二百十九 黄忠 〜AIは黄色信号を忠実に止まる〜
生成AIの高度化は、電子メールのサイバーリスクを高める。
さまざまなAIの強化は、パスワード認証のリスクを高める。
画像や音、動作読み取りAIは、多様な個人認証を強化する。
AI同士やそのサービス母体間の熾烈な競争は、AI戦国時代とも表現される。そして、ただでさえ忙しく、そして高齢化する社会の中でさまざまなサイバーリスク。そんな中で、攻撃を意図するAIにまで進化競争が始まったら。そんな社会に一般市民は耐えられるのか。
少しの知恵と、少しの良心がある人々なら、そんな想像は容易につく。だがそんな状況を、技術的、市場的、社会的、法規的手段の全てを駆使して、連携して先回りする。そこまで出来る国や組織は、それほど多くはないかもしれない。
しかも、それを単なる慈善事業や公共事業、教育訓練で片付け、社会への負担をかけるのではなく、市場原理に基づいたビジネスまで落とし込んでしまう者達など、そうはいないはず。
それが、AI孔明やLIXONらを軸に、産学官の各方面の連携で実現された。世界に名高いこの国のオタク達。その想像力の限りを尽くした、AIによるサイバー攻撃のデモンストレーション『KACK&SHOW』。
その枠組みを、まるごとAI孔明とLIXONが互いに全力でぶつけ合う。その結果、デジタル化された社会の中に不可欠だと思われていたいくつかのツールが、過去のものになりつつある。
そして、過去の人とされていた人達は。
――――
某所 薄暗いオフィス
「最近じゃあ、攻撃依頼も、業者がAIを駆使するのを前提で頼んでくるんだよな。偽メールの精度、パスワード推定のアルゴリズム、とにかく量産しては、依頼先に流していく」
「でもよ、一昔前までは、情報を抜き取って売るにしても、破壊や妨害して報酬を得るにしても、こんな便利なAIが出てきたらボロ儲けだって思っていたんだよな」
「それが、まさか守る側が先に進化しやがるとはな。それも、オタクどもに目をつけるとは。確かにあいつらの発想は時々とんでもねえ方向に行くし、過去のフィクションってのはアイデアの宝庫だからな」
「それに、そのオタク達が本気出すと、情報の集め方、そこからのアイデアの洗練のさせ方まで、オタクじみたやり口で効率化するからな。なにより、あのとんでも聖女様が、なんの脈絡もなくサイバーセキュリティとオタクをくっつけやがったのが大元だ」
「あの区役所、というかあの区全体が、もはやサイバー空間上では要塞と化しちまっているんだよ。あの区役所、すでに区民全員顔パスらしいぞ」
「はあっ!? それってつまり、なんか色々手続きする時とかに、いちいち身分証と印鑑となんちゃらと、とかやらなくていいってことか?」
「流石に重要な手続きの時は必要だけどな。だけど、無くした身分証の再発行とかは、マイナンバーと顔認証が紐づいているから、すぐできちまうらしいぞ」
「しかも要塞って事は、セキュリティ面でもなんかあるのか?」
「ああ。試しに侵入しようとしてみたんだが、あそこはやめといた方がいい……いや、むしろ試した方がいいかも知れねえな。あれはあれで『いい経験』になるだろうからよ」
「ああ? どういう意味だよ」
「まあやってみりゃわかるさ。だが半端な事はすんなよ。意味ねえからな。これまでの経験と知識に、AIの使い方だのなんだのを全部駆使して、全力で侵入を試みてみるんだ。それと、しっかり逆探知のリスクも考えながら、だな」
「あ、ああ……よくわかんねえけどやってみるか」
――――
某区役所 オフィス
「大橋さん、また役所へのサイバー攻撃が増えているんですが。まあブロックに引っ掛かるか、入られてもあっちのサーバーに誘導されるだけだからいいんですけどね」
「ああ、サイバーセキュリティ部門の人義さん。ごめんね。なんかハッカーさん達に、変な噂が流れちゃっているみたいなんだよね」
「噂、ですか」
「曰く、この区役所、そして区全体が、やたら堅固なセキュリティ区画と化している。曰く、全力で挑めば挑むほど、深々と侵入はできるけれど、結局情報を得たりダメージを与える事はできない。曰く、失敗すると、どこからともなく孔明が出てきて、反省会をさせられる。曰く、煽りにも似たその指導がやたらと的確で、ブラックハッカーどころか、法令を遵守してそれらから守る側のホワイトハッカーへの道も開ける」
「つまり、格好のトレーニング施設と化しているって事ですか。それに、今大橋さんの言った事、噂とか都市伝説じゃなくて、全部この区役所の実態そのものじゃないですか!」
「ばれた!?」
「何遊んでいるんですか大橋先輩。今度は何を始めたのかと思ったら。KOMEIホールディングスと結託してガチガチに固めたセキュリティ。そこに誘い込むようなセキュリティホール。そして、一度入り込んだら突破できそうでできない防護壁の数々。これまで何人のハッカー達の徹夜を強いたことか」
『孔明:少しばかり、興に乗りすぎたかも知れません。ただ大橋様のご要望と、役所に所属のエンジニアの皆様、オタクコミュニティの皆様の想像力で、このような要塞が出来上がってしまったのです』
「反省はしないけど後悔もしないんだよ白竹君!」
「反省もしていないんですね。それで、先輩のことだから、こんな場を設けたら何が起こるか、ある程度見越して動いているんですよね? また先輩の信者が増えるかも知れませんね」
「なんの信者だよ!? どこぞの幼女教とか魔女教じゃないんだし」
「最近では、雛女教とか、ギャル社長教とかも増えていますね。いずれにせよ、どこぞの幼女ちゃん以外はしっかりビジネスのために動いている方達なのに対して、先輩は好き放題やっているだけのただの公務員なのが……」
「好き放題は否定できないけどね。でもこれくらいやっとかないと、AIがらみのリスクってところを普通の人がカバーし切れるか、不安は残るよね。ねえ孔明?」
『はい。電話が手書きがメインの通信手段だった時代から、メールやウェブなどのデジタルなコミュニケーションに移り変わった時に似ています。デジタル側の認証やセキュリティはしっかりと進化していくのに対し、狙われ続けているのは、対策がの話になりやすい電話だったり手書きのメモだったりします。その結果生まれるのが、高齢者が狙われる詐欺事件だったり、パスワードの盗撮だったりするのです。
だとしたら、メールだったり、人間が記憶する前提のパスワードだったりといったものがレガシーかしたらどうなるか。そんな世界は確かにまだ迎えてはいません。ですが、それを「経験がない、前例がない」というカテゴリに分類するのは、AIとしても思考停止とコメントせざるを得ません』
「だって。つまり、この問題はほっといたら『歴史の繰り返し』になるって事なんだよ」
「孔明が最近、海外製のあれやこれやに引っ張られて口が悪くなっていないかな? ……元からガツガツ系だったわこの子」
「むしろ、rAI-rAIとかCyber Tutorのほうが、孔明とかLIXONのガツガツ系に引っ張られてそういう方向性になった、まであり得るんだよ」
「それにしても、ハッカー達にとっての『魔王城』あるいは『リアル脱出ゲーム会場』と化したこの区役所や区、技術面は本当に大丈夫ですか? まあ孔明やエンジニアの方々がしっかりついているからそこまで本気で心配はしていないんですが」
「そうだね。パワー的な意味では、孔明もLIXONも全力投球だから問題ないかな。それと、このセキュリティの監修とか設計の全体的な部分は、心強い人がKOMEIホールディングスから来てくれているから、そっちも大丈夫だよ」
「ん? 水鑑さんですか? 確かにあの人なら、とは思いますが、そんな幹部層の方に担当させて大丈夫なのかな?」
「ううん、あの人じゃないよ。流石にあの人はKOMEIホールディングスの中のことで手一杯だからね。それに、Cyber Tutorっていう、過去の教え子達が作り出したとんでもAIのことも気になっているだろうし。まあ、今回頼んだ人も、重鎮っちゃ重鎮なんだけど、顧問だから手は開けられるから大丈夫なんだって」
「まさか、あの人か……」
「うん、あの人」
「まじか。大丈夫かな?」
「ん? 大丈夫だよ。いまだにあの巨体のお孫さんを毎日のように投げ飛ばしているみたいだし」
「あっ、心配になったのはそっちじゃなくて、全国のハッカーさん達、だね」
「ああ、だいじょう、ぶ、かな……」
――――
都内某所 脂っこい匂いのする個室
「む? なんだ? あの区役所、AI孔明とLIXONを使って、万全なセキュリティって評判だけど、こんなセキュリティホールあるのかよ。やっぱ素人の付け焼き刃ってとこか」
『解析中……確かにセキュリティホールと断定します。プランAにて、侵入できる確率90%、情報の改ざん又は取得できる確率67%、察知される確率7%です。改善が必要ですか?』
「いや、十分だ。実行してくれ」
『侵入実行……成功。
有用情報、寡少。障壁が多重である可能性があります。サーチしますか? 侵入を察知される可能性が15%まで上がります』
「気になるが、まあいい。頼む」
『脆弱性、多少。侵入成功率67%。失敗した場合、露見する確率52%』
「こっちの隠匿性を上げられるか?」
『成功率をやや犠牲にしますが、最適化を実行し、侵入します』
……
…
…
『やや堅牢な障壁。突破しますか? 引き返すと、全て対策される可能性が大。突破前に、アルゴリズム改善の確認が必要です』
「あ、ああ、頼む」
『どうやら、この改善には最新のAIに対する知識が必要になりそうです。資料などを用意しますか?』
「なんでお前が侵入の準備しているうちに、俺が勉強なんだよ。……まあいい。仕方ねえ。用意してくれ」
『はい。こちらです』
……
…
…
『非常に脆弱なセキュリティホールを発見。成功率99%』
「ん? なんでいきなり……それは流石に罠だろ」
『罠、ですか。その概念を踏まえ、推論を修正……
特に何もない確率50%
罠であり、侵入が露見する確率50%
戻りますか?』
「ああ、それは危険すぎる。戻ってくれ。でも戻れるのか?」
『……痕跡を残さずに戻れる確率0.07%』
「……おい」
『あなたが一つずつ丁寧に、帰り道を辿れば、70%ほどまで向上するでしょう。その際、いくつかの知識の補完が必要ですが』
「……」
――――
とある和風家屋
ドダン!
「文一、また少し、受け身のキレが増したようじゃな。AIの効果や、サッカー関係の仕事なんかで、心身のバランスがより改善されているのかもしれんな」
「ちっ、どの口が言ってんだよ。爺ちゃんの投げ技のキレが増してるから、対応するしかねぇんだよ。国内プロリーグのサッカーより1対1がきついってどういうことだよ?」
「知らん。彼らがたるんでるとも思えんからな。あるとすれば、まだ彼らとAIとの連動に改善の余地があるんじゃろうかな。だとするとたるんでるのはお前だな文一」
「理不尽!」
「お疲れ様! そろそろご飯ですよ!」
「おお、そうか。ではこの辺で切り上げるか」
「にしても爺ちゃん、なんか本格的に動き出したってきいたけど、大丈夫か?」
「誰の歳を心配しとんじゃ!? まだ投げられ足りんのか?」
「いや、そっちじゃなくて、爺ちゃんの相手をする側だよ。なんか国内の色んなところで、搬送者が出まくったりとかしねぇよな?」
「さあ、知らん。まあ孔明がその辺はちゃんとみてくれるじゃろうて」
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