マティーニのオリーヴ
バーのお客は今夜も俺一人。まだ皆さん残業中の宵の口。
カウンター席のスツールに独り腰掛けた俺は、丁度一杯目のマティーニを飲み終わるところだった。マスターは俺が飲み終わったのを知ってか知らずか、無愛想にグラスを磨いている。
「マスター」
「何」
視線も向けずにぶっきら棒な返事。これが客に対する態度かね?
「何でオリーヴのメーカー変えたの教えてくれなかったの」
「お、分かったか!」
それまでの無愛想が嘘のように、満面の笑みを湛えるマスター。そう、この人はそういう人だ。
「もし気付かなかったら二杯目は出さないつもりだったんだ。そうか、分かったか」
「分かるさ、常連だもん。毎度マティーニだしね」
マスターはうんうんと嬉しそうに肯く。また何か言いたいことがありそうだ。
「カクテルのレシピ本ってあるだろう? あれでマティーニのつくり方を見てみるといい。『最後にオリーヴを飾ります』だと。何言ってんだい、オリーヴがあって始めてマティーニになるんだよ、あれがあってのマティーニなんだ、飾りじゃないんだよ、オリーヴはさ」
どうやらマスターが今夜主張したいのはそんな話らしい。俺もマティーニ好きの端くれ、せっかくだからマスターのマティーニ談義に付き合うとしよう。
「今度のオリーヴは以前のみたいに酸味がキツくないし、かと言ってオリーヴらしい油っぽさも強くないし。マティーニの味を濁さない感じで良好だと思いますよ」
「そうだろ、色々ためしたんだけど。これがベストだと思うんだ」
どうやら俺の考察は的を射たものだったらしい。マスターは相好を崩して一層の笑顔になった。この調子で合わせれば、何かイイつまみでも奢ってくれるかも知れない。
マスターは二杯目のマティーニをつくり始めた。もちろん客は俺一人なので俺の分だ。
リンスした氷をミキシング・グラスに入れ、冷凍庫からドライ・ジン、冷蔵庫からドライ・ベルモットを取り出す。いつもの3:1でステア。カクテル・グラスにオリーヴを入れた上からステアした酒を注ぎ、レモン・ピールを振りかける。
「マティーニのオリーヴってどのタイミングで食べるのが本式なんですか?」
俺はグラスを口に運び、一口含んでからマスターに訊ねた。多分、俺のいつものタイミングで間違ってはいないんだろうと思う。その証拠に、マスターに口出しされたことは今までに一度も無い。が、実際のところどうなんだろうか。
「まぁ好きなタイミングで口にすりゃいいんじゃないか。でも私はね、お前さんの飲み方は好きだな。ピックを押えながら二口煽って、最後にオリーヴを噛みながら残りを流しこむ。なかなかスマートじゃねぇか」
「ははっ、嬉しいな。マスターに褒められちゃった」
俺は二口目を飲みながら大袈裟に喜んで見せた。
「最初や途中で食べるとカクテル・ピックをグラスの外に置かないといけない。どうってこたぁねえけど、スマートじゃないよな。最後にすれば、ピックはグラスに入れたままご馳走様だ。まぁ実際のところ、どんな飲み方したっていいんだろうけど。でもね、この前来たカップルには参ったよ。男が『俺マティーニ、うんとドライで』かなんか頼むのさ、カッコつけて。でね、女の方は真似して『じゃああたしも』って。で、飲みはじめたら『何この緑のマメ、不味ぃ~』だってさ」
俺は笑い出した。マスターも気の毒だが、そのカップルも憐れだ。情景が思い浮かぶようだった。こうやってお客の悪口を平気で言ってしまうのもこのマスターならでは。そんなんだから客の入りが悪いんだろうな。
「ところでマスター、オリーヴのピメントだけど、これって必要なの?」
マスターは、うっ、と言葉に詰った。
「それはねぇ、俺も良く分からないのさ。そもそもオリーヴにこだわらなければ無くてもイイものだしねぇ。ピクルスでもイイし、代わりにナッツでも食べたってイイし。パール・オニオン入れたらギブソンだし。ただ、やっぱりマティーニである以上はオリーヴはつきもの。でも種入りは口から種を出さなきゃいけないから下品だろ? かと言って、中が空洞なビン詰めは潰れちゃって見栄えが悪い。だから基本はピメント入り、って感じでどうだい?」
「ってことは、中身がつまってたらピメントじゃなくてもイイんですね」
「レモン・ピール入り、アンチョビ入りっていうオリーヴを購入したことがあるよ。ただ、お酒だからねぇ、アンチョビは合わないな。あれはつまみに食べるのがイイ。レモンは爽やかで、結構おススメなんだけどね」
レモン・ピールの入ったオリーヴかぁ、それ使ったマティーニ、飲んでみたいな。