渡せなかったホワイトデー
5歳の頃、隣のスーパーにはいつも笑顔で接客してくれるお姉さんがいた。制服姿で、忙しそうにレジを打つその姿を、僕はよく見ていた。お姉さんの名前は美咲。高校生のアルバイトだった。お菓子を買いに行く度に、混んでいてもわざわざ美咲のいるレジに並んだ。ほんの少しの会話が交わされるだけだったけれど、それでも僕にとっては楽しい時間だった。
ある日、美咲が突然言った。
「ねえ、来週の木曜日、私に会いにきてくれる?もうすぐ卒業だから、渡したいものがあるんだ。」
驚いた。僕は、美咲がそんなことを言うのは珍しかったから、心が少しときめいた。けれど、なんだか照れ臭くも感じて、僕はその日、行くことを決められなかった。
僕はその日を迎えても、美咲のところへ行かなかった。ただ、その日に何か特別なことがあるわけじゃないと思っていたから。また別の日に会えばいいやと思っていた。それでも心の中で、どこかで後悔のようなものが芽生えていた。
数日後、スーパーに立ち寄ると、レジの後ろで美咲がもういないことに気づいた。代わりに別のスタッフがいて、あの笑顔も、あの明るい声も、もう聞こえなかった。
「美咲さん、どこに行ったんですか?」
そう尋ねると、店員は少し悲しそうに答えた。
「美咲さん、もう辞めたんだよ。あの子、君に渡したいものがあったんだよ。」
その瞬間、僕の胸に強い痛みが走った。あの日、美咲のところに行けばよかった。もし、僕がその約束を守っていたら、少なくとも最後に会えたのに。僕は言葉が出なかった。
そしてその店員は可愛く包装された箱を渡してくれた。
中には、手作りのチョコレートが入っていた。包み紙には、「バレンタインデーに、ありがとう。」と書かれていた。
そのチョコを手にした瞬間、僕は涙をこらえきれなかった。美咲がくれたチョコ。僕が約束を破らなければ、最後に会えたなら。僕は違う涙を流せただろうか。
後悔。そんな言葉が、胸の中でぐるぐる回っていた。もう会えないことを知りながら、そのチョコを握りしめて、ただひたすら後悔だけが僕を包み込んでいった。
チョコは甘くて苦かった。
(了)
この物語が名前を覚えていないあの人に届きますように。