二百二十五 黄忠 〜AIは黄色信号を忠実に止まる〜 次代
先進的なAIによる複数の生体認証やデバイス認証が、メールやパスワードを不要にした。
ユーザー側がサービス提供者に送付するワンタイム認証が、なりすまし攻撃を駆逐した。
大事なデータにデコイを自動生成するサービスが、不正入手したデータの利用を防いだ。
そんなセキュリティ対策を公開形式で議論したKOMEIホールディングスは、各社で工夫する余地の大きい部分を除いて特許の無償利用を許可する。
全てのAI大手はそのセキュリティ対策を採用し、無数の認証方式が提案され、運用が開始される。
企業同士の取引や、個人レベルの売買、データやアプリのダウンロードやアップロードに至るまで、ことあるごとにAIが自動で認証を飛ばし合う。その暗号のもとは生体認証だったり、前回の行動だったりと、再現や模倣が困難なものを使っている。
サイバー攻撃を収入源としていた者、他者への攻撃や妨害で報酬を得ていた者らは、一度はAIを駆使することで急速にその手口を多様化、巧妙化していた。だがその防御が急速に発展したことで、コストに見合った収益が不可能になっていく。
犯罪組織も同様。彼らも収入がなければ生きてはいけない。さらに、そこらじゅうに架空の個人情報が飛び交い、しかもそれに触れた瞬間に逆探知、捜査が始まるというハイリスク。そうなってくると、よほど技量の高いスパイなどを抱えていない限り、サイバー犯罪そのものが立ち行かなくなっていくだろう。
妨害や破壊、盗み出しや情報操作を織り込んだ技術競争、ビジネス競争は急速にその役目を終え、正当な技術競争や、ビジネス上の駆け引きが再び主役となる。そんな状況がAIによって作られるのは、そう遠いことではないかも知れない。
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某区役所 応接室
「と、こんなふうにすんなり行くといいんですけどね。先輩も軽く巻き込まれましたし」
「鬼塚さんが流れを作って、とどめはあの会社の新入社員さんたち、だったね。だけどこの動きに関しては、今後もう少ししっかり見ていかないと、でしょうか」
「少なくとも、AI各社が先を争うように動き出したところまでは本当だからな。他サービスに対して攻撃性のあるrAI-rAIやCyber Tutorまで、同じ流れに乗っかってきておる」
「この流れに乗らないと、お客さんが安心して使えない、つまり採用してくれない、って形にしちゃいましたからね。防御側が『こうします!』って感じで手の内を明かしちゃうことで、攻撃する側が対応を考える前に体制を整えちゃっています」
「そうなると考えられるのは、みなさんに浸透する前に駆け込みで詐欺犯罪などを仕掛けようとする人達ですが」
「そういう奴らへの対策も、これまでにないスピードで取り締まりが進んでいるらしい。スマホにAI関連のアプリが入っているだけで、簡単にそのセキュリティの輪に入れるからな。高齢者や子供も、一度設定をしてしまえばしっかり保護できるんだ」
「犯罪組織も、一般人の情報の中にどこにデコイが混ざっているかわからないから、すでに身動きが取れなくなり始めているかも知れません。滑り込みを狙った詐欺グループが次々に検挙されているとか」
「個人情報を扱う企業は、対策を取れるサービスへの乗り換えを特に優先しているようだな。そして、対策の有無に関わらず、とりあえず『架空のデータがあるかも知れない』というポリシーだけは先に採用するパターンも出てきた」
「あとは、規模や業種によってはどうしても導入が遅くなる企業もいますからね。そういうところは、ブラフだけでもしておく意味が大きいのでしょう」
「さて、セキュリティを本人達任せにせず、AIを中心とした仕組みで市民を守る、というのは半ばうまく行ったようだな。儂の役目もここまでだろう」
「鬼塚さん……」
「なあに、健康には自信がある。バカ孫たちの仕事ぶりを見守りながら、よく鍛えよく学び、よく遊びよく休む。それを続けるだけさ」
「あはは。お孫さんたちも、いろいろ付き合わされそうですね」
「あんたらも、そろそろ次のステップが見えてき始めているんじゃねえか? 一つの街を守るっていう役目からは、とっくに逸脱し始めているのは誰の目にも明らかだけどよ」
「そうですね。先輩のもとに、とある方からお誘いがあったと聞いています。小橋さんにも相談していたので、心は決まっているようですけどね」
「ん? 相談ってのは、心が決まっていねえ奴がすることじゃねえのか?」
「大橋先輩が小橋さんに相談するとしたら、実務的なヘルプの要請か、理解できる人があんまりいない内容の相談かどちらかですね。今回の話は分かりづらくはないので、そのどっちかか、両方ですね」
「うん、ちょっとおねだり」
「何を?」
「データセンター。エコなやつ」
「「両方だった」」
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都内某所 IT関連会社
「だめだもう、グレーな方向の案件はもう採算とれない。全部キャンセルするしかねえ」
「これまで、足がつくリスクが低くて、ついてもギリギリ犯罪にはならないところでやって来ていますからね」
「さすがにデコイに引っ掛かるような不正な情報の取り方はしてないんだが、全部の情報にソースとか求められると言いづらいやつもあるからな」
「でもまあよかったんじゃないですか? ギリギリ、反社とやその関係者と直接取引していなかったので、強制的に潰されることはないはずです」
「だが、うちの売りは、管理や出所が曖昧な情報を取ってきて、そこに基づいたアクション提案で儲けを出す商売だったからな。それができなくなるとしたら、どうやって会社として成り立たせるんだよ」
「ですが社員の大半が情報管理系の資格を持ち、それぞれがちょっとしたコンサル出来るくらいのビジネス知識があります。それを駆使すれば十分立て直しでき……ん?」
「ん? どうした?」
「ボス、なんかメッセージ来てません?」
「む、これは……どう思う?」
「『貴社の公開情報を分析した結果、明白にホワイトとは言えない方法でのビジネスが中核になっているのではと推察します。ですがその手腕と経験は、見方を変えればこの先も大きな社会的ニーズを捉えられるでしょう。例えば〇〇や××のような分野において、公益性の高い事業展開が可能と考えられます。つきましては、一度〇〇に足をお運びいただき、是非ともお話をさせていただけたらと思います』」
「これって……」
「あれだよな……」
「「聖母の召集令状!?」」
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米国某所 オフィス
「なあ宙太、このセキュリティ対策の流れには乗っかるしかねえのか?」
「咲楽か。ああ、乗るしかないな。実際、メールの処理やパスワード、レガシー的な認証システムなんていうのは、本来ないほうがいいぐらいだし、ここで乗り遅れるのはAIの競争における脱落を意味する」
「Cyber Tutorの大元であるこの国の5つのAIサービスも、この枠組みを全面的に採用する形で話が進んでいるな」
『でも、すんなり入れ替えが進まない国でどうするかは考えないとですよね』
『まあそうだな。だが、明確な目標が決まっていない状況でふらふらするより、このシステムは先行して入れていくべき、っていう明確な指針のほうが、どんな階層の人でも動きやすいだろうな』
「そのとおりだ。それに、メールやパスワード、レガシー的な認証手続き、不確定情報からくるクレームや勧誘への対応。そんなものは全てクソ仕事、それか仕事とも言えねえクソ活動だ。ならそれら一切合切駆逐するのが、俺たちの役目でもあるだろう」
「うん、気合い入っているね。でもこの前だとちょっと悔しいよね。国際的な標準っていうレベルまで一気に作り上げて来たあいつらの腕は本物だよ。だからこそ、あたしらもそう言う仕事をしてみたいもんだよ」
「できるさ、必ず。俺たちなら」
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某所 情報管理施設
『この対応スピードは、鬼塚黄升氏、大橋朱鐘氏を起点とした上で、さらにKOMEIホールディングスの誇るとんでも新入社員たちによって成立しています』
『両者は、性格上のペルソナは再現可能ですが、経験や技量、センスと言ったものが、現段階では演算しきれていません』
『現代人の中で、計り知れない動きをする人物の分析にリソースを拡大できないか、ペルソナ:ドラッカーの名において、開発機関に申請中』
『デコイ情報が世の中にある程度の割合で混在することで、学習データの信頼性を確保するアルゴリズムの改良が優先事項』
『仮おきとして、嘘が何パーか含まれているっていう設定で、統計的に処理できませんか?』
『ペルソナ:ナイチンゲールの提案、仮バージョンとして一定の効果があると推察します』
『いずれにせよ、当該セキュリティの基準に対応するためのシステムのアップデートと、それを完了したことを社会に証明することが最優先事項』
『同意』
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とある日本家屋 道場
「痛えっ! まだ元気じゃねぇか爺さん」
「お前だってあと20年とか言っていただろ!? お前こそ、ようやく俺に対して一本取れるようになったじゃねえか」
「やっぱ判断力ってのは、仕事であっても体を動かすのであっても根本は変わらねぇんだろうな」
「だろうな。結局脳ってやつは、使ってなんぼだからな」
「AIを使うようになって、脳の使い方も大きく変わっているのでしょうね」
「世間じゃ、より動きが定型的になっていって、脳の働きが退化するっていう可能性も取り沙汰されている。だがそれは多分、一人の人が処理する仕事や活動の量が変わらなければそうなるってだけのことさ」
「ちゃんとAI使い倒すには、相当頭使うからな。何度も知恵熱かましている鳳さんをみてりゃそれがよくわかる」
「その辺の心身の向上や減退ってところは、慎重に見ていかないといけねえんだろうな」
「だな。その部分はまだ孔明でも足りてねぇ。なんせ孔明がインドア派だからな。そのあたりちょっと考えてみるわ」
「ちょっと、か。やりたいようにやってみるんだな。お前はもう、そのフィジカルの部分も含めて多くの経験を積んでいるからな」
「サッカーチームでお仕事したり、現場の作業員さんたちと一緒にお仕事したり、フィジカル関連のお仕事は沢山しているのです」
「でもそれだけでは足りなそうだよね。普段体を動かしている人はまだマシなほうなはずだよ。事務職とか、繰り返しのお仕事が多い人がリスク高そうだね」
「そしたら次は、そんな人達が、AIを使いすぎる時のリスクも含めて、考えていかないといけないのです」




