SideA 愛国正義の階級制度10
トゥーレとの戦闘が始まりすでに一時間近くは経ったであろう。クロス、スティル、ヴィノの顔にはすでに疲労と湧き上がる焦燥感や緊張感からかべったりと汗が浮かんでいる。だが、それに対峙する襲撃者はまとっている外殻とも思える黒鎧から表情こそ見えないがその動きに衰えはない。
「はは……日々の鍛錬は負けないつもりなんだけど……あの体力は予想外だね」
「ああ……それに耐久力も目を見張るものがある。というか……あれは本当に倒せる類のものなのか?」
三つ足で静かにたたずむトゥーレから距離を取り、息を整えるクロスとスティル。その後ろでは目を抑え、今にも膝をつきそうなほどに疲労困憊したヴィノ。
「大丈夫かいヴィノさん。あまり無理はせずさがっていてくれ」
「お、お構いなく……私はまだ……」
そこまでいってこらえていた足が崩れ、倒れそうになるヴィノをクロスがさっと抱き上げる。それを見たスティルもクロスの意図を瞬時に察したのかこくりと頷く。
「殿は一旦俺が。お前たちは先に行け」
「任せる。だが無理はしないでくれ」
それ以上の会話は無駄だとそれぞれが己の役目に奔走する。
クロスは隠れていた女性たちに撤退するよう指示を出す。ヴィノはその声にはっと意識を取り戻し自身を抱きかかえるクロスを見上げる。
「あ……私、す、すみません! 自分で……」
「すまない、全員無事に撤退が最優先だ。このままいかせてもらう」
クロスの有無を言わさないといった強い語気にヴィノはきゅっと唇を噛みしめる。悔しさと悲しみが混ざるその顔にクロスは小さく「すまない」と囁き、女性たちを先導すべく走り出す。
「なんだ、逃げるのか?」
「ああ、認めよう。お前は一筋縄ではいかない化け物。必ず倒せるよう今は退かせてもらう」
「私がそれをただ黙っていると思うか」
背後にゆらゆらと揺れる剣の刀身のような尾。すでに何度かスティルやクロスへと斬りつけたため、そこにうっすらと這う赤い液体。トゥーレが一歩、また一歩とゆっくりとした足取りでスティルへと歩くたびにまるでカウントダウンのように雫が地面へと垂れていく。
スティルはトゥーレが近づくたびに合わせるように後ずさっていく。その背後には木が迫っており、やがてその背がこつりとぶつかる。一見して後がない状況。だがその表情に決して恐れなどはなく、今でも隙あらば相手に襲い掛かる獣のように鋭い眼光が向けられている。
「黙ってみているだけとは思っていないが、俺の邪魔はできないとは思っているぞ!」
トゥーレの大きな影がスティルの背後に立つ大きな木の影に重なる。それを合図にスティルが地面を渾身の力で拳で殴りつける。
「影伝!」
殴りつけた影がまるで揺らめく水面のように大きくぶれたかと思うと三つ足の巨体が大きく揺れる。
「これは……なるほど、影を伝い衝撃をぶつけてきたか。こんな隠し玉をまだ持っていたとはな。そして……」
トゥーレはゆっくりと足元から前へと視線を移す。そこにすでにスティルの姿はなく、ただ賊たちの野営の中で焚火がパチパチと燃えていた。
「それを逃げに使う周到さ……ふふ、なるほど戒律等兵にしておくにはもったいないほどの強者。いや、巡回騎兵、門番重兵でもだめか。この国に正義など……ない」
「そうか、だったら他の国にはお前が言う正義とやらはあるのか?」
声のした方に勢いよく体ごと向き直るトゥーレ。その先では焚火のそばに転がる食糧をつまんで口へと運び続ける少女の姿。
「お前は……見た顔だな。たしか王都コアの屋根上で邪魔をしてくれた女のうちの一人だったな」
「正直相手がクロスだけだったら邪魔をせずむしろ応援してあげてもよかったんだけど……あそこにはエメルやアリスがいた」
「ふん、今回はその女たちがいなかったからずっと傍観していたというわけか」
「あ、ごめん。今回は着いたのほんとさっきだから」
「……」
「あー……いやね? 本当はあの三人の後を最初からつける予定だったのよ? だけどヴィノがいるから最初からつけると鷹見眼でばれちゃうかもしれなかったし? まあゆっくりご飯を食べてからでもいいかなぁって魚を獲ってたら想像以上にとれちゃってさぁ。おまけにあの三人の野営地にも寄ったんだけどなんか食べ残しのサンドイッチがあってね? なんかもったいないなーって? ね?」
「お前もまたふざけた奴だな……だが、強いのだろう。あの時いた門番重兵の老兵。あれに匹敵するほどにはな」
トゥーレはがくんと手を下ろし手にしていた極大剣を地面に突き刺す。ぐにゃりと歪む腕とともにまた変化をはじめ、やがて黒いマントを羽織る少女の姿へと変わる。
「なんだお前、女だったのか」
「……もう私に性別など関係ない。私は私であり、"父"であり、"兄"でもある」
「あー……なるほどなるほど。ええっと……ごめんやっぱよくわからないわ? 説明よろしく」
「……本当におかしな奴だ。まあ、奴らにも教えてやったことだ、名前ぐらいは教えてやろう。私の名はトゥーレ、貴様にお前呼ばわりされる筋合いはない」
「そうか、じゃあお前も人のことをふざけた奴とかおかしな奴呼ばわりするな。私は……シーアだ」
トゥーレは手にした双刃剣の切っ先をシーアへと突きつける。宣戦布告ともとれるその行為にシーアは腰に差した剣を抜くでもなく、拳を構えるでもなく……引き続き賊の残っている食糧をつまみ口へと運ぶ。
「しゃきほどの三つ足のしゅがたはいえん見かけにゃかったが、あれがおあえのほんはいのしゅがたなのか?」
「……は?」
シーアは口の中に残っているものを慌ててごくりと飲み込み、まとっているマントの端で口元の汚れを拭う。そして緩み切った表情を慌てて引き締め、一呼吸おいてからトゥーレへと鋭い視線を向ける。
「先ほどの三つ足の姿は以前見かけなかったが、あれがお前の本来の姿なのか?」
「……なんだかお前の問いに答えるのがばからしくなってきたんだが」
「ふっ……ごめんってば! ちょっと魚ばかり食べて飽き飽きしてたから賊たちの干し肉や野菜の切れ端が目に入ると集中できなくってさ。てかこいつら私よりいいもの食べてて……許せないわね」
「……もう殺してもいいか?」
「まあ待て、こちらに今は戦う気はないぞ?」
「本当におかしくて……ふざけた奴だな」
「おい、せっかく名乗ったんだからそっちで呼べよ。それに……どうせここで戦ってもお前は"殺せない"のだろう」
シーアの台詞にトゥーレの頬がピクリと動く。その反応を見てシーアがにやりと微笑む。
「お前のその能力の"起源"はなんだ。そして、"薬"を飲んだのは誰だ?」
「もう……お前は殺す」
「いっただろう、今は戦う気はないと」
剣を手にシーアへと襲い掛かるトゥーレ。双刃剣をくるくると指先で回し、勢いそのままにシーアへと振り下ろす。その剣の腹を足鎧で蹴り飛ばし弾くシーア。トゥーレは思わぬ反撃に剣とともに大きく飛翔し、距離をとる。
「三種の姿……いや、三人の人族が一つになった? だがそれならなぜ"三つ足"なんだ? 三人が束ねられたならなぜ六本の足ではないのか?」
「黙れっ! 忌々しい!」
再度斬りかかるトゥーレに対し今度はシーアが大きく飛翔し距離をとる。依然戦う様子を見せないシーアにトゥーレは手にした剣を降ろし舌を打つ。
「戒律等兵の身なりのお前がトゥーレ。お前が言う"父"と"兄"のいずれかが巡回騎兵、いずれかが門番重兵というわけか」
「……」
「おまけに三種の組織それぞれに対し何か因縁じみたものがあるようだが……はは、それはお前の能力、いや、術式の"制約"といったところか」
「"制約"ではない……それは"信念"だ! 各々が信じた正義と……その敵とした相手へのな!」
トゥーレは手にした剣を地面に突き刺す。ぐにゃりとゆがむその姿にシーアはもはや見慣れた光景といった様子で余裕の笑み……否、この時を待っていたかのような不敵な笑みを浮かべた。
「今はまだ相手をする時ではないが……お前がそう来るならばお前の本来の姿にとりあえず戻ってもらうとしよう」
シーアが話し終えると同時に終わる形態変化。トゥーレの姿は小柄な女性とは真逆、シーアをはるか見下ろすほどの巨躯。極大剣を手にした重鎧をまとう兵士、その姿へと変化した。だが、変化を終えてすぐに眼前で何かをかざすシーアを見て忌々しそうに地面を踏みつける。
「貴様……それは」
「クロスが置いて行った荷物の中にあると思ったが正解だったな、ふふっ。そうだ……私は門番重兵だぞ? その姿でいいのか?」
シーアが手にしているのは小さな黒鉄の盾の紋章。先に立ち寄ったクロスたちの野営地にてシーアが拝借したもの。それを見てトゥーレは再度剣を地面へと突き刺し、変化を始める。
「今度は巡回騎兵か。ふふ、じゃあこれだな」
トゥーレが軽鎧と直剣を装備した兵士の姿になったのを確認し、シーアは腰にさげた革袋からまた何かを取り出し手に取る。
「……ちっ。その十字架、白光銀の……あの時の"聖女"のものか」
「あはは、持つべき友は聖女様ってね。さあ、私は巡回騎兵でもあるぞ? どうするんだ?」
手にしているのは白金色の十字架。チェーンに繋がれたそれをまるで邪でも払うかのようにトゥーレへとかざすシーア。ちなみにその表情はどこか楽しげである。
トゥーレはどこか観念したようにそっと手にした直剣の切っ先を地面につける。それと同時に変化をはじめ、最初の小柄な少女の姿へと元に戻る。
「なるほど……本気で私を殺そうと来たわけだ」
「そういうことだ。そしてこれで……」
シーアは隠し持っていた黒いマントを勢いよくはためかせ、自身がまとっているマントの上から羽織る。
「さあ、戒律等兵のお出ましというわけだ」
「……お前、やっぱりふざけているのか?」
「は?」
トゥーレはどこか白けた表情でシーアへと指をさす。その指先を追いかけるようにシーアは視線を下ろし羽織っているマントを確認し、引くついた笑みを浮かべる。
「お前も含めて戒律等兵は絶対に友にすべきではないとわかった……」
「……とりあえずもう殺してもいいのか?」
シーアの羽織った黒いマント。一見して戒律等兵のトレードマークでもある黒マントだが、肝心の紋章があるはずの胸元には大きく破れた跡があり、ぽっかりと大きな穴があいていた。
顔を抑えて嘆くシーアは少し待ってほしいと手をかざし、制止する。異様な状況にトゥーレもなぜかそれに従いしばらくシーアの様子を無言で見守っていた……が。
「あ、おい貴様!」
「きょ、今日のところは見逃してあげる。運がよかったわね!」
シーアはくるりと踵を返し、全力で走り始める。最初からトップスピードの本気の疾走に呆けていたトゥーレは慌ててその後を追い始める。
「逃げるのか貴様!」
「うるさい! そんなに戦いたいなら今からいう宿にでも行ってこい! 手頃な戒律等兵が書類作業で退屈しているはずだから!」
「しらじらしい嘘を! 貴様の言葉はもはやすべてが戯言! もはや聞く耳は持たん!」
「くそっ……カグラァア! 覚えてろぉお」
泣きそうな表情でなおも走り続けるシーアの叫びに周囲の木々から数多の鳥が飛び立っていった。




