第28話 : 名前のない感情が、胸の奥でもつれ始める
放課後、帰りのホームルームが終わると、教室は一気に騒がしくなる。
「黒川さん、今日も一緒に帰らない?」
「カフェ行こうよ〜! パフェ頼もう!」
「プリ撮ろう! 今日の黒川さんめっちゃ可愛い!」
うぅぅ……また来た……!
女子たちの包囲網が完璧すぎて、逃げ道がない。
(もうやだ……俺は普通に帰りたいだけなんだ……!!)
女子の距離感ってなんでこんなに近いんだ?
千華の身体だからって、みんな気合入りすぎじゃないか?
「ご、ごめん……今日はその……」
「予定あるの?」
「いや、その……えーと……」
言葉が詰まる。
千華の身体ってだけで期待値が高い。下手なこと言えない。
そこへ――また現れた。
「黒川は今日、家庭科委員の手伝いがあるの」
“秀次ボディの千華”が、スッと俺の横に立った。
その姿が妙に頼もしく見えてしまうのは、気のせいか?
「また委員会? 黒川さん忙しいんだね〜」
「残念〜! また今度ね!」
女子たちはあっさり引き下がる。
(……千華って、女子にめっちゃ信用されてんだな)
いや、普段の千華の存在感を思い出せば納得か。
女子たちが去っていくのを見届け、俺はようやく息をついた。
「……マジで助かった。今日だけで寿命20年は削れた」
「ふん。あんたがトロいからよ」
「いや違うだろ!? お前んとこの身体が可愛すぎるんだよ!」
「なっ……!?」
千華(秀次ボディ)が一瞬で真っ赤になる。
「そ、そういうこと言うなっ……!」
「事実だろ! 本人が可愛いのはお前が一番わかってるはずだし」
「…………う、うるさい」
千華は顔をそむけたまま、わずかに肩を震わせている。
怒ってるわけじゃない。
むしろ――照れているように見えた。
(なんだろ……このやりとり、前よりずっと自然だな)
前の千華なら、絶対こんな反応しなかった。
今は、どこか距離が近い。
ちょっとした言葉で揺れてくれる。
そんな変化が、嬉しくもあり、怖くもある。
教室を出ようとしたとき――
「田辺ー、ちょっといい?」
男子の声が飛んだ。
千華(秀次ボディ)は振り向く。
「あのさ、今日これから時間ある?
最近なんか雰囲気変わったから話しやすくなったっていうか……まあ、いろいろ相談したくてさ」
「え、あ、うん……」
(……は?)
なにその“気になる男子”みたいな言い方。
いや、違う。
違うんだけど……でも!
(なんで男子が千華に“相談したい”とか言うんだよ!)
胸の奥がぐにゃっと熱くなる。
(うわ……やべぇ。めちゃくちゃ嫌だ)
初めてハッキリ自覚する。
“嫌だ”と思っている。
千華の身体でもない。
本人でもない。
ただ“千華”という存在を、誰かが必要とするのが嫌だった。
そんな自分に気づき、思わず拳を握る。
「……千華、その……無理して行かなくてもいいだろ。疲れてるんだし」
「は? 別に疲れてないけど?」
「いや、でも……」
千華は一瞬だけ目を細め、小さく笑った。
「……あなたがそんな顔するなんてね」
「そんな顔ってどんな顔だよ!」
「さぁ? 自分の顔くらい自分で確認したら?」
千華(秀次ボディ)はひらりと手を振って男子のほうへ向かった。
ほんの数歩離れただけなのに――
胸の奥が、急に苦しくなる。
(……なんだよこれ)
名前をつけたくない。
でもわかってしまっている。
女子に囲まれる俺を見て、千華はイラついた。
男子に話しかけられる千華(秀次ボディ)を見て、俺はモヤついた。
それはどちらも――
ほんの少しの“嫉妬”だった。
でも本人同士はまだ気づかないし、気づいても認めない。
胸だけが騒がしくて、理由がわからないまま。
その感情はゆっくりと大きくなり、
まだ名前のないまま、二人の距離をじわりと近づけていた。




