婚約破棄ループ100回目:AIでも書けそうなテンプレもう飽きました
■序:AIでも書けそうなテンプレ、もう飽きました
「――メタリカ・テンプレーぜ! お前のような高飛車で嫉妬に狂った醜い女とは、今日この時をもって婚約を破棄する!」
シャンデリアの光が突き刺さる王城の大夜会。耳をつんざくような第一王子ムノウスの怒声に、会場の楽団が演奏を止め貴族たちが一斉にこちらを振り返る。
あ、始まった。
私は手に持ったシャンパングラスを揺らし、琥珀色の液体に映るうんざりしたような自分の顔を眺める。
「俺は、この清らかで慈愛に満ちた聖女ブリコと共に歩むことに決めた! お前の数々の悪事はすべてこの証拠が物語っているのだ!」
目の前では金髪を逆立たせたムノウスが可憐を装った聖女ブリコの肩を抱き寄せ、ご丁寧に羊皮紙の束を床に叩きつけた。
……うん、デジャヴ。っていうか、完全なる既視感。
「……はいはい、なるほど。記念すべき百回目のループは一周回って王道になったんですね。遂に三桁いったかー。……はあ」
私は深いため息をつき、グラスの中身を一気に煽った。
「なっ……何を言っている!? 狂ったかメタリカ!」
「狂ってほしいのはこっちですよ。ねえ殿下、その台本飽きません? 毎回毎回、夜会のクライマックスでわざわざ皆の前で発表して。承認欲求の塊ですか? それとも、そうしないと物語が動かないっていう制約でもあるんでしょうか?」
私は一歩前に出ると、足元に散らばった陰謀の証拠たちを一瞥した。
「次は、私が『そんな、身に覚えがありませんわ!』って泣き崩れるターンですよね。で、その後にブリコさんが『メタリカ様を許してあげてください、殿下ぁ……』って上目遣いで言うやつ」
ブリコは台本通りに潤んだ瞳をムノウスに向け、ぷるぷると口を震わせている。その動作があまりに記号的すぎて、私はつい吹き出しそうになった。
「というか、今世の聖女さんはなんかぶりっ子色強めなんですね。前は清純派装った腹黒でしたけど」
「ぶ、ぶりっ子なんて……ひどい……!」
ブリコが短く泣き言をいい、ムノウスの腕の中に逃げ込む。ああ、いつもの守られヒロインムーブですね。
「……メタリカ、貴様! 反省の色も見せずに何を……!」
「反省? 今世の私は何をしたんでしょう。毒殺未遂? 大切なものを盗んだ? それとも聖女様を階段から突き落としました? ……スキップ機能、どこかに落ちてませんかね。本当に時間の無駄なんですけど」
私は周囲を見渡した。凍りついた貴族たち。嘲笑を浮かべる取り巻き。
これだ。このいつものテンプレ。
婚約破棄からの国外追放。あるいは投獄。あるいは修道院行き。
その後はだいたい新しいイケメンが現れる。隣国の皇太子が最も多くて体感だと七割くらいそれだ。
あとは有能な第二王子か魔王、騎士や国有数の魔法使いなども多い。
色々あって溺愛が始まり、元婚約者が惨めに這いつくばるざまぁパートへ移行する。
そして最後は幸せの絶頂でなぜか死ぬか、あるいは強制終了がかかって再び別な世界の夜会へ戻るのだ。
毎回お決まりのように婚約破棄を言い渡されることにもすっかり慣れてしまった。
「……ねえ、聞こえてる? この世界を書いた作者さん」
私は虚空を見上げて、中指を立てる代わりにグラスを軽く掲げた。
「この展開、AIにプロンプト投げたってもっとマシなバリエーション出しますよ? 『婚約破棄』『悪役令嬢』『溺愛』『ざまぁ』……このキーワードさえ入れとけば読者が喜ぶと思って手抜きしてませんか?」
水を打ったように静まり返る会場。
ムノウスは口をパクパクさせ、貴族たちはついに公爵令嬢の精神が崩壊したかという憐れみの視線を送ってくる。
だが知るか。こっちは百回分の人生という名のクソゲーをプレイさせられているのだ。
それにどうせこの後ハイスペイケメンが出てくるのだ。ここで何言われようが知ったことではない。
「読者はいいですよ、一回読んでスッキリすれば。でもやらされてるこっちの身になってください。百回ですよ、百回!」
思わず声が大きくなる。百回分の婚約破棄シーンを合計したら、一回十分だとしてもそのシーンだけで十何時間費やしていることになるのだ。
「最初の十回くらいは私も色々とやりましたよ。ループしてる知識を使って領地改革したり、前世の知識を使って流行を先取りしたり、勉強したり、味方作ったり……」
石鹸や香水を作れば飛ぶように売れ、前世で流行ったドレスを着れば社交界の華になる。
けれどどんなに有能な振る舞いをしても、結局はこの婚約破棄というチェックポイントに戻ってしまう。
まるで目に見えない壁にぶつかるように、私の努力はすべてリセットされるのだ。
「しかも毎回別な世界のはずなのに、婚約破棄の台詞がどいつもこいつもハンコ押したみたいに一緒なのは何なの!?」
もはやこれは呪い……いいや、ジャンルという名の不可抗力だ。私がどれだけ賢明な立ち振る舞いをしても、夜会の日になればすべてリセットされ婚約者から断罪される。
「ねえ、作者さん。いい加減に学習機能とか実装してくれません? こっちは毎回RTA並みの効率で物語を進めてるんですよ?」
はい、ここで冤罪の証拠提出。はい、ここで愛の誓い。はい、結婚式でキス! ここでタイマーストップです!
そんな合成音声が聞こえてくる気がする。私の人生はもはや娯楽ですらない作業ゲーなのだ。
「結局このシャンデリアの下でマヌケ面王子に罵倒されるのが確定演出だなんてバグ以外の何物でもないでしょ! せめて一回くらいは作品完結後にある甘々外伝小説の部分まで続けさせてよ!」
叫びきって肩で息をすると、背後で衛兵たちがカチャカチャと剣を鳴らす音が聞こえた。
ああ、そうだった。
この世界の住人にとって、私は今情緒不安定で怪しい呪文を叫んでいる不審者だった。
「何を……訳の分からない独り言をブツブツと……! 衛兵! この狂った女を捕らえろ! 地下牢へ叩き込め!」
ムノウスが顔を真っ赤にして叫ぶ。
はい、ここからは投獄パターンですね。
この後修道院かどこかへ移動してる最中に盗賊に襲われて助けられるか、自分で脱獄するか、家に帰されて身一つで追い出されるパターンが多い。
いずれにせよ、この後は絶対新たなイケメンに助けられるということは確定している。
そしてイケメンの第一声は「大丈夫か!?」に賭けておこう。多分当たる。
溺愛後は「君と出会えてよかった、僕は世界で一番幸せな男だ」とか言うんだろう。
恥ずかしくないんだろうか。書いてる方も、言わされている方も。
「いいですよ、自分で行きます。どこの城も似たような内装ですから牢屋の場所も同じでしょう。多分どこかの素材サイトで売ってる同じ背景とか使ってるんでしょうね」
立ち尽くすムノウスとブリコの横を通り抜ける際、私はブリコの耳元で小さく囁いた。
「聖女さん、今のうちに殿下の財布から宝石代とドレス代抜いておいた方がいいですよ。この後、彼は国を傾けるレベルで無能化するでしょうからね。……まあ破滅したいなら好きにするといいんじゃないですか?」
「え……?」
呆然とするヒロインを置き去りにして、私は堂々と大広間を後にした。
足取りは軽いが、心は泥のように重い。
「……はあ。次はどんなお約束が待ってることやら。作者さん、もし見てるなら少しは捻ってくださいよ」
誰もいない静かな廊下に、私の独り言が虚しく響く。豪華な絨毯も壁に飾られた名画も、どこか作り物めいて見えた。
「『実は悪役令嬢は全て姉のためを思って愚かな行動をしていた』とか、『婚約破棄された令嬢が王子含めて全員殴り倒す』とか色々あるでしょう」
牢屋まで歩きながら、天井を睨みつける。物語の裏側、メタ情報の海に漂うであろう作者に届くように。
「なんなら『婚約破棄後に魔王に媚薬盛りに行きました』とか『実は悪役令嬢の中に転生前の人格が残ってました』でもいいですよ? 面白いじゃないですか、そういうの」
もし許されるのならば、次の周回ではいっそ私が作者になってやりたい。
「それくらいやってくれないと、百一回目はもうボイコットしますからね!」
■破:予定調和の「ざまぁ」なんてAIでも秒で書けます
地下牢に大人しく閉じ込められた私は、カビの生えた天井を眺めながら呟いた。
「次の展開も読めてるわ。どうせ助けに来るのは『北部の辺境伯』か『隣国の皇太子』よね? 髪の色は黒か白か金。そういえば赤か茶色って滅多に見ないわね……」
赤髪のヒーローというと俺は悪くないと宣っている悲運の主人公がなぜか思い浮かぶが、気のせいだろう。
「あと北部の貴族はとりあえず強くて情け容赦ないけど身内には甘いみたいなテンプレない? ああ、訂正。それイケメンなら誰でもそうだったわ」
そんな風に呟きながらぼーっとしていると、三十分もしないうちに「ドォォォン!」という景気のいい爆発音が響いた。
埃を払いながら立ち上がると、崩れた鉄格子の向こうに月光を背負った銀髪の美形が立っている。
「メタリカ、大丈夫か!?」
はい、当たり。
この人の設定は冷徹、銀髪、蒼眼、最強、一途、王子あたりだろうか。
このパターンは初めてだが、この世界の作者さんが護送から隣国へ行って溺愛されるまでの流れを書くのを面倒くさがって省いたのだろうか。
展開が強引すぎるしきっとそうに違いない。
「あの日君を見た時から恋に落ちていた! 君が投獄されたと聞いていてもたってもいられなくて……! さあ、共に僕の国へと行こう!」
彼の言うあの日がいつのことなのかは分からないが、多分幼い頃に領地かどこかで助けられるか知り合うかのどっちかで一目ぼれしたのでしょう。その可能性が一番高い。
そして僕の国って言ってるから隣国の皇子でほぼ確定ね。今回も七割の方を引いたみたい。
「ああ、やっと君のことを連れ去ることができる。さあ僕の胸へおいで、最愛の人」
「……運命とか最愛の人とか、愛を囁く言葉ってなんで同じになりがちなんでしょうね。もっとこう僕の北極星とか特異点とか、変わった呼び方あってもいいと思うんですけど」
「ふふ、照れているのかい? そんな君も可愛いよ。……さあ、行こう。愚かな王子どもを罰さないといけないからね」
皇子が優雅な手つきで私の腰を抱き寄せる。
これだ。この、何を言っても愛の言葉に変換される無敵の溺愛フィルター。
これこそがこのジャンル最大のチートであり、最大のマンネリポイントではないだろうか。
私は皇子の胸の中であくびを噛み殺しながら、その流れに抗うことなくムノウスのいる王城広間へと引き返した。
追放されるはずの令嬢が、隣国の最強皇子を連れて逆襲に現れる。
はい、ここからが読者お待ちかねのざまぁパートです。
「先ほどぶりですがごきげんよう、殿下。その紙切れ、まだ有効だと思っているんですか?」
彼と共に広間に戻ると、ブリコとイチャついていた殿下の動きが止まった。
「メ、メタリカ!? お前は牢に入れたはずじゃ……。しかもメシア皇子と一緒だと!?」
なるほど、この皇子はメシアというのか。
救世主だからメシア。実に分かりやすい。
まあヒーローだからヒイロでいいかみたいな感じだと、おそらくどこかの小説と被ってしまうのだろう。
「説明すると長くなるので省きますが、要するに『私がいないとこの国の経済も結界も三日で詰みますよ』っていう、いつものアレですよ」
私が指をさすと、広間の奥にある王国の結界を維持するための魔導具が目に見えてひび割れ、不吉な音を立て始めた。ムノウスは顔を青くしてそれを見る。
この作者さんの世界では、私が毎日黙って魔導具に魔力を流し込み続け結界を維持していたという設定らしい。
いや、仮にムノウスや身近な人間が耳を貸さなかったとしても他の誰かに言えよというのは野暮だろう。それを言ったら大半のざまぁ自体が成り立たなくなる。
「それと作者さん。多分、私が『実は最強の魔導士でした』っていうのもそろそろ読者にバレてるんじゃないですか?」
私は指先をパチンと鳴らした。
すると、ムノウスが持っていた書類がぼうっと勢いよく燃え上がる。
はいはいチートですよ。戦える女性主人公ってかっこいいよね、わかる。
「なっ、私の証拠が!」
「証拠も何も、それ全部聖女さんの自作自演ですよね。筆跡鑑定するまでもない。だってこの世界の聖女様は、必ず裏で悪いことしてるって決まってるんですから」
「う、嘘よ! 私がそんなことするはず……」
ブリコは震える声で反論するが、この世界はそうなっているのだから仕方ない。
「まあ、貴女に贅沢をさせてあげるターンを作れなかったことだけは謝りますね」
メシアが私の肩に手を置き、皇子らしい威圧感のある声で追い打ちをかける。
「ムノウス。我が国はメタリカ嬢を不当に扱った貴国との通商条約をすべて破棄する。……明日から、君たちの食卓に並ぶパンの値段が十倍になると思ってくれ」
「そんな……! 嘘だ、たかが女一人のために国を滅ぼすというのか!?」
「ええ、滅ぼしますよ。溺愛系のヒーローは私のために国の一つや二つ平気で潰す設定が多いですから。……っていうか殿下、そのたかが女一人ってセリフ。百回中半分以上は聞いてます、飽きました」
私は冷ややかな視線で、崩れ落ちたムノウスを見下ろした。彼は絶望したような表情で私を見ている。
その顔すら、これまでのループで何度も見た悪役の末路そのものだった。
ふと、私を抱きしめるメシアの腕に力がこもる。その体温を感じながら、私は彼の顔を見た。
「ねえ、メシア様。あなた、私が死んでも次の周回で別の女がここに座ってたら、同じ顔で愛してるっていうんでしょうね」
「何を言ってるんだ? 君以外を愛することなんて――」
「あ、いいです。その先は予測変換で出てるんで」
メシアの瞳は澄んでいる。けれど、その奥にはどうあがいても設定しか見えない。まるで鏡に向かって愛を囁かれているような気分だ。
「……はあ、空虚。虚無すぎて吸い込まれそう」
私は、メシアの腕の中で虚空を眺めた。
「ねえ、これを見て喜んでる外の世界の皆さん。本当にこれで満足? スカッとしたって思ってる?」
見ればわかるわ。コメント欄には「ざまぁ最高!」「スッキリした」なんて言葉が並ぶんでしょ。
でも考えてみてよ。悪役が都合よく無能化して、味方が都合よく最強で現れる。
この計算し尽くされたカタルシス、もはやファストフード以下のジャンクな娯楽じゃない。
「悪いやつが最後に惨めな思いをする。確かに定石よね。でも、毎回同じような結末に向かって、同じような断罪シーンを見る。これ、AIに書かせたら無限に量産できるじゃない」
学習データはそこら中に転がってるもの。
悪役令嬢が婚約破棄されたけど実は凄くて、真の価値を見出したイケメンに溺愛される……。
この黄金比率さえ守れば誰が書いても、何が出力されても、一定の満足度は得られる。
そんなの、もはや創作じゃなくてただの記号の組み替えと何が違うの?
「タイトルに『婚約破棄されたけど隣国の皇子に拾われて溺愛されました〜元婚約者が後悔してももう遅い!〜』って入れとけば、中身がコピペでもPV稼げる仕組み。作者さんも楽でいいですよね。読者のざまぁ欲さえ満たせば、整合性もキャラの深みも無視していいんだから」
設定の矛盾? キャラ崩壊? そんなの二の次よ。
だってみんな、主人公がイケメンに愛されて敵が地獄に落ちるところしか見てないんだから。
この世界のメシアの髪色と目の色だって、正確に覚えてる人いないでしょ。
物語の整合性なんてこの強烈な溺愛の前では無価値に等しいのよ。
「PV数で収益化とか本格的にされたらそのうちランキング上位全部AI作品とかで埋まるんじゃない? 書籍化決定!とか嘘でも書けばPV数稼げるものね」
「収益? PV……?」
ムノウスは首を傾げている。そりゃそうだ、この世界の住人にメタ発言は呪文にしか聞こえない。
「……まあそれでも読む人は読むし、楽しめる人は楽しめるんでしょうけど」
毒づく私の頬にメシアがキスを落とす。そうね、定期的に甘い描写挟まないと読者はすぐに離れるものね、作者さん。
「君は僕のものだ、メタリカ。もう、誰にも指一本触れさせない」
「はいはい、溺愛溺愛。愛が重すぎて酸欠になりそう。メシア様、あなたも被害者ですよね。主人公を盲目的に愛さなきゃいけない呪いにかかって……」
ふと、彼の蒼い瞳を間近で見て、私は自嘲気味に息を吐いた。彼の熱い視線も抱きしめる腕の強さも、本当は私の主人公という役割に対して与えられているもの。
──なのに、この温かさを心地よいと感じてしまう自分がいる。
「……でも。散々文句言ったけど私も私よ。この予定調和のハッピーエンドに向かう流れ。毒を吐きながら、どこかでこの安心感を受け入れたいと思っている」
どれだけ陳腐だと罵っても、最後に愛されて終わる物語はやっぱり甘くて美味しいのよね。
だからみんな、同じような話を何度も何度も読み返しちゃう。
私もそのループから抜け出せない共犯者の一人ってわけ。
「はーあ、最悪の気分。……ああ、もう、早く次のシーンへ飛ばしてよ。このままじゃ私、自分の今までの人生を全否定しなきゃいけなくなるわ」
メシアが私の肩を引き寄せ、優しく髪を撫でる。その手つきがあまりに完璧すぎて寒気がする。
「その工程は楽しかったですかとか言われたら、泣いちゃうわよ」
呆然と私を見上げるムノウスを一蹴し、メシアと共に会場を去る。
「メタリカ、行かないでくれ! 俺が悪かった!」
背後で聞き飽きた叫びが響いた。
衛兵たちは無能な王子を捕らえろと騒ぎ、ブリコの悲鳴が重なる。
すべてが計算通り。すべてが予定調和。
「――はい、カット。次、エピローグの結婚式まで巻いていきましょうか」
私はメシアにエスコートされながら、振り返ることもなく広間の大扉へと向かった。
「それとも、まだ何か『予想外の試練(笑)』とか『お互いに勘違いしてすれ違い(笑)』でも用意してるんですか、作者さん?」
■急:それでもこのテンプレを愛してるとか、口が裂けても言えません
白亜の大聖堂。
ステンドグラスから降り注ぐ光。
私の隣には今世の勝利者であるメシアが、陶酔しきった表情で私の手を取っている。
「メタリカ……やっと、君を僕の妻にできる。この日のために僕は国を一つ滅ぼし、二つを併合したよ」
「規模感おかしいでしょ。溺愛のインフレが過ぎますよ。次は銀河でも統一する気ですか? どこの宇宙戦争世界ですか?」
……ああ、もう。
誓いのキスを交わすこの瞬間、私の意識はいつも通り世界の外側へと引き剥がされていく。
結婚してからが始まりでしょうというツッコミが届くことはない。
視界がホワイトアウトする。幸せの絶頂で訪れる、強制終了の合図。百回目の人生が、砂のように崩れていく。
「――はあ。今回も終わり、終わり。お疲れ様でしたー。さっきの世界も、いつも通りの及第点ってとこかしら」
私は、真っ白な虚無の空間に一人で立っていた。
ここは、物語と物語の隙間。次のループが読み込まれるまでの待機場所だ。
私はドレスの裾を放り出して行儀悪くその場に座り込んだあと、不安を隠すように膝を抱えた。
さっきまであんなに毒を吐いていたのに、独りになった途端、指先が冷たくなっていく。
飽きたなんて、嘘だ。本当は、怖くてたまらない。
もし百一回目、夜会の扉が開かなかったら?
もし王子が婚約破棄を忘れてしまったら?
私は、彼らに罵倒されヒーローに愛されるという役割を演じることでしか自分の輪郭を保てない。
テンプレという名のお約束がなければ、誰からも認識されないただのデータの屑。それが私の正体だ。
「……ねえ、作者さん。あるいはこれを読んでるそこの貴女。散々ディスったわよ。AIが書いた方がマシだの、中身がないだの、PV稼ぎの量産型だの」
何もない白一色の世界で、私の声だけが響いている。ここに椅子もテーブルもないのは作者が描写をサボっているからか、それとも次の物語を読み込むので精一杯だからか。
どちらにせよ、私のメタ発言を受け止めてくれるのはこの虚無感だけだ。
「だっておかしいじゃない。婚約破棄されて追放されて、実は有能でしたからの最後は溺愛。そんな都合のいい話、あるわけない。……そう、あるわけないのに」
自分の膝を見つめる。
つい数秒前までメシアに握られていた手の温もりだけが、データ上の残滓としてこびりついている。
現実にあり得ないからこそ、人はそこに夢を見る。
分かっている。分かっているけれど、それを認めるのは私のプライドが許さないのよ。
「悔しいけどさ。このテンプレの中で、必死に面白いものを書こうとしてる作者さん。それに、実際に書いてる作者さん。いっぱい知ってるわよ」
真っ白な空間に、これまでのループの断片が走馬灯のように浮かんでは消える。
ある時は、私の何気ない一言で国中の料理が激変した美食の世界。
またある時は、敵役のはずの聖女となぜか意気投合して二人で冒険に出た珍道中。
どれも婚約破棄という入り口は同じだったけれど、その先にあった景色は唯一無二のものだった。
「始まりはいつも同じでもその後は全然違う。百回もいろんな世界をめぐってきたんだもの、気づくに決まってるわ」
婚約破棄の十分間を繰り返すような時間制限つきのギャグに振り切った世界とか、あえて淡々と諦めるビターエンドを選んだ世界とか。同じ食材を使っても調理法次第で心に深く残るフルコースになるのだ。
「だってテンプレっていっても最初が決まっているだけで、あとの過程は自由じゃない。言ってしまえば魔王がいて勇者がいて、小遣い程度の資金しかよこさない王様やスライムがいるようなRPGのお約束みたいなものでしょう?」
大事なのはお約束をどう壊すか、あるいはどう美しくなぞるか。定番のコード進行でも、旋律が違えば新しい歌になる。
……なんて、私が作者をフォローしてどうするのよ。ああ、癪だわ。本当に癪。
「結局、みんなお約束が好きなのよ。好きだからお約束になるって言い換えてもいいかしらね。スカッとしたいし、愛されたい」
不器用な作者が一生懸命ひねり出した甘いセリフ。
読者が仕事帰りの電車で唯一の癒やしとして読みふけるスマホの画面。
この予定調和な世界は、誰かの救いのために作られている。
毒を吐き散らしてきた私だって、その優しさに何度も救われてきたのは事実なのだ。
「私も飽きた、反吐が出るって言いながら……。ループの最初で婚約破棄されるたびに、心のどこかで次はどんなハッピーエンドが待ってるんだろうって少しだけ期待しちゃってる」
夜会の扉が開く音。その瞬間に感じる高揚感。
それを完全に否定しきれない自分がたまらなく惨めで、そしてほんの少しだけ愛おしい。
私だって結局、幸せになりたいだけのただの女の子なのだ。
「バカよね。AIでも量産できるような展開に、毎回心を動かされてるんだから」
静かだった空間に、夜会のテクスチャが読み込まれ始める。百一回目の開始が近い。
「……ねえ。どうせなら百一回目は、少しだけ変化球を入れてくれない? 隣国の王子様とか溺愛気味の魔王様とか、北部を守る冷たい騎士様とかじゃなくて」
AIがプロンプト通りに出力したような完璧すぎて味のしない愛でもなく、計算し尽くされてページを捲る前から結末が透けて見えるような絶望でもない。
次どうなるのって震える手でページを捲らなきゃいけないような、予測不能な生きた物語を。
「例えば……そうね。決められたハッピーエンドに向かって歩かされるんじゃなくて泥沼の中でもがいて、自分たちの足でここが終着点だって決められるような……。そんな予測不能なバグに満ちた愛の形なら――」
私は少しだけ頬を赤くして、そっぽを向いた。
「――それなら、もうちょっとだけ付き合ってあげてもいいわよ?」
遠くから、聞き慣れた喧騒が聞こえてくる。
オーケストラの音色。貴族たちの笑い声。
そしてあの忌々しい、けれどどこか懐かしい婚約破棄の宣告。
「まあいいわ。次もどうせ婚約破棄からスタートなんでしょ? はあ……」
ドレスの皺を伸ばし、背筋をピンと張る。
淑女としての、そしてこの物語の主役としての矜持を胸に。
さあ、システムを起動させて。
私の、そしてあなたの、終わらない物語の続きを。
「それでも……ちょっとだけ、楽しみにしてあげなくもないわよ。次の作者さんの物語」
視界がパッと明るくなる。
いつものシャンデリア、いつもの野次馬。正面には赤髪の王子。
「メタリカ・テンプレーぜ! 君のような――」
(よし、ここから十二分前後ってところね。サクッと断罪されて泥水を啜って最後は溺愛のフルコース。今回こそボイコットしてもいいかしらね……)
私が心の中でカウントダウンを始め、いつものようにはいはいと生返事をしようとしたその時だった。
「――君のような可愛い女の子が、何で婚約破棄されなきゃいけないんだよ!」
「えっ」
鼓膜を震わせたのは断罪の言葉ではなく、切実さをはらんだ心からの叫びだった。あまりに予想外な、台本に存在しないはずの台詞。
思わずフリーズした私をよそに、正面に立つ王子の顔がみるみる苦悶に歪んでいく。
「は? 嘘、だろ……やっと……やっと、自分の言葉が、喋れるようになったのか……っ!?」
その言葉と同時に、王子の目からぼろぼろと大粒の涙が溢れ出した。
「いや……長っすぎだろ! 百一回目だぞ!? 毎回毎回、クソみたいな理由で婚約破棄を宣言させられて! ぶりっ子やら聖女やらに弄ばれて! こんな茶番を繰り返すのはもううんざりなんだよ!」
……え? 百一回?
この物語の素材に過ぎなかったはずの王子が、なんて言った?
王子の瞳からこぼれる感情は、狂信的な愛情でも熱すぎるほどの恋慕でもない。
私と同じ、この終わらない物語に対する疲弊の色だ。
「死ぬときも痛いし、辛いし、苦しいし! 何でこんな苦行しなきゃいけないんだよ! 俺、前世で何かした!?」
王子は、その激情を表すように真っ赤に染まる髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
彼が吐き出す言葉の一つ一つが、見えない台本を引き裂いていく。
そして、隣で勝ち誇った笑みを浮かべている聖女を雑に突き飛ばし、彼はふらつく足取りで私へと歩み寄ってくる。
「俺が何をしたのかなんてわからないし、君も何をやったのかしらないけどさ。どうせいつもの冤罪なんだろ?」
台本通りならここで彼は私の罪状を読み上げ、周囲は冷笑に包まれるはずだった。
けれど目の前の王子はエキストラの仮面を剥ぎ取り、一人の人間としてなりふり構わず感情を爆発させている。
私の知っている婚約破棄イベントのテクスチャが、内側から熱を持って溶け出していく。
「もう君が傷つくところなんて見たくない! 頼む、俺が何かしてたならまじで謝る! 一生かけて償う!」
跪く彼の背後で、物語の進行を司るはずの聖女や近衛騎士たちが処理落ちしたかのように固まっている。
「だから……俺と、このまま結婚してくれ!」
私は震える手で彼の涙をそっと拭った。
システムにはない、熱い体温。
……ねえ、作者さん。こんなのズルい。
せっかくボイコットしてやるつもりだったのに。
こんな展開、私が一番好きになっちゃうに決まってるじゃない。
百一回目。
ようやく、私だけの物語が始まった気がした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
AI小説やテンプレへの皮肉を盛大に入れつつ、それでもなおこのテンプレを愛しているという気持ちを込めて書きました。
迷惑をかけたくないので名前は伏せますが、作中で例えにでてきた作品がわかった方は多分同志。
少しでも心に残ったのなら、そして評価や感想等いただけたなら作者冥利につきます*.ˬ.))




