百八十九 陸遜 ~陸運の王者 不遜なる頭脳~ 没入
ベースボールの本場では、膨大なデータに基づいて、選手の調子からワンプレーの価値まで数値化される。
将棋の世界では、人との対戦の合間にAIとの対戦をひたすら繰り返す新鋭が、最高峰の差し手となっている。
最新のAIエージェントが、いくつかのゲームをクリアできるかどうか、といったテストが話題となっている。
だが多くのスポーツでは、AI自体が人間の代替としてプレーできるようには、そう簡単にはならないと考えられている。
理由はいくつかあるが、シンプルに技術的な課題が多いとは言えるだろう。ボールの扱いや、姿勢の安定性、安全性など。
ここにもう一つ、AIが人の代わりにピッチに立つ未来が簡単には来ない理由が、付け加えられる事となる。それは、この分野では、AIが進化すると同時に、それを最大限活用した人達もまた、急速な進化を遂げる可能性があるため、という理由。
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巨大スタジアム 実況席
「前半残り五分。パスが全く通らないという、激しいこう着状態は少し解消され、ある程度中盤の攻防も落ち着いてきました。それに変わって、両チームとも何度も互いのゴールに迫るも、その危機が予測済みだったかのような守りで塞がれる。そんなシーンが続いています」
「確かにこれ、オフェンスが仕掛けた段階で、ある程度ディフェンス側に先回りする動きがあるんすよね。その危機的な状況、いわゆる得点失点の匂いが、手に取るようにわかる。そしてこのメガネ。そこを的確に見せてくるから、観客自体がそっちに目を向けたり歓声をあげたりしているんすよね」
「つまり、観客の反応が、得点失点の匂いを先取りしている、という事ですか」
「そう。まるでピッチにもう一人、万全の視野と、高度な予測を持ってコーチングするプレイヤーがいるようなもんっす」
『ピッチにプレイヤーが二人三人増えているようなものだね。そしてその状況の把握に、互いの何百回というシミュレーションが乗っかっているんだ。だとすると、簡単にゴールを決められる状況じゃなくなりそうだよ』
「これだけサポーターがホームに偏っているので、慣れてきたらその反応も変わってきて、ホームチーム有利になっていくんでしょうか?」
「まだしばらくは難しいんじゃないかな、って思います。わたしも含めた一般の観客は、今目の前で起こっていることに、必死についていっています。VRやAIに慣れてきて、どんな見方をすれば、もっとこの試合に没入できるのか。そこに必死になっている、んじゃないかな、と」
「小橋さんが一般客かは置いておいて、そういう事なんですね。つまり、選手だけではなくて、観客もまた、即時フィードバックと挑戦的集中がおりなす没入状態、すなわちフローに入っている、という事ですか」
「私もそうだけど、多分かなりの数のお客さんは、『あそこに自分が立っていたら』っていう視点に強く引っ張られているんでしょうね。選手と違って、それこそが皆さんにとっての非日常なのですから」
「なるほど。だとすると、一人の選手としてこの試合に参加している気分。いや、実際に参加していると言っても良いのでしょう。そしてその興奮と熱狂は、皆さんの没入状態によって成り立っている、まさに進化したエンターテイメントと言えるかもしれません」
「実況さん、あんたもそのフローに入っているっていう自覚はあるのかな? 配信のコメントとかすげーことになってるっすよ。大半肯定だから、それが正解なんでしょうけどね」
「はい。私もそれはちらちらと見えています。ちょっとだけ取り入れたりとか、バランスを確認したりとか」
『うんうん、もっとやれ、とか、その視点は斬新、とか、魔女と魔法使いの知識をもっと引っ張り出せ、とか。あなたの言葉そのものすらも、モニターの向こうでは新しいエクスペリエンスを生み出していそうだよ』
「うんうん、そうなんですね。あれ? なんか変」
「どうしました小橋さん? あっ! 白いユニフォームが自陣でなんでもないパスを回している中で、突如中盤の梶原と和田が競うように駆け上がる! ディフェンスはまだ残っているぞ? これはそこまで危険な匂いはありませんが……」
「やられたよ」
「えっ? 小橋さん、これはそれほど……あっ! サイドの北条から、精度の低いロングボールがでます! これは二人には厳しそうです。えっ? ディフェンストラップが少し大きくなったのを、たまたまそちらにいた和田が先に触って前線へ! これが梶原の足元に、ギリギリ届くか? 届いた! キーパーが触れるも一歩及ばず! 決まったーーー!」 ワーワーワー!
「やられた。このパターンで来たか、孔明め」
「白いユニフォームが集まる! そして和田と梶原の二人には手荒い祝福です! ええと、小橋さん、先ほどから何を?」
「ああ、清平ちゃんが、ゴールの嗅覚がどうとかって言ってましたよね? そこで考えていたんですが、ゴールの匂いがするプレーでは、観客の目や、数多くのシミュレーションを含めたこの鉄壁を破るのは、逆に難しい」
「そうですね。それがここまでの展開でした。互いにビッグチャンスが数多く生まれそうになっても、必ず誰かが適切な対応をする。そんな試合展開でしたね」
「そうですね。それじゃあ、そうなることを予想していた孔明や、そこに感化されて進化を遂げたあの子達がどう考えるか。ゴールの匂いがしないプレーにこそ活路がある、ってね」
「まさか、あの二人の暴走に見える抜け出しと、精度の低いフィードが、ですか? だいぶ偶然が絡んでいそうでしたが」
「ある程度はそうでしょうね。だけどこれくらいじゃないと、観客や選手は反応できちゃうんでしょう。だからこそ、かなり無茶と言える動きをして、普段なら到底届かないような足の出し方をして、二人ともギリギリで結果に繋げた」
『つまり、二人がギリギリの挑戦に身を置いて、フローの状態を一段上げた。その結果生まれたのが、匂いのない所からのゴール、ってことなんだね』
「さて、前半はアウェイチームの劇的な先制ゴールで終わりました。後半もその勢いが続くのか、はたまたホームチームが意地を見せるのか。十五分後、後半が始まります」
「だけどこの一点の代償は、軽くはなさそうだよ」
「えっ? また? 何を……あっ、一旦CMに入ります」
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大手配信サービス 視聴者コメント
@なんなんこの試合、この選手たち、この観客たち、この実況、この解説
@予測、先読み、繰り返しシミュレーションがAIの真骨頂だとはいえ、これはとんでもない革命だよ
@ピッチ上にバードアイな選手がもう一人二人いるような、両チームの落ち着いた振る舞い
@お互い、なんであれが防がれるんだよ、って攻撃がなん度もあったよな
@赤のパスワークと、白のカウンター。どっちも最後のところでキーパーかディフェンダーに引っかかるんだよ
@何回かFWがもどって間一髪ってのもあったよね
@前半ハイライトのシーンが神すぎる。パスが通らない序盤戦、最後に決まらない中盤戦
@そして、あのまぐれゴールはなんだったのだろう? 今日イチで平凡なプレーだったよな?
@魔女曰く、あれがわざとだってんだろ? 緻密な戦術はお互い織り込み済みだから、あえて雑なプレーで二人のフローに賭けたっていう
@確かに二人の足の出し方、とんでもない際どさだったね。あれがフロー、なのか
@そして魔女の最後のことば、なんだったんだろうね? ゴールの代償? この試合点入りづらいから結構重いゴールだと思うけど
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スタジアム ピッチ
「よし、後半も飛ばしていくぞ」
「梶原、和田、あんなゴールはそうそうないからな。後半の入りは丁寧にいくぞ?」
「あ、ああ、分かってるよ。最初の五分こそ慎重に、だよな。一番点入りやすいし」
「向こうの攻撃力考えると、追いつかれる前提で行った方がいい。それに、前半と違って互いに綻びが出てくるはずだ。流れが全然違うこともありうるぞ」
「了解っ」
ピー!
「始まった。丁寧に回すぞ」
「おう。あ、あれ? トラップがズレる」
「何してんの梶原! カバーする!」
「す、すまん、あぶねえ」
「頼むぜ、中々ないミスだったな」
……
「よし、梶原、和田が前線でいい位置取れている。通るかこのパス」
ピー!
「え、またオフサイドか。何度目だ?」
「うーん、梶原と和田がゲームに入れてないぞ。気合いは十分だが、空回りって感じだ」
「くっ、まずい! 向こう人数かけて攻めてきた!」
「二人、戻れ! よし。ナイスプレス! えっ? あっ、そのクリアはまずい」
「なんか、向こうの人数のかけ方がエグいぞ。まるであの二人を視界から外して、10対8で押し込んできているみたいだ」
「入れていないの即バレだな」
「くっ、スタミナは大丈夫そうなんだが、なぜずれる?」
「フローのピークが、ハーフタイムで下がっちまったか?」
「くっ! だめだ、フィジカルで押し込まれる。重森のオーバーラップ、やばい、ミドル打たれる!」
ピピーッ!
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実況席
「決まったー! 追いついたー! ディフェンス重森の果敢なオーバーラップから、空いたスペースに見事に駆け込み、豪快なミドル! これはなかなかないシーンです!」
「陛下。これがもしかして、前半終了間際の、ゴールの代償ってやつっすか?」
「そうだね。わかりやすかっただろ? 前半にものすごいハイライトを持ってきてしまったから、後半にそのテンションの行き場がなくなったんだよ。特に梶原君の動きはやたらと掛かり気味だよね」
「フローの代償、そのコントロールの乱れ、ですか」
「さて、和田君は少し落ち着いてきたけど、梶原君は厳しそうだね。でもまあ、あのゴールの価値は決して下がるわけじゃあないさ。この試合のハイライトの一つに間違いない」
「あーっと、交代です。梶原に変わって、三浦弟が入ります。豪快なプレーが光る兄とは真逆。緻密さと、時にずる賢さすら感じるプレイヤーです」
『カジワラへの拍手が大きいね。間違いないんだ。ゴールを決めた奴が偉い。それはフットボールがどう進化したって変わらないんだよ』
「ああ、当然っすね。それに、あのゴール自体も、新時代の幕開けを象徴するような、相当にいろんな要素が詰まっていました」
「さて、プレーが再開します。おっと、ホームの赤いユニフォーム、さっそくボールを奪う。そしてあれはマルセイユルーレット! そしてパスを出して、エラシコ! なんと、過去のトップレベルの選手たちのフェイントを、選手たちが次々に決めていく!」
「ふふっ、ここが勝負どころと見たかい。一気にいきそうだよ」
「一気にペナルティエリアの前まで迫る! だが前線の宗像、屈強なディフェンスに阻まれます。あーっと! 後ろを向いて蹴り上げた! これはまさか、あの伝説の、フィクションでしか見たことがない大技だー! サンターナターン! そしてそのまま、オーバーヘッドキックが決まったー! 逆転ー!」
『アハハ、やるねえ』
お読みいただきありがとうございます。




