアの方が美味く感じるはずさ。なぁ、そうだろう?」

 おっと、いきなり俺に振られた。マティーニ好きで夜明ヶ前の常連とくれば、それなりのコメントをせねばなるまい。

「俺はシェイクしたマティーニは飲んだことないんだけど……。とりあえずここのマスターのステアはカッコイイよね。バー・スプーンの回転も綺麗だし、氷の触れ合う音が聞こえないもんね」

「イイこと言うねぇ~! おたくらも毎晩とは言わずとも週イチくらいでここで飲めば、きっとあそこのダンナみたいな立派な酒呑みになれるよ」

 カップルの二人はマスターと俺を尊敬の眼差しでかわりばんこに見詰める。ちょっと嬉しいような恥ずかしいようなだな。

「以前、マンガでマティーニをつくるシーンがあったんですよ。それはシェイクしてたんだけどなぁ~」

 そういういい加減なマンガの知識が、恥をかく原因になったりするんだよなぁ。

「そういえば、シェイカーの振り方も、なんかテレビで見たのと違う気がするんですけど」

 マンガの次はテレビかね。バラエティー情報かい?

「持ち方だろう? こうやって持ってなかったかい?」

 マスターはそう言って立てたシェイカーに横から手を添えて、ストレーナーとの継ぎ目に手を当てて振って見せた。地面と水平になったシェイカーが上下に揺れるような感じだ。

「そうそう、そんな感じでしたよ」

「ちっ、最近はプロでもそんな振り方しやがるんだよな」

 今度は立てたシェイカーの真上から垂直に両手を降ろし、指先が地面を指すかたちでストレーナーを包み、シェイカーの底が斜め上を向くようにして振る。

「どうだい、こうすると氷が上下だけでなく前後にも動くのが分かるだろう? この方が効率がイイってのは一目瞭然だ。まぁ確かに酒が混ざれば良いんだから、スタイルなんかどうでもいいんだけどな。でもこれが生クリームやお湯で溶かした蜂蜜とかを使う場合、手際良くやらないと混ざった頃には水っぽくなっちまう。振り方ってのも、そこそこ大切なんだよ」

 二人のビギナーは感心して肯いていた。マスターは得意気だった。

 俺はと言うと、シェイクしたマティーニを奢って貰う方法を画策中だった。


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