プロローグ
春一番、穏やかな日差しで暖められた肌を、木々の合間から吹き抜ける風が冷やす。
乾燥した空気を押し流すように、桜の匂いがほんのりと周囲に充満している。
散った花弁が乾燥したことで、より凝縮されたからだけではない。
周囲の光を少しずつ吸着し、色濃く残った桜色の残滓として、その場の空気を染め上げている。
『剣蔵くん』
「……」
『――剣蔵くん! 聞こえてますか?』
「ん……うあ」
『だ、大丈夫ですか? 少々言語野に異常が見られます』
声の調子を整えようとするや否や、攻撃に見舞われる。
花びらが風に吹くように集まり、明確に剣蔵へと集中する。
「――はぁッ!」
呼吸とともに喝を入れると、勢いを失って元の桜のように散り落ちる。
「んん、すまない。無言でいると、どうにも声を出すのが煩わしくなってしまう」
『……それで、周囲の状況は?』
「異常は検知している。目標に接近。桜鬼とみて間違いない。討伐に移行する」
『――え、ちょっと!』
位置ならずっと把握している。桜の木があるというのがそもそもおかしいのだから、身を隠し守りにもなる場所は、未だ咲き誇る化け桜の中。
一足にて踏み込むと、別世界が視界に広がる。
さきほどまでいた学園に続く桜の並木道ではなく、タイムスリップしたかのような田園風景が広がっていた。
木に生っている桃が落ち、川から流れる理想郷。あるいはクソ田舎にでも行けば見られるのか、水車の回る日本家屋が、果たしてどれだけ現存しているのだろう。
桃色幻想郷とでもいうべき地の主が、こちらを射抜くように見つめている。
「人の身で、我が領域まで踏み込む度胸は認めてやろう。汝、命が惜しくば我に従え」
「ん――使えるべき主を探しに来たのは確かだが、よもや妖怪から声を掛けられるとは驚きだ」
『寝返ったら殺すから』
「お、おう……妖怪よりも人間の方がよほど怖い」
返事をするでもなく踏み込むと、今度は先ほどよりも規模の大きな桜嵐が吹き荒れる。
視界全域を、波のように押し寄せてくる桜に合わせて『踏み込える』。音を超え、光を超えて、世界から位置情報がバグを起こしたように駆け抜けた。
「時限流――“縮地踏み”」
突如として目の前に現れた剣蔵に、信じられないものを見るように表情を歪ませる桜の主に、自分も異なる世界を作り出しておきながら――空間跳躍程度で、よくもまあ驚けるものだ。そんな感想を抱いた頃には、その首を叩き落して納刀する。
「切り捨て御免」
死の概念を振り払う。魔払いの剣が妖怪の身体を祓い落とす。桜が散るように世界は輝きを失い、元の並木道へと降り立った。
「『お疲れ様』」
労いの声に振り向けば、こちらへ指令を送っていた少女巫女がこちらへと笑顔を向けている。本人の人となりをよく知っているからこそ、危険信号であることを察した。
「すまない」
「あら、どうしてあやまるのかしら。私に謝るようなことがあるとでも?」
「それは……あー」
遠い目をしながら考えても、これという言葉が出ない。この少女と口喧嘩をして、勝利する未来が見えないというところも大きいか。
これが妖怪でなくて良かった。切りかかることそのものができないのだから。
「謝罪の内容も考えずに頭を下げるのは、馬鹿にされている気分だわ。ご機嫌取りっていうのはね、露骨にすれば煽りや侮辱とも取られることを覚えておきなさい」
「お、おう。分かった。じゃ、そういうことで」
「待ちなさい。独断専行した分のお説教が、まだ残ってるわよ」
「……やっぱ怒ってるじゃないか」
馬の耳に入る念仏のように、少女の言葉が頭に入るより、剣蔵の意識は目の前の制服姿に奪われた。
普段来ていた和服や、討魔の際に身を包む巫女装束とも違う。ベルトで腰を絞められたワンピース型の制服が、彼女の腰の細さを強調している。
体系にコンプレックスを感じさせるというか、着るものを選ぶシルエットを、当然に着こなしているのだから、十分に美人の範疇にいるのだろう。
「剣蔵くん……!」
視線を上に向けると、話を聞かないばかりか、見入っていたことに気付いたらしい。赤く紅潮した頬に、彼女の怒りがありありと感じられた。
「すまない。見惚れて話が頭に入ってこなかった」
「謝る内容が改善したのは褒めてあげるわ。よくも口が上手になったものね」
続くお説教は、チャイムの音で遮られる。にも拘わらず、入口までの並木道に人が通りかからないのは、情報統制をしたのもあるだろうが、そもそも敷地内に寮があるために、わざわざ校門から学校の入口を歩く奇特な人間がいないからだろう。
溜息を一つ。少女は意識を切り替えたように顔つきが変わる。
「このままだと学校に遅れるな」
「チィッ!」
先んじて言葉を出すと舌打ちが返ってくる。学校へと歩き出しながら横目に見ると、何事もなかったような笑顔を浮かべているから後が怖い。
「待って、ボタンが外れたままじゃない」
がっしりと腰を掴まれて振り向けば、自分でやる間もなく正面からボタンを留められる。
あわや首を絞められるかと思ったが、予想に反して目に映るのは甲斐甲斐しく世話を焼く姿だ。どうにも調子が狂う。
「何も、編入初日の朝から討魔に回されることないのにね……」
「腕試しが出来て良かったさ。伶花と組むのも、久しいしな」
「独断専行しておいて、よくもぬけぬけと言えたものね」
「ああー、編入初日から遅刻は印象が悪くなるなぁー!」
「あ、この……!」
妖怪と侍が現存し、神秘が蔓延る世においては暇になりようがない。
新しい日常への期待は、初日の討魔において確固たるものとなった。これから学院での生活は、剣蔵の心を躍らせるものに違いない。
(まー、ゲームみたいな世界感で、楽しむなという方が無茶なんだが)
佐々木剣蔵。前世の名前を鈴木惣右衛門。妖魔を剣で持って討伐するエロゲーに登場する、ライバルキャラの名前である。




