二百十七 司馬 〜進化を司る者、馬は車に、人は?〜 仲達
Cyber Tutorを立ち上げた五人の主要メンバーは、それぞれの理由で母国を飛び出した日本人の若者。
五人は同じ高専を卒業後、それぞれどこかで博士の学位を取得するも、日本でのキャリアは絶たれた。
その五人には、国内で活躍するインフルエンサーの友人と、国内のAIトップ企業に勤める恩師がいる。
これくらいの大雑把な経歴情報なら、それほど苦労せずに手に入れることが、できないことはない。だが、ここまで生き生きと、生々しく、本当に経験してきたかのように調査し、表現できるのは、『合法サイコパス』法本直正をおいてそうはいないだろう。
そして彼もまた、根っこの部分で善か悪かで言えば、圧倒的に善に振り切れている。だからこそ、五人から受けた依頼に基づいて彼らを独自調査した結果炙り出されたこの過去は、彼の良心と正義、責務と信念の狭間で、大きな葛藤を生み出したのも無理はない。
そして、それを真剣に聞く彼の恩人、大橋朱鐘と、彼の同僚、弓越翔子もまた、直接手を出すことができないまでも、何ができるのかを真剣に考えることを惜しまない。その雰囲気に当てられた秦記者もまた同じ。
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某区役所
「ねえ直ちゃん、あのTAICちゃんは、彼ら五人の同期だったんだよね? 結構繋がりが濃そうだった口ぶりだけど」
「はい。それに、うちの技術部門のボスである水鑑さんこそ、その六人の天才を育てた、高専時代の恩師ということです。その二つの情報は、ギリギリで公開情報から辿ることはできますか、最初から聞いていないとたどり着くのは困難だったでしょうね」
「つまり、限りなくオフレコに近い情報、と」
「そして、とくにTAIC氏の素性とその姿、過去に何を抱えていたか、というのは一切の情報がブロックされています。彼や、水鑑さんがあの五人にどういう感情を抱いているのかは、推測しかできません」
「少なくとも悪意はなさそうだったっすよ。すごく心配している気持ちと、今出てきたことに対しては素直に喜んでいたようにも見えたね。でも、水鑑さんが関わっている孔明に対して、真っ向からぶつかる姿勢とか、その信条に対しては、ちょっと複雑にも見えるかな」
「そうですね。そのあたりは、やはり最後の一人と、その二人についての考察が必要でしょう」
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某大学 学位授与式
「やはり、やり直しは辞退するのか?」
「はい。何度やっても、ああいう場で審査を受けるのは、僕には難しそうです」
「これだけの才能、そして成果も出ているんだけどな。あの時間をどうにか乗り切ればいいってだけなんだぞ」
「幸い、就職先は僕の力を買ってくれて、学卒でもいいからと言ってくれています。それを蹴ってまで、あと半年、研究を進めるのではなく、資料と発表の準備だけのために時間を使うというのは、ちょっと僕には耐えられそうにありません」
「そのせっかちな所も、君のいいところを潰してしまっているのか、それともその性格こそが君の原動力なのか、指導教員の私も最後まで分からなかったよ。君のその圧倒的なコーディングとアルゴリズムの創造性。その反面、簡単なところでのミスや、資料の作り込みの甘さ。先に先に進みたい気持ちはわからなくはないんだがね。正直心配なんだよ」
「……ありがとうございます。お世話になりました」
修士論文の発表会で、用意していたストーリーをうまく話せず、質疑もしどろもどろ。論理の骨子は間違いなく正しいのに、論文や資料に不備が多く、これでは受領出来ないと判断されてしまう。
幸い、その特異な力を買われて、学位を度外視して就職させてもらえたが、当然社内での地位は下がり、どうしても雑用などが増えていく。
そのアイデアの秀逸さ、効率を最重視するスピード感に反比例するように、粗の目立つ作業。そして、その粗を治す作業になると、途端にその才能が影を潜める。
そんな彼に、周りも匙を投げ始め、徐々に彼を「叩き台要員」として便利屋扱いしていく。
「ああ、手直しはこっちでやっておくから。でもこのクオリティだと、君がやったという成果にはしづらいぞ」
「……仕方ないですね。先輩の仕事が進むんならそれで。次も頼まれているんで、また何かあったら」
仕事内容も玉石混交そのもの。社内の意思決定にかなり重要なデータ分析のフローから、本当に雑務と言っていい調査まで。いつしか彼の周りには、依頼者が「クソ仕事」と思っているものが集まるようになっていた。
「この会社、どんだけクソ仕事に溢れてんだよ。でもまあ、ネット記事とか見る限り、こんなもんじゃないんだよな。回覧用の資料のフォーマットを上司に合わせたり、部門で違う慣例名をまたがって無理やりシステム結合させたり。こんなのに比べれば、まだ俺のやつは生産性がなくはないか」
「そんなこと言って、君の評価は全然上がっていないからね。全部人に取られてるんだよ。ちゃんとMBOとかあるんだから、そこはしっかりやってもらわないと」
「うーん、やっぱりだめですね。この仕事を進めようとしても、全く手が進みません」
「えり好み、というよりも、君の中で生産性に繋がるかどうかの見積もりの速さ、と言った所なんだろうな。どう生かせばいいのか……」
だが、こんな親身な上司とは裏腹に、会社の業績が傾き始め、早期退職などの勧めが回ってくるようになる。そして、
「君も対象になりそうだね。部門が変わったら、関係構築からやり直しだし、今のようには行かなそうだよ」
「そうですよね……不本意ですが、退職させていただきます」
「うん、それも一つの選択だよ」
だがその後もフリーのエンジニア、派遣社員と、色々な業態で試してみるが、「完成品」を作れない彼に、仕事はなかなか回ってこない。職を転々とし、日銭を稼ぐしかない。
そんな中、久しぶりに集まった六人。といっても、時制が時制だけに、それぞれオンラインだ。
「なんだよ。日本に残ってんの宙太だけじゃねえか」
「まじか。咲楽と儁は知ってたけど、典子も晃明もか?」
『そのようである』
「んっと、〇〇は、すっかりそのスタイルが定着したな。それもそれで居場所なんだろうけど。いつかまた姿を見せてくれるといいんだが」
『今はいずれにせよ無理であるな。だが本当に、いろいろ落ち着いてから、なのだよ。そして、どう見ても一番落ち着いていないのは、宙太、お前なのだよ』
「だよな……海外、なら、行けるか? だけど、英語も得意じゃねえし」
「ねえ宙太君、生成AIって知っていますか?」
「ん? まだまだだって話だけどな。翻訳くらいならある程度いけるようになってきているのか?」
「私はどっちにしてもテキストベースは苦手だから、ちょっと分からないんですけど、晃明君も技術に携わっているし、儁君は……翻訳いらなかったです」
「ちょっと調べてみるか。そっちのスタートアップの調査は……TAIC、すこしサーバー借りていいか? その界隈の動向調査をやってみる」
『相変わらず、こうと決めたら早いのであるな。いいだろう。リソースは空けておく。好きに使うといい』
「ああ。ありがとう。やっぱり俺たちは、全員が堂々と『ちゃんと生きているんだ』って、水鑑先生に言えるまで、歩みを止めちゃいけないんだよな」
「当たり前だろ。先生が間違っていたなんて、この咲楽吹雪が認めさせねえよ」
「ふえぇ、咲楽ちゃんが久しぶりに日本語で啖呵を切ってます」
「当然さ。あの先生も、結局今はその辺の製造業のIT担当とかでくすぶってるのか、それとも悠々自適かは知らないけどさ。どっちにしたって、やりたいことが全部できているわけじゃないはずなんだよ」
「それに、〇〇の**を直す。その二つは、必ず見つけ出すんだよ」
『我のことは後でもいいのである。命に関わるわけではないのだよ』
「そうはいってもな。まあお前がインフルエンサーとして圧倒的に稼いでいる手前、俺たちがなんとしてやる、なんて烏滸がましいんだけどさ」
『気持ちは受け取るのである』
芝宙太。その後、生成AIを世に生み出したスタートアップ企業に、とんでもない分量のドキュメントを送付。言うなれば大規模言語モデルの学習データ、その一部になりうるようなその言語の海が、その企業にだけはしっかりと刺さり、渡米。
そして同社で働きながら、生成AIをフルに活用した学術論文を多数投稿し、膨大な想定質問を用意した上で英語プレゼンに臨み、論文博士の学位をえる。
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某区役所
「しっかりTAICさんと水鑑さんを絡めたね。TAICさんの方は、『心身のどこかに何らかの問題を抱えている』ところまでってことなんだね」
「もはやAIという説も無きにしもあらずですが、あの人間味はまだAIには無理かと」
「そして、水鑑さんの経歴は、うちのホールディングスでは既知だからね。高専でのその『六人の天才』の後、それ以上の人を見つけるなど到底出来ず。理想と現実の狭間で評判を落とし、退職を余儀なくされる」
「しばらく教育からは手を引くと、フリーのエンジニアとしてやっていく中で、たまたま桃園製造へ。そこのタイミングで、生成AI、とくにAI孔明に目をつけたところで、あの伝説の採用活動炎上事件から、時代が動き始めた。そこからはみなさんご存知の通りです」
「どっちにしても、今回の主役はそっちの二人よりも、五人の方だね。法本君、君の中にある葛藤、それは、この五人自体への同情かな? それとも、この背景をしっかり世間にしました上での、あの違ったAIサービスへの別の視点を与えたいってことかな?」
「え、あ、あれを公開するとなると、当人たちの許可は必須かと。それはゴシップにも手を出す記者のボクとしても許容できません」
「いえ、そのどちらでも無い、はずです。その二つは、どう考えてもあの五人は望んでいない。なにより、そこは個人レベルではとうに乗り越えた壁ですからね。それに、その先の飛躍を手助けする、という趣旨であっても、それこそ『その義理はない』と言えます」
「『できない』ってのが正確っすよね。彼らがこっちに話を持ってくる時にも、二つの選択肢があったっす。ですが、その二つは見事に排反。前者は法的監査。後者はコンサル。後者が特にAIに絡むと、完全に競合他社になるので、法監査は受けられない。前者を受けると、コンサル支援が利益相反になる」
「その辺りをわかりやすい記事で、という依頼は、ボクが承りました。です」
「だとしたら法本君。君が見ているのは、この五人であって、この五人ではない。そうなんだよね?」
「その通りです。この五人のストーリー、どう思いましたか?」
「んー、最初は、どんだけ真に迫っているんだろう。だったけれど、翔子ちゃんのいう通り、『あるある』なんだよね。つまり、この先も引き続き、この日本社会の中で『あり得る』『そうなる』なんだよ」
「はい。そして幸いなことに、彼らにはそれを乗り切れるだけの才能と、かけがえの無い仲間たちがいます。だから乗り越えられた。でも、多くの人たちはそこを乗り越えられない」
「たとえ乗り越えたサクセスストーリーがあったとしても、『どうせあいつらは特別だ』という結論になる。でもそれは、それ自体が『当たり前のクソ仕事とクソ環境を、ぶち壊す』っていうCyber Tutorの思想に反する。その矛盾を、どう解決するか、なんだね」
「はい。彼らも薄々気づいているはずです。だからこそおそらく、彼らは自身の経歴からは目を逸らし、淡々と進めていく方向なのでしょう。ですがそうなると、彼ら七人、そして世界中の『あるある』達が救われるというトゥルーエンドの未来が閉ざされる」
「代わりにあるのは、『できる奴らの力でクソ仕事を打破し、その教えの元で、普通の人たちは引っ張り上げられる』っていう、バッド気味のノーマルエンドだね」
「それをどう乗り切り、トゥルーエンドへの足がかりを得るか。私はそれを見つけにここに来ました」
「なら簡単だよ法本君。トゥルーエンドに至るには、最強のラスボスを倒さないといけない。それが最近の相場なのさ」
「「「……」」」
「大橋先輩。ここまでの勢いが完全に止まりました。流石に意味がわからなかったようです」
「あら? 白竹君も?」
「……ここで僕が説明していいんですか? まあいいか。つまり、法本さんや翔子さん、そしてKOMEI。その全ての力を結集し、一切の手心や手回しを加えることなく、正々堂々と技術と市場でぶつかり合う。その先にこそ、彼ら程度の『あるある』をぶっ飛ばすだけのエネルギーが生まれる、というわけです」
「どこのスポ根だよ!? って言いたくなるけど、言ったのわたしだからな。仕方ないね。つまりそういうことだよ」
お読みいただきありがとうございます。




