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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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正月マティーニ

 年末の慌ただしさからやっと解放されて、俺が“夜明ヶ前”のドアを開けたのは3日の夜だった。三が日は休みかと思っていたが、ちゃんと仕事してるんだね、あのマスター。

 ドアの外から店内をうかがうと、カウンターの向こうにグラスを拭くマスターの姿が見えた。向こうも俺に気づいたようなので手を振って中へ入る。

「マスター、あけおめことよろ」

 マスターはあからさまに顔をしかめてみせた。

「そういうふざけた挨拶は感心しないね。大体今でもそんなのが通用してるのかい?」

 どうだろう、ちょっと前にこんなこと言ってたような気がするけど、もしかしてもう廃れちゃった挨拶なんだろうか。俺はさすがに恥ずかしくなって笑顔を引っ込めた。

「明けましておめでとうございます、今年も宜しく」

「そうそう、それが正月の挨拶だよ」

 って、マスターから客への挨拶はしないのかよ?

 俺はカウンターのいつもの席に座った。マスターはおしぼりを置いてさっさとマティーニを作り始める。

「あれ、普通にマティーニなんだ。マスターのことだから『日本の正月は日本酒呑め』とか言ってくるかと思ったんだけど」

 俺はちょっと期待はずれというか肩透かしを食ったというか、調子が狂ってしまった感じだった。正月に夜明ヶ前でのむ今年最初の一杯。それが普通にマティーニってのはどこか寂しい気がする。マティーニ好きの俺が、今年の一杯目がマティーニであることに何ら違和感はないのだけれど、それにしてもちょっとヒネリが欲しいなぁ。せっかくだから何か面白い趣向でもあるとよかったのに。

「年の初めにいつもと同じ酒がのめる。素晴らしいことだよな」

「そりゃぁ……そうだけどね」

 新しい年を目の前にして、事故や病気で、或いは自分から命を絶ったり、紛争・内戦で亡くなったりする人もいるんだものな。確かにこうやっていつも通り夜明ヶ前でマスターのマティーニがのめるってのは幸せなことだよ。それに気付かせてもらっただけでも大したお年玉なんだと思わなくちゃな。

 マスターは俺の前のコースターにカクテルグラスを置き、ミキシンググラスを傾けて酒を注ぐ。最後にさっとピールを振りかけて、いよいよ今年最初の一杯が完成だ。けど……。

「マスター、オリーヴ入ってないよ」

「とりあえずオリーヴ無しでのんでみてよ」

 俺はきっと怪訝な顔つきでグラスを上げたんだと思う。その表情を興味深そうにマスターが覗き込んでいた。どうも何か企んでる臭いんだけど……。

「あれ? これって」

「なぁーんだ?」

 独特の苦味というか渋みというかエグ味というか。でもそれが嫌な感じはしなくって、郷愁を誘う味という感じがする。

「柚子でしょ、これ」

「そう、正解」

 レモンの代わりにユズをピールしてあるんだ。ジンは柑橘系と相性がイイけど、このユズのピールってのは考えたことなかったな。日本人には馴染みの深い味と香りだし、鍋料理なんかの食前酒にもイイかも知れないな。ただ強いから、あんまり一般的ではないけどね。

「以前、ユズ果汁で試してみたんだけどあまりパッとしなくてね。酒も濁るし。ピールしてみたらイイ感じになったんで、ちょっと試してみようと思ってな」

「うん、悪くないと思う。万人向けとは言えないけど、これはこれで面白いんじゃないかと思うよ」

 俺はそう言って、残りの酒を一気にグイッと呷った。

「二杯目も同じもの飲んでもらいたいんだけど」

「じゃあもう一杯もらおうかな」

 マスターはもう一杯マティーニをつくる。今度はピールしたユズの皮をそのままカクテルグラスの底に沈めた。

「ホントはこんな感じで出そうと思ったんだよ。でもそれだと旦那はのむ前に分かっちゃうだろうからワザと入れずにつくったのさ。一応“ジャパニーズ・マティーニ”って名前にしようかと思ってるんだ」

 ちょっとセンス悪いなぁ……。でも味は悪くないな。

 レモンとは違う、ちょっとゴツゴツした感じのユズの皮がカクテルグラスの底でその黄色い色を輝かせている。ちょっと下から眺めてグラスを回してみる。これもまた美しい宝石のようだ。

「イイね、なんかテンション上がってきちゃったよ」

 俺は上機嫌で二杯目の一口目をのんだ。ピールした皮を入れた分、一杯目よりもユズの苦味が強くなったような気がする。でも嫌じゃないな。爽やかな苦さだ。

「マスター、柚子の皮、もう少し薄く削いだ方が苦味が抑えられるんじゃないかな」

「さすがに鋭いこと言うね。ピールした皮を入れると見た目にイイと思ったんだけど、ちょっと苦味が強くなり過ぎるんじゃないかと気にはなってたんだよ」

 あらためて二口目をのみながら考えてみる。もしかしてコレってマスターの新メニュー開発のお手伝いってやつじゃないのかな。だとしたら今夜はマスターの奢りってことになるんだろうか。これは正月から嬉しいお年玉になりそうだ。

「マスター、これお店で出すんでしょ? いくらで設定してあるの?」

「一応600円のつもりだけど、旦那は今夜半額でイイや」

 え?とるのかよ……。



次回に続く

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