第31話 : 心配と距離感の意味が、まだ言葉にならない
味噌汁の味見が終わり、次は生姜焼きの下準備に取りかかる。
「じゃあ、次は肉を焼くわよ。火力が強すぎると焦げるから気をつけて」
「お、おう……」
フライパンの前に立った瞬間、千華(秀次ボディ)がまた俺の後ろに立って、手元を確認するように覗き込んできた。
距離が……近い。
というか、さっき包丁教えるときより近い。
(すぐ後ろにいるじゃん……!)
振り返ったら息が当たりそうな位置。
背中のあたりがほんのり温かい。
こっちは落ち着かせようとしても、心臓がまるで言うことを聞かない。
「油をひいて……そう、そのくらい」
「こ、これでいいのか?」
「ええ。……意外と上手いじゃない」
「意外ってなんだよ!」
「事実よ」
言い返す元気がなくなるほど顔が熱い。
千華は普通の調子で喋っているけれど、彼女のほうも微妙に声が柔らかい。
(いや……柔らかいってなんだよ……もっと普通でいいんだよ……!)
混乱したまま肉を並べていると――
「ぎゃっ!! やばっ!」
油が弾けて俺の手に飛びかかった。
と、その瞬間。
「っ!!」
千華が俺の手首を掴んで強く引き寄せた。
気づけば、俺の背中と千華の胸板がぴたりと重なる形になっている。
距離ゼロどころじゃない。
これ完全に抱きしめられてるだろ!!
「火傷するでしょ!! 何してるのよ!!」
「す、すまん……!」
怒鳴り声じゃない。
でも強い。
本気で怒ってるというより、本気で心配してる声だった。
千華は俺の手を取り、油が飛んだ部分をすぐに流水の蛇口の下に持っていく。
「大丈夫? ひりひりする?」
「す、するけど……大したこと……」
「あるでしょうが……!」
“秀次の身体”から出るとは思えないほど優しい声。
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじわっと熱くなる。
(なんだよ……これ。なんでこんな……)
千華の手は大きくて温かい。
俺の手を包むようにして洗い流してくれる。
その仕草が優しすぎて、いつもみたいに軽口を叩けない。
「……お前、そんなに心配することないだろ」
「あるわよ」
きっぱり言われる。
「あなた、怪我したら……嫌だから」
「っ……!」
瞬間、胸が跳ねる。
千華は慌てて言葉を付け足した。
「い、いや……その……黒川の身体なんだから当たり前でしょ!? 私の身体が傷ついたら困るし!!」
「な、なるほど……?」
「変な意味じゃないから!!」
耳が真っ赤になってる。
言い訳しても、心配してたのは丸見えだ。
しばし沈黙したあと、千華は少しだけ視線を落とし、小声でつぶやいた。
「……でも、本当に……危なかったわよ」
「……あぁ。悪かった。助かった」
「……気をつけろって言ってるだけ」
言葉はそっけないのに、声だけ優しい。
そのギャップに心臓がじんわり痛くなる。
しかしこの様子……当然周りが騒がないはずがなかった。
「ねぇ、あの二人……距離近すぎじゃない?」
「黒川さんと田辺くんって、あんなに仲よかったっけ?」
「ていうか、あれ……どう見てもカップルじゃん」
「いや、夫婦……え、夫婦的な空気……?」
「料理実習であれは反則だよね〜!」
……すべて聞こえてます。
そして千華も聞こえている。
「っ……!!」
千華(秀次ボディ)は耳まで真っ赤にして、
「……もう、ほんとやだ……なんでこんな噂されるのよ……」
ぼそっと文句を言いながらも、俺の手はまだ離してくれなかった。
(いや、離すなら早く離せよ……!)
でも、正直――もう少しこのままでもいいと思ってしまった自分がいる。
その気持ちがいちばんやばい。
この感情に名前をつけるには、まだ時間が必要だった。




