メキシコに降る雪
夜明ヶ前の店内には陽気なオルガンの音が流れていた。その上をサックスが波にでも乗るかの如くに自由に吹きまくっている。ルー・ドナルドソンの“アリゲイター・ブーガルー”が掛かっている。今夜は随分とファンキーで陽気な音を流してるなぁ。俺としてはピアノ・トリオかなんかでしっとりと飲みたいんだが……。
「ねぇマスター、BGM変えない?」
仕込み中のマスターに声を掛ける。どうせ客は俺一人だ、サービス業なんだから客の好みに合わせてくれたってイイよな。
「片面20分くらいなもんだから、そのくらい我慢してくれよ。私は今これが聴きたかったんだから」
ちぇ、なんて言いぐさだ。こっちは客だってのに。まぁしょうがないか、こっちだって大人だし。次はビル・エヴァンスでも掛けてもらうか。
と思ったところで客が入ってきた。見ればメガネくんとシロウト氏だ。今夜もまたマスターにウイスキーの講義でも受けるつもりだろう。二人はカウンターのストゥールに腰を掛けると、メニューも待たずに早速オーダーした。
「テキーラ下さい、ストレートで。銘柄はマスターにおまかせします」
オーダーしたのはメガネくんの方だ。マスターは何も言わずに棚からテキーラを出した。オルメカのゴールドだ。と、そこでレコード・プレィヤーの針が上がった。やっとビル・エヴァンスのピアノ・トリオが聴けると思ったのも束の間、マスターは平然とレコードを引っ繰り返しやがった、畜生!
二人の前にショット・グラスに注がれたオルメカと、塩とレモンが乗った小皿が出された。
「無農薬のいいライムが手に入らなくてな。今夜はレモンでやってくれ」
塩とレモンを一緒に出されて、二人ともちょっと戸惑っているようだ。どうやら飲み方がわからないらしい。
「これはどうやって飲んだらイイのかな?」
シロウト氏がメガネくんに訊く。メガネくんも困惑気味だ。俺に訊くなって顔になってる。
「特にこれが正式ってのは無いと思うんだけどね。一般的なのはこうやって親指の付け根のところに塩を盛って、それを舐めながらテキーラを流し込む。レモンはその塩に垂らしてもイイし、齧って口の中でテキーラとシェイクしてもイイ」
二人はマスターの真似をして塩を舐めレモンを口にいれ、テキーラを流し込む。シロウト氏は一気に飲み干してしまった。大丈夫なんだろうか? メガネくんは半分ほど飲んでグラスを置き水を飲んだ。ちょっとむせたようだ。
「美味い! テキーラってこんな味なんだ。この塩がまた美味いなぁ~」
「おっ、分かってるな。こりゃモンゴルの岩塩だ。ホントは中南米産のがあれば良かったんだけど、これもイイ味だろ?」
シロウト氏は意外なほど普通だ。メガネくんはまだ咳き込んでる。
「実は僕、自分がお酒が強いって最近知ったんですよ。どうせなら強い酒が飲んでみたいと思って、今夜はテキーラを頼もうと思ったんです」
「ふーん。でもテキーラは特別強い酒ってわけでもないんだがな。大抵はアルコール40度くらいで、この前飲んだウイスキーと変わらないぞ。」
「えっ、テキーラって強いお酒じゃないの?」
さすがにシロウト氏だけあって、特別予備知識とかを仕入れて来ているわけではなさそうだ。
「ウオツカも強い酒みたいに思ってる人が多いよな。確かにポーランドの“スピリタス”は精製アルコールってくらいにずば抜けてるけど。でもウオツカだって40度くらいのものがスタンダードだよ。むしろラムの方が75度くらいの強いものが結構ある。何でテキーラやウオツカが特別強い酒みたいに思われてるかっていうと、ストレートで飲むイメージが定着してるからだよ。ロシアでもウオツカはほとんどそのままで飲んでるみたいだし」
ようやく立ち直りかけたメガネくんが涙目でマスターの説明を聞いていた。
マスターは振り返ってレコードを掛け替える。今度はジミー・スミスの“ハウス・パーティー”だ。テキーラといい、今夜は静かなピアノ・トリオに浸れるような感じじゃなさそうだ。
「マスター、俺も次はテキーラにしてよ」
「オルメカでイイかい」
「うん。いや、ツー・フィンガーにしようかな」
マスターはバック・バーの奥の方から黒いボトルを取り出す。
テキーラを飲むのは久し振りだ。そう思うとさっきまでとは打って変わって気持ちが浮き立ってくるから不思議だ。オルガンに乗っかるリー・モーガンのトランペット・ソロに続いてケニー・バレルのイカしたギター・ソロが流麗に語りだす。
「お待ちどう」
マスターはショット・グラスとレモンの小皿を俺の目の前に置いた。
「アレ? スノー・スタイルだ……」
俺は初めて見るショット・グラスのスノー・スタイルに目を見張った。カクテル・グラスやロック・グラス、コリンズ・グラスでは見るけど、ショット・グラスの縁に塩が付いてるのは初めてだ。
「テキーラをストレートなんて頼むヤツ…いや、お客様は大抵塩も使う。だったらスノー・スタイルにしちまえば手間も省けてイイんじゃないかと思ってな。逆にこっちの手間は増えるんだけど。お前さんに感想を聞きたくてな」
「あ、すいませんマスター、こっちも同じの下さい」
シロウト氏が早速同じものをオーダーする。マスターはスノー・スタイルのショットを二つ追加でつくり始めた。俺はそのあいだにこのテキーラを味わうことにしよう。
そうか、これだと塩、レモン、テキーラの順番が変わるんだな。当然レモン、塩の順になる。俺はレモンを噛み、塩のついたショット・グラスを口へ運ぶ。違和感は感じないし、塩をぺろっとやるよりもスマートな感じがする。こういうスタイルも悪くないんじゃないかな。
次回に続く




