第40話 : 図書室での“密着事件” ― 心臓が限界突破 (3)
家に戻ったのは、もう空が藍色に沈みきった頃だった。
制服のままベッドに倒れ込み、天井を見上げる。
(……最悪。いや、最悪じゃないけど……最悪……)
今日の出来事を思い返すたび、心臓がまた勝手に熱を持つ。
図書室の棚の隙間。
触れそうな距離。
息を呑んだ秀次(中身私)の横顔。
肩に伸ばしかけた自分の指。
思い返すだけで、布団に顔を埋めたくなる。
「……バカじゃないの、私」
声に出したら少し落ち着くかと思ったが、効果は薄い。
さらに追い打ちをかけるように、帰り道の会話も蘇ってくる。
――“黒川が離れなかったの……ちょっと、嬉しかったから”
「っ……!」
枕をぎゅっと抱きしめて、そのまま転がった。
あれはズルい。
本当に、心臓に悪い。
言われた瞬間、足元がふわっと浮いたみたいだった。
(なんで……あんな顔で言うのよ……)
胸の奥が、今日ずっと続いていた“ざわつき”のままだ。
けれど、不思議と嫌ではなく――
むしろ、あの感情がもう一度来るのを期待している自分すらいる。
(……ダメだってば)
そう否定しながらも、口元には小さな笑みがにじんでいた。
一方その頃、秀次(中身千華)は、自分の部屋で机に突っ伏していた。
「……今日は、やばかった……」
顔が熱い。
心臓が落ちつく気配もない。
図書室での距離。
千華(中身秀次)の髪が肩に触れそうになった瞬間。
すれ違う息遣い。
近すぎる体温。
「うわ……思い出しただけでまた……」
頭を抱える。
あそこで図書委員が来なかったら、どうなっていたのか。
考えたら余計に眠れなくなる。
そして、帰り道の会話。
――“黒川が離れなかったの……ちょっと、嬉しかったから”
「……言っちゃったんだよなあ、俺」
後悔はしてない。
でも、恥ずかしさで穴があったら入りたい。
「千華……あれ、どう受け取ったんだろ……」
彼女が耳まで真っ赤にして視線を落とした姿が鮮明に蘇る。
心臓がまた跳ねた。
最近、千華の些細な仕草に反応してしまう。
表情、声、視線、歩幅の揃い方。
今日の沈黙の心地よさ。
(……あいつのこと、意識してる? 俺)
自分の問いに、自分で答えられない。
だが、答えはもう出ている気もする。
胸がこんなに忙しい理由は、きっと――
「……いや、まだ早いって」
強引に話を切れさせ、ペンを握った。
期末課題のノートを開くが、文字が目に入らない。
ページの余白に、ふと走り書きしてしまう。
『明日、話せるかな』
書いた瞬間、ペン先が震えた。
翌朝。
校門前で、偶然にも昨日と同じタイミングで二人が到着した。
「あ……」
「あ」
声がハモる。
たったそれだけで、また胸が跳ねる。
昨日の“距離”を覚えているからだ。
そして、お互い、その感覚を忘れられなかったからだ。
「お、おはよ。黒川」
「……おはよう、秀次」
目が合うと、ほんの一瞬だけ静電気みたいな感覚が走った。
それが何かは、まだ言葉にできない。
でも――
(今日……どんな顔して会えばいいのよ)
(話したいけど……変に意識されたらどうしよう)
二人とも同じことを考えていた。
そのことに、まだ気づけていない。
「そういえばさ、黒川」
「な、なに?」
「昨日の続きの資料……今日、昼休みにちょっとだけ――」
「……うん。いいわよ」
返事が早すぎて、自分で驚いた。
「そ、そっか。じゃあ、昼」
「ええ、昼」
言葉にしてみると、それだけでまた胸が温かくなる。
昨日よりも自然に並んで歩き出した二人の肩の距離は、
ほんの少しだけ近い。
それに気づくのは、もう少し後のことだ。
こうして、
“図書室の密着事件”は終わった……はずなのに。
二人の心臓は、まだずっと昨日を引きずったままだった。
ほんの数センチの距離に救われ、
ほんの数センチの距離に揺れ動き、
そして――恋の種が静かに芽を出し始めた。




