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BAR 夜明ヶ前  作者: 沼 正平
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甘い酒、辛い酒

前回の続き

 先ほどの若いカップルはお勘定を済まして出て行った。マスターは高いと言ったけど実際はそれほど高くなかったようで、二人とも満足そうな笑顔だった。そりゃあこんなに美味い酒を呑ませてもらえばどうしたって笑顔になるよな。

 二人を見送ると、マスターはまた俺のところへ来て喋り始めた。

「悪かったね、ついグチみたいなこと言っちゃって」

「いや別に。それよりマスターが日本酒の試飲販売なんかやってたのが意外だね。その時の面白い話とかないの?」

 きっとこのマスターなら面白い話のひとつやふたつはあるに違いない。

「そうだな、タダは聞かせられないから一杯おごるよ」

 そう言うとマスターは冷蔵庫からまた別の酒を取り出した。東京の福生にある石川酒造さんの酒“多摩自慢”の純米大吟醸だ。

「ここの蔵の敷地では日本酒の他に地ビールも飲める施設があるんだよ。和食・蕎麦中心の雑蔵とビール小屋があって、ビール小屋の前の八重桜はなかなか見ごたえがあるぞ」

 マスターはそんなことを言いながら、ガラス製の二合徳利に酒を注ぎ、青い江戸切子のグラスと共に俺の前に置いた。

「おごりだ、手酌でやってくれ」

 今度はタンブラーを取り出して酒を注ぎ、自分で一口呷った。俺も手酌で始めた。これもまた堪らなく美味い酒だ。

「昔、試飲販売やってた時にこういうことがあったよ。お客さんが『辛いのはどれ』って言うから『これが辛口です』って勧めたのが日本酒度+3の純米酒。そんなに辛いってこともないけど、まぁ普通に呑み易い辛さの酒さ。それを試飲して言ったのが『うわっ、こりゃ甘いや、ダメだ』。いや、私には何がダメなんだか分からなかったが、そのお客さんはもっと辛い酒が呑みたかったんだな。

 その後、こんなこともあった。年配の女性だったんだけど今度は『甘いお酒がイイんだけど』。私は日本酒度が-1の純米吟醸を勧めたんだ。これもそんなに甘くはないけど、フルーティーだし甘口といえば甘口だ。ところがそのお客さんは『辛い!もっと甘くないとのめない』なんて言ってな。

 日本酒ってのは色んな栄養成分が入ってる。微量成分まで入れると100種類以上にもなるんだ。特にアミノ酸類が豊富だったりするけど、それが日本酒の複雑な味わいになるんだ。焼酎のような蒸留酒は栄養成分が10にも満たない。それらの味わいがあるから、辛いって言ったってどうしても甘みは感じるさ。一方、どんなに甘口の酒でも、アルコールの辛さ、ってのは厳然としてあるわけだ。お酒の弱い人には甘い酒でも辛く感じるだろう。それは“酒の甘辛”じゃなくって単なる“アルコールの辛さ”なんだけどね。こうなると酒の甘辛なんて、絶対的なものじゃなくってその人の感じ方次第なんだよ。一応“日本酒度”ってのがあって甘辛の指標にはなってるけど、あれは単なる目安だと思った方がイイね。+12とか-12とかとんでもなく甘かったり辛かったりするのがあるけど、実際に呑んでみるとそんなに極端な甘辛に感じなかったりするものなんだよ。」

「ふーん。俺あんまり日本酒度ってわからないんだけど、+だと辛いの?」

「そう、±0を基準にして+は辛くて-は甘い、ってことになってる。でも私はあまり甘辛にこだわらない方が利口だと思うんだけどね。『自分は辛口しか呑まない』なんて言ってると、甘いんだけど凄く美味い酒を呑み逃しちゃうわけだからね」

「でも“酒は淡麗辛口”なんて言うよね。何でだろう?」

 そこでマスターは大きくため息をついた。

「あれは結局、大手酒造会社が儲けるための民衆操作みたいなものじゃないかね。大量の醸造用アルコールをぶち込めば辛くなって、それでアルコール度数が上がったのを15度並みに加水すれば辛くて薄い酒が大量に出来る。嵩増しのインチキ酒で儲けるために“淡麗辛口”を流行らせたんじゃないのかい?」

「そうなんだ。辛いのが美味い酒、みたいなイメージがあったけど」

「昔は美味い酒ってのは甘かったんだ。ワインならぬ“ぶどう酒”なんてのは甘いのが当たり前だったし、日本酒だって甘いのを喜ぶ人は今でもいるよ。糖類とか酸味料とか入れた酒の方が美味いっていう人。大体昔の人だけどね。ちなみに“リキュール”なんてのも甘いのが多いね。リキュールにはアルコールの他に“エキス分”ってのが標示されてて、このパーセンテージが高いほど甘いんだ」

「リキュールって言えばさぁ、第三ビールとか新ジャンルなんて言われてるのも“リキュール”とか書いてあるよね?」

 あれはどうも美味くないんだけど、安いから暑い時とかはつい買っちゃうんだよな。

「あれは果実や香草を使ったいわゆる混成酒、リキュールとは違って、二種類以上の酒を混ぜてるっていうくらいの意味しかないんだよ。どうも日本の酒税法ってのはおかしなもんで、実状を反映してないことが多いんだよな」

 マスターはウンザリしたように吐き捨てた。酒税法にはかなり反感を持っているらしい。

「またグチみたいになっちゃったな。最後にちょっとタメになるイイ話をしよう。さっき日本酒は栄養成分が豊富だって話をしただろう? 確かに栄養豊富って言うと体に良さそうだけど、それも両刃もろはの剣、呑み過ぎれば痛風のモト。毎日酒を呑まずにいられないようなやからは蒸留酒の方がイイんだ。焼酎やウイスキーみたいな。ちょっと呑む分には日本酒は素晴らしい長寿の薬になる。アスパラギン酸やグルタミン酸なんていう成分の他に“アルギニン”なんていう栄養素も入ってる」

「アルギニン? 聞いたことないね、それは体にどうイイの?」

「摂取すると精子の数が増えるんだ」

 そうか、少子化対策にはもっと日本酒を呑んだ方がイイんだな。でも草食化を止めないと根本的解決にはならないかも知れない……。


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