第39話 : 図書室での“密着事件” ― 心臓が限界突破 (2)
通学路の電柱の影が長く伸びる。
静かで、穏やかで、さっきの図書室の出来事が嘘みたいで――でも、胸の奥はずっとその余韻を抱えたままだ。
「……寒くない?」
ふいに秀次(中身俺)が聞いてきた。
「そうでもないわよ。アイス食べてる割には」
「たしかに。俺も……不思議と平気だな」
なんでもない会話のはずなのに、なぜか気恥ずかしい。
沈黙が嫌じゃないせいで、逆に言葉を選んでしまう。
歩道の段差を踏むたび、心臓が変に跳ねる。
気づかれたら恥ずかしいから、ちょっと距離を空けようとするのに――
秀次の歩幅と合ってしまって、結局すぐ横に戻ってくる。
(……合わなくていいのに)
そんなことを思ってしまう自分が、また面倒くさい。
コンビニの袋を揺らしながら歩いていると、不意に秀次が足を止めた。
「あ、これ……黒川、好きじゃなかったっけ?」
指差したのは、コンビニの前に貼られた季節限定スイーツのポスターだった。
モンブランのクリームがふわふわに盛られていて、視覚的にもう反則。
「えっ……あ、うん。好きだけど……なんで知ってるの?」
「え? いや、この前、購買で迷ってた時……めっちゃ見てたから」
「見てたって……そんなに?」
「いや、すごい真剣な顔してたから……気になって。つい」
「つい……って」
また心臓が忙しくなる。
“私のことを見ていた”
その言葉だけで、頬が熱くなるのはなぜなんだろう。
「今度さ、期末終わったら……一緒に食べに行く?」
「っ……!」
思わずアイスの棒を握り直す。
「で、できたら……その……」
「無理だったらいいけど。ほら、甘いの好きだし」
「む、無理じゃない。……無理じゃ、ないけど」
語尾が小さくなる。
視線は完全に地面へ落ちている。
こんな約束、別に特別なものじゃない。
ただスイーツを食べに行くだけ。
クラスメイトだって普通にするはず。
だけど。
今日みたいな距離を経験した後だと、
その“一緒に”の二文字がやけに重たい。
校門近くまで戻ると、オレンジ色の光が夜の青に溶けていくタイミングだった。
「……そういえばさ」
秀次が、ポケットに手を入れたまま、こちらを見た。
「図書室の時……ごめん」
「え?」
「あの、すごく近づいた時。俺、ちょっと固まって……避けるタイミング、完全に失ったというか」
「あ……」
耳の奥が熱くなる。
「いや、あれは……その、私も……動けなかったから」
「え?」
「違うのよ、あれは! 別に……変な意味じゃなくて!」
言えば言うほど墓穴を掘っていく音がする。
視線が宙を泳ぎまくって、落ち着かない。
「変な意味だったら……どうする?」
低い声。
冗談っぽいのに、どこか本気の響きを含んでいる。
「なっ……!」
喉が乾く。
足が止まる。
その表情を見ようとして、でも怖くて、まともに見られなくて。
「や、やめてよ……そういうの……」
「ごめん、冗談。でも――」
「でも?」
「黒川が離れなかったの……ちょっと、嬉しかったから」
「っっ……!」
完全に顔が熱の限界突破。
夕焼けの色なんて関係ない。
自分の体温だけで燃えそうだ。
(なにその……言い方……心臓に悪い……!)
言い返そうと口を開くが、言葉にならない。
そんな私を見て、秀次は少し照れたように笑った。
その笑顔が、また胸に刺さる。
どうしてこんなに、些細なことが気にかかるんだろう。
いや、わかってる。
わかってるくせに認めたくなくて、ずっと逃げてただけだ。
今日、図書室のあの距離で――
心臓が限界を超えた瞬間を、ちゃんと覚えている。
それは私だけじゃなく、秀次も同じだったのかもしれない。
そんな予感が、胸に静かに沈んでいく。
「じゃ、また明日な。……黒川」
「……うん。明日」
別れ際、言葉が妙に柔らかくなった。
きっと、今日の帰り道の沈黙の延長線上にある声だった。
手を振るわけでもないのに、
なんだか名残惜しくて、足がすぐには動かない。
秀次の背中が角を曲がって消えるまで、
私はそのまま立ち尽くしていた。
(……ほんとにどうしちゃったの、私)
けれど答えは出ないまま、夜風だけが頬を撫でていった。




